河口公男の絵画:元国立西洋美術館保存修復研究員の絵画への理解はどの様なものだったか?

油彩画の修復家として、専門は北方ルネッサンス絵画、特に初期フランドル絵画を学んできた経験の集大成を試みる

制作案内 そのⅠ

2017-01-02 13:26:34 | 絵画

絵画制作で少しでも役に立つ内容があればと思う。辞書のように項目を細かく挙げないので、読み物として受け入れてほしい。

1.素地について

 素地のことを「基底材」とか「支持体」と言う人が居る。基底材はbase,支持体はsupportから来ている。どちらも建築用語と共通している一般的な表現だ。素地と言えば、この国では工芸などで生地、木地も含まれ、下地という意味もある。絵画に最も近いのは漆工芸の技法などで使う言葉で「素地」と言えば、漆を塗るための土台のことになる。その土台は布素地であったり、木素地であったりするので、伝統的な使用として分かり易いと思う。

①カンヴァス

 カンヴァスの長所は軽くて、一人で大きなものも持ち運べることだろう。リューベンスは600号からある大きさの作品をアントワープからドイツに向けて、大きなロールにして巻いて送った。巻くときは画面を外にして、間にシリコン紙など絵具がカンヴァス地の裏面に接着しないように巻くが、素人は止めたが良い。しかも張り枠は釘の打ち直しに耐えなければならないし、くさび付きでないといけない。いずれにせよ枠から外されたカンヴァスは最も脆弱な状態になっている。描かれたカンヴァスは張ってあっても、裏面から触ると亀裂が入る。修復家でも扱いは慎重にならざるを得ないものだ。展覧会の輸送担当者はそれを知らないので、学芸員は注しておくべきだ。表から触ったより、裏から触ったときの方が損傷は大きい。

 今日、一番多く使用されているのが麻布のカンヴァスで、画材やで必ず手に入るが、最近、値が張る。比較的安価な日本製に対し、ベルギーは昔から麻と亜麻仁油の産地で、その麻のキャンヴァスはより耐久性に優れて、経年の耐久性が良い。織り目の詰んだものが良く、糸と糸の間に隙間があるものは殆ど耐久性はない。目の大きさ(凸凹)は糸の太さで決まるが、細い糸で織って、白い地塗りをあらかじめ平らになるように施したものもある。織り目の凸凹は細密描写には向かない。マンテーニャはワイシャツにするほどのきめの細かい布の上に、吸い込み止めだけで、テンペラ絵具で描いている。トゥシュラン(仏語:独語のTuchleinが適用されたもの)トゥヒラインTuchlein(独語:辞書には布としか表されていないが、カンヴァスはLeinwandと区別している)といわれる画法で、15世紀から16世紀初頭に初期のカンヴァス画として流行った。この様なカンヴァスは自分で作るしかない。しかし湿度に敏感で、経年の耐久性は悪い。

市販のカンヴァスにせよ、そのままでは、やはり裏面が弱い。裏面の弱さが理由ではないが、大学時代の先輩の青木敏郎氏は、市販のカンヴァスの表を裏面になるように張って、生地の出た表に新たに自分の好みの地塗りを施し、平滑にして細密描法に向くようにしている。このカンヴァスは裏面からの湿気の浸入に耐える。実に懸命な方法である。いずれにせよ額装するときは、裏板で保護すべきである。

カンヴァスの湿気に対する性質は、避けられないが、湿気ると弛み、乾燥すると収縮する。弛むのは生地の上の目止めと地塗りの膠着材が湿気を吸って膨張するのに加え、生地の糸の細胞にも湿気が入り込んで弛む。しかし水にずぶぬれになると糸の繊維の細胞は水を吸い込んで膨れ上がり、糸の撚りがより強くなるために、糸同士が締め付けられ、つまり大きな収縮となって表れ、張り枠に張られたカンヴァスは硬い板のような状態になる。この時地塗りや目止めの膠着材は水で膨潤し、柔らかくなっているので抵抗できずに、上の層である絵具層を切り離してしまう。つまり剥落する。この時張り枠も剛性が少なければ、形を維持できずにゆがむ。乾燥した時に元の形に完全に戻らないので交換せざるを得ない。その前に絵画が失われている可能性があるが。

