河口公男の絵画:元国立西洋美術館保存修復研究員の絵画への理解はどの様なものだったか?

油彩画の修復家として、専門は北方ルネッサンス絵画、特に初期フランドル絵画を学んできた経験の集大成を試みる

修復か、修理か、復元か?オリジナリティはどこに??!!

2017-01-23 20:52:05 | 絵画

またもTVでの話だ。NHKの番組、プロフェッショナル仕事の流儀・・・から。

平成の絵師、清水寺の彩色木彫「獅子」の失われた色彩を復元するというもの。私は丁度、途中からしか見ていいないが・・・・見事に剥落した彫刻の彩色部分をほじくって絵具層を見つけようとしているところから見た。

原物は確かに剥落が激しく、現状がどうであったか、見る影もないほどに剥落しているが、部分的には絵具の断片があり、そこから原作がどのような色使いであったのか、発見している。つまり通常彫刻に見られる彩色法でなく、狩野派の絵画に登場する「獅子」の表現に用いられた彩色の作法であることが分かったという展開である。高野山にも同じ狩野派の担当した障壁画と仏像の蓮台を飾る獅子の彫刻があり、狩野派の彫刻の彩色が認められたというくくりで、その彩色法で下絵を作成して「復元」するという。

「復元」と聞いて、少しびっくりしたが、当時どのようであったか再現する方向だが、「〇〇が感じた400年前の心」とナレーションが入る。紙の上に彩色の見本を試しに作成して、京都市文化財保護課の担当者に見せて打ち合わせをしている。そして番組は終わりに近づいて、「3月には完成する」という・・・・やはり最も恐れた方向に結末が・・・なんと原作の剥落した残りの絵具をはぎ取って、上に新たに彩色しているではないか!!

「復元」と言えば、彫刻の木の部分から新しく作り直して、今回確認した彩色法を用いて、過去にどうであったか、「参考」として表示することだ。しかしこれは修復でもなければ「復元」でもない。原作の彫刻の僅かに残った絵具層を剥ぎ取って、新しく地塗りに、彩色を施している・・・これは「修理」と言わざるを得ない。文化財の鍋なら、保存が目的で、いかに永続的に保存管理できるかの議論の上、処置が施され、決して二度と煮炊きに用いられることはない。はずだ!!

この国では、しばしば議論が出来ない国民性と伝統に出くわす

これが欧米であれば、例え剥落が多くてそのほとんどが失われて、現物の元の姿が想定出来ない状態であっても、わずかな残りを全てはぎ取って、新しい地塗りと彩色を施すことは「修理」であって、決して「修復」とは言わない。もしこれを文化財に適用する者が居たら、ドイツではブラックリストに載って、公的な仕事から排除される。ドイツでも70年代までキルヒェン・マーラー(教会修理師)というのが3000人からいて、各州の文化財局は対応に苦慮していた。仕事がいい加減で乱暴、まさにもう一度ピカピカにすることを目的とした。彼らは壁画も漆喰から塗り直して、新しく神様を描きなおしてきたのだ。ロマネスクの小さな祠(ほこら)から、その片鱗は見つかる。彼らの仕事は千年以上の歴史があり、プライドも高かった。教会における修復では、様々な技術が総合的に必要であり、伝統技術も彼らが伝承してきたと言えないわけでもないし、クオリティを保つために、その後、学校を作って資格取得者のみ重要な文化財を触らせることにした経緯がある。ドイツ人の合理的な考えがなければ、彼らの伝統技術も新しいマイスター制度も成り立たなかったはずだ。

さて、もし彩色木彫の長い歴史のあるドイツで、この「獅子」が処置されたらどうなったかというと、①原作の上の加筆の除去 ②残ったオリジナルの絵具層を、例え断片であっても、保存する処置を行う ③原作を保護施設に収め、コピーを作って、元の場所に収め、断りを入れる

文化財を保護し未来に残すということは、こういうことではないか? 原作の上に施す新しい彩色は「補彩」と言わずに「加筆、上描き、オーバーペイント」と呼んで、「やってはいけないこと」なのだ。修復はむしろこれらを除去することなのだ。

その「様々な調査検討の結果、狩野派の絵師が彫刻に彩色し・・・云々」は重要な所見であっても、新たに施す彩色は「個人の判断」であって客観的絶対性はない。つまり絵画で欠損部に私が補彩するときは「必ず可逆的状態」を仕込んでおくことになる。つまりに必要とあれば、直ちに除去できることが約束なのだ。どんなに優れた補彩を施しても、ある日は取られるものだ。

文化財保護の認識のズレは、かつてのドイツがキルヒェン・マーラーで苦労した議論をしなければ乗り越えることはできない。ここには厳しい軋轢が生まれるし、感情的になるだろう。日本ならではの問題だ。しかし新たに塗り替えたら、世界遺産の規約にも合致しなくなるのではないか? 厳しい基準を新しく設けることをせず、ある時、気が付いたら、皆新しく塗り替えられていることにならないか?

この国の文化財の多くは、仏教、神道の礼拝の対象であったり、歴史的建造物と指定されていたりする。礼拝の対象は、そこになければならないという問題で、東大寺の仁王さんも、そこから動くことが出来ない。私は忠実なコピーを置くべきと思うが、その方が仏師の腕も磨かれるだろうし、伝統も維持されると思うのだが。礼拝に直接関係しないものは、幸いにして博物館や寺社の敷地内に建てられた宝物館で保存されている。温湿度の整った環境を与えられているのを見て私はいつもほっとする。去年は高野山で快慶と湛慶の彫刻を見ることが出来た。

曖昧な国、にっぽん!!

以前、このNHKのプロフェッショナルで洋画の修復家が紹介された。世界的に活躍されているとか・・・・で、この分野の仲間同士では皆素性は知れているから、こうした大きなでまかせ話はしない方が良い。世界的に活躍するとしたどんなこと?国際学会で論文発表をした?あるいは世界のあらゆる保存修復機関を渡り歩いて活躍しているとか?正確に述べた方が良い。これはこの番組を作る方に問題があるのではないか?内容がないものを在るがごときに見せる?なんてね。

 

 


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