カンヴァスの伸縮は縦方向と横方向では異なる。それは縦糸、横糸の織り方の違いから生じる。縦糸は織り機では上下に隣り合う糸が交互に動いて、その間に横糸を挟み込むようになっている。この時、縦糸は横糸を波が上下するように挟んでいるが、横糸は殆どまっすぐ直線であるため、もし濡れたときは縦方向の糸には縮みあがる強い力が働く。このために経年劣化では縦糸の方が切れやすくなっている。

最近、美術館を建てる場所に「水辺」を選ぶ例が多い。川による洪水、海から津波や高潮の被害が結構ある。また地震の際には地下の収蔵庫や書庫に浸水した例もある。かつて豪雨災害で高知県美の一階が1.5メートルの高さまで水に浸かった。おりしも現代絵画がセンター1.5メートルで展示されており、すべての作品が濡れて、剥落の被害に遭った。こうして濡れた場合には、急いで乾燥させてはいけない。無理やり乾燥させると物理変化が大きく、絵具は剥落する。少々カビが生えようが、剥落よりはマシである。だからゆっくり乾燥させる部屋を作って、そこに一時間で2~3%の変化させるように調整すべきで、徐々に部屋の湿度を50~60%にさせる。カビは後で除去できるので。

産業革命で自動織機が発明されるまでは、糸も手撚りないし小さな糸撚り機でよって作っているから、今日のような均一性はない。昔のカンヴァス画の多くはすでに裏打ちされているものが多く、裏からは簡単に確認できない。修復の際に絵具が地塗りと共に剥落している箇所を見ることが出来る。17世紀のレンブラントのカンヴァスの糸は太いものが多く、しかも手撚りで太くなったり細くなったりしている。太い細いがまちまちの糸が正確に目の詰んだ状態にはならないので、意外と荒いカンヴァスに思えた。カンヴァスの使用は12世紀ごろに、既に祭礼に用いる錦のようなものの装飾として用いられたようであるが、マンテーニャの例を見るように、盛んに絵画素地として使用されるようになったのは、イタリアのヴェネツィアが始まりと考えられる。何分にもヴェネツィアの最盛期は帆布の製造、織物工業の発展がカンヴァス需要に寄与した。それだけでなく絵画に盛んに用いられるには、海に面して湿気が多いために部屋の壁の装飾には当時盛んにおこなわれたフレスコ画は向かず、カンヴァスが採用されたという事情があった。

リューベンスは大きな画面を好んで描いたが、カンヴァスはもちろん板(アントワープでは樫、イタリアではポプラ材)を主に用いた。変わりどころではローマの教会の壁にスレートのブロックを積み上げてそこに油性の地塗りを施して描いた。彼はカンヴァスで得られる大きさに限度があるので、大画面では、必ず複数の布を縫いあわせた。勿論地塗りをする前に縫い合わせて、少なくとも、表側に段差が出ないようにしたが、経年でそこは亀裂が入り、表からもよく見えるほどである。彼はカンヴァス布であれ、板であれ求めるものが手短になければ、躊躇なく継ぎ合わせた。しかも板の場合は縦横関係なく。現代ではカンヴァスを裏打ちする場合、裏面の縫い目にできる帯状の出っ張りに困るが、湿度に鈍感な接着剤を用いて新しい布を貼り、板状の基底材の上に載せて張るなど出来るようになった。17世紀のカンヴァスはまずそのまま維持できるほど良い保存状態のものは稀有である。

最近ではリキテックス絵具専用らしい綿布のカンヴァスもあるが、目止めや下地塗りがされていても、麻布と比べて、枠に張るときには伸びが大きい。張替えをするときは張替えのたびに述べて閉口する。昔、アンディ・ウォホールの《The Cars》という展覧会の保存管理を頼まれたが、カンヴァスは6m×2.2mが2点、4.5m×4.5mが1点ほどロールに丸めて到着した。確かにこのサイズでは木枠に張った状態ではジャンボカーゴでも入らなかったサイズで、結局各会場ごとに張る、外すを繰り返した。そこでカンヴァスは綿布であった為に、毎回伸びて横6mが最後には6.2mほどになった。修復家として噴飯ものであった。それから綿は麻に比べて耐久性が弱いので、どうしても白い布がほしければ、白い麻布を探すか、地塗りを白くするべし。

カンヴァスを自分で制作したい人は、生地を画材やで、ロールで買わなければならない。有難いことに、市販のカンヴァス生地は殆ど手に入る。自分の好みのカンヴァスを製作してみてはいかが!!??

カンヴァスの輸送方法1

美術館の貸し出しレベルのカンヴァスの梱包と輸送については、最も重要なのは振動への配慮である。この国の電気の周波数が東日本と西日本で50khと60khと異なるのはご存じだろう。この電気の周波数と同じ周波数の振動で、前者は真ん中を中心に左右に波打ち振動し、後者は真ん中を中心にして前後に振動する。これは輸送中に起きる振動でもある。また収蔵庫で空気の強い流れが温湿度の安定に寄与すると信じ込んだ馬鹿な保存科学者が、地方の美術館の収蔵庫で空気の流れを作るコの字型の収蔵室を作らせてところ、私が見たのは一日に何百万回と振動するカンヴァスであった。これらの作品がまず絵具層に亀裂を生じ、そのうちに剥落するのは目に見えていた。これ尾をその科学者に説いても全く信じようとしなかったのを思い出す。この者は結果を見せても、自分のせいだとは信じないであろう。風の圧力でも振動するということだ。

カンヴァスが振動したことによる亀裂は、まず多くは四辺のコーナーに斜めに入る。これは湿気たり乾燥したりで、たるんだり張ったりして波打った時にも起きる亀裂と同じである。要するにコーナーに力が集中し、それが経年で表面化する。元よりたるんだものを輸送すれば木枠に当たるので、木枠の縁の線に沿って亀裂が入る。

従って、輸送梱包で振動を起こさせないことが重要で、まず木箱を用意し、外力が加わりにくいようにする。箱の内部の一層目の経師は防水紙、あるいはアルミ蒸着シートを貼る。そして衝撃の緩衝材と温湿度変化を緩慢にする発砲スチロール(100mm厚)を箱の内部に貼る。蓋にも同じように貼る。そしてさらに額縁の抑えの部分に合わせて、その寸法に合わせて低反発スポンジを貼り付ける。そしてそこに額縁が丁度乗るようにする。ようするに六面全てからこのスポンジで額縁は支えられる。絵画の入った額縁は必ず薄葉紙で先に梱包し、さらにビニールで包んで、中の空気を少なくするようにしっかりと包んで、ビニールテープで目張りする。温湿度変化を最小限に食い止めるためである。またビニールで包むとスポンジでくるまれた作品は中で滑りやすくなる。

さてここで問題はスポンジの硬さで硬すぎては反発が強くて、衝撃を吸収できないので柔らかくしなければならないが、ヤマト美術梱包のように柔らかいと中で作品が飛び跳ねていると教える馬鹿もいる。8面で押さえているのに飛び跳ねることはあり得ない。むしろ中で少しスポンジに食い込み、弾力性を持たせて衝撃を吸収できなければカンヴァスに直接に衝撃が加わることは中学生でもわかると思うが・・・。中には柔らかいと、つぶれて衝撃が直接伝わるという者もいて、実験をして見せた。低反発スポンジの西洋美術館が推奨してきた柔らかいものに1kgの鉄塊を載せてつぶれ具合を見せた。その1平方センチメートル当たりの荷重は40gである。これを比較対象とするために額縁の底面の面積を大まかに算出し、何グラムになるか計算させたら、自分で考えようとしないから、こちらが計算して出した。それでも納得しないから、梱包下絵を入れた輸送箱を立てて蓋の無い状態で、どれほど沈んでいるか見せたが、首をかしげている。蓋を占めると周りからスポンジで押して、作品を捕まえていることになるから、もっと沈みにくいであろう。いずれにせよ作品を載せたらスポンジが全てつぶれて緩衝材の機能が全くないようでは困る。しかし頭だけで考えてそうだと思い込む者に、実証して見せても分からない場合、「愚か者は実証に弱いを通り越した馬鹿者である」というほかない。まだ愚か者は見て分かるだけの頭を持ち合わせて者であると・・・・。

またビニールで包んでビニールテープで目張りをすると中の作品が「蒸れる」と言った者もいた。「おいおい、これは生ものじゃないぞ。どこから水気が出てくるのだ?」というと「作品から出る」という。だいたい額縁とカンヴァスあるいは板絵から水気が蒸れるほど出るなどと、非科学的で何を基に主張しているのかというと、日本人特有の「気分」「情緒」である。そう感じるという程度である。これらは困ったもので、非科学的な文科系の学芸員が、その発言に反論できなくて信じ込むのだ。現場では恐ろしいことが起きている。東大を出てもだめだ。

要するに彼らは自分をよく見せようとするだけの言い訳をする者たちであるから、論証は役に立たない。

輸送に関して言えば、これが最も美術品を目に見えないところで痛めつけている行為だ。多くの美術館で「板絵」を貸したがらないのは、衝撃がもろに板の重量に比例して加わるからだ。加わる荷重はG(gravity、重力、引力)で表される。静荷重ではなく、動荷重であるので、加速度が加わっていると解される。1cm上から落とすのと2cmから落とすのでは二乗ほどの力に変化するので、この変位も重要な要素だ。したがって如何にこうした衝撃に変わるものを排除するかが美術品を輸送するときの保存担当者の配慮なのだ。

カンヴァスの輸送方法2

大きなカンヴァスを輸送する場合、木枠に張ったままでは大きすぎてジャンボジェットのカーゴ便でさえ輸送してくれない。リューベンスが大きな作品を巻いて送ったという話をしたが、カンヴァスは木枠から一度外すと、元の様には張れない。つまりロスが出るのである。昔のカンヴァスは作品より大きな木枠にカンヴァス周囲を縫うようにひもで引っ張って木枠の中に張った。だから描くときはそのままの状態で地塗りを施し描くというのが作法であり、そうなると必ず画家のアトリエで制作されたと推定できるのであるが、絵画部分はこの縫うようにひもが通された穴が開いた箇所まで描かれたので、展示されるときは、この紐の穴を使って釘で止めたためにほんの僅かしか木枠にひっかっていた状態であった。それが経年で傷んだことは誰にも明らかであろう。またこの張り代の少なさは一旦張り枠からカンヴァスを外した時には大変なリスクとなったことも理解できるであろう。

今日、我々はカンヴァスの張り代を側辺の折り返しまで取るので、少しはましだともいえるが、いったん外すとリスクがあるのは同じである。(古い絵画の場合、修復ではこの張り代は新たに足すことになる)外されたカンヴァスは絵具のある表を外にして、直径20cm以上のボイド管(建築で用いる丸い厚紙の管でシリコンワックスが塗られている)に巻く。絵具が乾いていることはもちろんのことであるが、絵具の表面にシリコン紙かメリネックス紙を当てること。ゴッホが制作が終わるとカンヴァスを外して、次の新しいカンヴァスを張って描いたことは話しただろうか?彼は描きあがった作品は無造作に他の作品の上に重ねておいた。まだ乾ききっていないのにだ。したがって彼の作品にはカンヴァスの布地の痕が付いたものが多い。しかし彼はメディウムにだまー樹脂を入れていたので、絵具の乾燥速度と硬さに少しは助けられている。

 

② 板素地

板素地の長所は画面が平滑で硬く、描く上で、薄描きで緻密に描くのに向いている点だが、短所は重く、持ち運びにはカンヴァスと比べて相対的に不利である。輸送で割れることもある。また経年で木がやせて反りかえること。反り返りの防止は裏面も同じように描くことであるが、描かなくても地塗りを施し、ニスで覆うと安定する。反ってしまって、元に戻す方法は修復技術で考案されているが、板に切れ目を入れるとか、溶剤でセルロース繊維を柔らかくしてしまうなど、乱暴な方法しかない。板に描くときには前もって処置する必要がある。

カンヴァスが一般的に用いられるようになる15世紀まで、素地の主流は木の板(おおよそポプラ材、イチジク材)であった。現存するもっとも初期の板絵は紀元2世紀頃、シナイ半島で多く制作されたミイラの肖像画を描いたものである。これは棺のふたとして躯(むくろ)の主のある日の姿をとどめておくために描かれた。初期的にはざらついた表面に直接、顔料に樹脂やエンカオスティック(蜜蝋)混ぜる技法で描かれた。中東のローマの植民地では、その後も多くミイラの肖像画は描かれ、躯を包んだ布の表に水性の絵の具で描かれたりもしたが、もっとも多かったのは棺の材質にあった木の板で、画法もよりリアルに、きれいに描くために洗練されて行く。板の表面は平らに削られ、エンカオスティックの厚さも薄くこなれる。これらの技法はイコン画にも受け継がれていったようで、イコンの板地が平らでなかった場合、蜜蝋と白亜や石膏を混ぜたものを地塗りに使ったものもあった。

イコン画の技法(製法)には多くのバリエーションがあって、多くを語ることはできないが、最も一般的なものは、板地にポプラやイチジクの板が用いられたことはその後のイタリア絵画に共通している。ローマ時代にイタリア全土にあった木材が帝国の大理石の建造物の芯に当たる部分は煉瓦であり、これを焼くために多くの材木が消費され、都市近郊から樹木が消えたとされている。ポプラにも白ポプラ、黒ポプラなどの種類があった。絵画用にポプラが残ったのは、水辺に生え、成長が早かったためだと言われている。

イコン画には額縁に当たるものはなく、板絵の周囲に何もない縁として置かれたか、そこに聖人が描かれたりもした。地塗りがされる前の板の表面は多くはざらざらで、布を貼ったり、石膏の地塗りを厚くしたりしてテンペラ絵具で描ける状態に加工した。表面をカンナで削って平らに出来るようになっても、この方法は習慣のように続いた。

シエナ派の板絵に見られる、大きな金地の祭壇(額縁)は画家ではなく大工と金地箔貼職人が用意した。やはり板はポプラ材で絵画の部分は大きさによって厚さが増して、ルーブル美術館にあるチマブエ、ドゥッチョ、ジョットのマエスタ(聖母子像)の板は厚さが10cm近くあるとされている。しかしイタリアでの板絵の継ぎ方は、長い板を横並べて接着し、縦長の作品もそのように用意した。これが後世に保存上問題となる。横に並べたものが重力や湿度でどのような変形をするか考慮されなかった。板どうしの接着は膠やカゼイン(石灰とチーズを混ぜたもの)が用いられ、板の間にさねくぎ(木の板状のくぎ)が差し込まれて補強された。だぼくぎ継ぎよりさね継ぎが多かった。

ポプラ材は上質な部分を得るためには、よほどの大木が必要であったが、その数に限り上がったため、正目板にこだわることなく、板目板の使用がほとんどである。当然ながら、乾燥によって反るし、心材や辺材(樹皮に近い方の材)構わず用いられた。養分の多い辺材は多く虫食いにあった。19世紀にはイギリス、フランスでは画材メーカーが比較的安価なポプラやシナの板地を絵画用に販売した。

一方でフランドル地方では樫が板として用いられた。板はギルドによって管理され、伐採された材木は根本側を下方向にして、その場で大方乾燥され、板に製材されてからも10年間は乾燥された。こうした材木は板状に加工しても温湿度変化による伸縮の影響は受けにくかった。イタリアのポプラ材の使い方と違って、厳しい管理で質の高い板が手に入った。製材は正目材を取るため中心に向かって切られ、くさび型の板が出来た。貼り合わせて大きな一枚にする場合はさらに平らに削って、やはりさね継ぎを行った。接着剤は膠かカゼインである。小さな作品はくさび型の板のまま切られて描かれたものもある。板絵にする場合、初期フランドル絵画では額縁が着けられてから、地塗りを施し一体として描いたものがほとんどだった。この額が失われた絵画には一体化されたときに額に当たっていた周辺箇所に、地塗りのバリが残っている。こうして描かれた絵画の保存状態は500年以上経っても驚異の良好な状態である。特に両面描かれたものは大型の板絵で10mmほどの厚さしかなくても、保存状態は信じられないほど良い。ポプラが板絵の素地として1m角で最低20~30mm必要であるの対し、樫材は10mmで十分である。

樫の種類はいろいろあるが、ドイツでは第二次大戦中、資材が欠乏した航空機の羽にも樫の板を用いており、その強度は高い。あまり大きく成長しない日本の樫とは種類が違い、日本のものはドイツではハンマーの取っ手などに用いられるほど強度はより高いが、ドイツの樫の木が直径1メートルにもなり、大きな板材を提供するのとは大きな違いがある。ヨーロッパの樫材は成長は遅く、10年で10mm~15mmである。気候によって年輪の厚さが異なるので、この数値をグラフ化して、板の年代測定(デンドロクロノロギー)を行うことが出来る。測定精度の誤差は10年程度(1980年頃)で、今はもっと良くなっているかもしれない。

ドイツからスイス、北イタリアなどの北方では中世期から針葉樹が多く用いられた。しかし樹脂分があり、年輪も幅が広くて乾燥によって瘦せが大きかった。そのため描かれた後に画面が波打ったようになり、亀裂も多く入った。デューラーなどは菩提樹(リンデン)やシナ、クルミ材などの家具にも用いられた木材を使用している。クラナッハは殆どクルミ材に描いたが、意外と板目板を用いたので、乾燥による反りが大きかった。レオナルドの《モナリザ》がクルミの板に描かれているのは有名だが、板目板であるにもかかわらず、反りは殆ど記録されていない。裏に細い二本のそり止めの桟が付いているが、役に立っていないはずである。保存の扱いが長い歴史の中で良かったということだろう。

ブナ材は用いることはできない。大きく育っても製材乾燥後も反りが大きく使い物にならない。シラカバも反る。もっとも大きな材が得られないが。

天然の板材を用いるには正目板を用いること。これを貼り合わせるが、厚さは2cm以上が望ましい。そして貼り合わせる面にはダボハゼ、あるいはダボ釘(木製)を接着剤で側面に埋め込んで、側辺の外側からプレスして貼り合わせる。精密な作業が求められる。接着剤は、今日の木工用ボンド(ポリビニルアセテート)が適当である。板目板では貼り合わせた後必ず反りが出て、額の中に納まらなくなる。また輸送はご法度になる。

近年は合板が用いられるようになった。天然材と比べて、非常に安価で手に入りやすいが、継ぎ目が動くものがある。ランバコアは中に短冊を挟んで表面を樫、楢(なら)、シナ材で化粧したものである。樫、楢は高価で手に入りにくいが、表面は硬く動きにくいので、理想的だ。少し重いのが短所。中の短冊の心材に南洋樹を用いて、表面にシナを貼ったシナ合板がとりあえず値段とも折り合う。最低15mmの厚さを選択すること。表の化粧板の継ぎ目が少しでも接着が悪いと、目止め膠を塗っている時から、裂が出来る。この上に何度地塗りを塗っても、亀裂の筋となる。

 

 目止めと地塗りを参照のこと。

思いついたら加筆することにしている。

 

 

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