季節の風に誘われて~美那子のBLOG

近くから、たまぁ~に遠くまで、季節の風に誘われて女装行脚。
クリエイター美那子の自作自演フォト日記です。

智頭急行沿線~秋めぐり

2014年09月26日 | 日記
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この日は早朝に佐用の朝霧を見るために4時半起き。山頂まで登りましたが今朝は少し暖かかったせいか期待するほどではありませんでした。
その後下山して智頭急行沿線秋めぐりと称して「平福駅」「石井駅」の沿線を散策してきました。
この沿線も本格的な秋を迎え田舎の田園風景欠かせない彼岸花とコスモスが至るところに競うように咲いています。
でも彼岸花は少し盛りを過ぎたのでしょうか~花が白くなっているところもチラホラ見えます。
今回特に印象的だったのが「石井駅」より国道373号線を北へ1kmほど行ったところの右手にお椀を伏せたような小高い丘の上にただ鳥居だけが立っています。
本宮はどこにあるのか分かりませんが「八幡神社」と書かれています。
普段はそう気に留めるほどの風景ではありませんがこの時期、彼岸花が咲きそろうと遠くから見れば真っ赤なお椀のように見えて車で走っていてもすぐ目に飛び込んできます。
ここで数枚写真を撮りましたが、ここは近所の人が管理されているようですが、彼岸花~一種の雑草みたいなものですが、踏み荒らさないように注意書きが立てられておりました。
この時期になれば訪れる人も多いのでしょうね。



































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三日月陣屋

2014年09月15日 | 日記
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陣屋ってどんな所?何をするところなの?よく耳にするものですが本当の意味が曖昧な事ってよくありますよね(^^);
温泉地などへ行ったりすると宿の名に○○陣屋なんて名前の旅館などたまに見掛けることもありますが関係あるのでしょうかね。
さっそく調べてみましたが、古くは平安時代の宮中警護をする衛士の詰所が始まりのようですが、時代と流れとともにその目的も変わってきたようです。
江戸時代になってからは主に3万石以下の城を持たない大名が陣屋を持ったり、上級旗本も知行地に陣屋を構えるようになったと言われているようです。
その後明治維新になって廃藩置県により廃止取り壊しされたようで昔の姿そのままと言うのは何処にもないようです。
ここ佐用町の三日月陣屋も近年になって復元されたものですが、まさに平地の城郭と言っても過言でないほど立派な建物で取り壊されたのがとっても惜しいような気がしました。



















































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ここぞ武蔵の生誕地

2014年09月10日 | 日記
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今回の歴史探訪は兵庫県播磨地方にある武蔵生誕地へ行ってきました。
武蔵生誕地については色々な説があり、その中でも特に可能性の高いとされてるのが岡山県美作市大原、兵庫県高砂市米田町、兵庫県揖保郡太子町宮本の3箇所ですが、ただ世間一般的にはわたしもよく行く美作説が最も広く知られてるようです。
ですが、その美作説が一番広く知られてるというのは、ここが一番早く名乗りを上げ力入れて宣伝したからと言うことと、吉川英治の小説『宮本武蔵』などに採用されたからということみたいです。
美作説の元になってるのは、江戸時代後期の地誌『東作誌』には美作国(現在の岡山県)宮本村で生まれたという説が記載されており、それを根拠になっているようです。
また後年武蔵の養子になった伊織の子孫の話等から、そういう風に言われてるわけで、伊織が残した武蔵の記録は生前の武蔵を知る者によって書かれていますが原史料が不明であり、伊織が武蔵のことをどこまで知っていたかを問題視する意見もあり、他史料との比較から明らかな事実誤認も認められていて武蔵を顕彰するための脚色も多く見られるとも書かれています。
一方、今回訪ねて来た揖保郡太子町説というのは、何よりも武蔵自身が書いた書・五輪書の序文に「時寛永20年10月上旬のころ、生国播磨の武士新免武蔵守、藤原の玄信・・・」と書かれているのをはじめ、平野庸修の書いた地誌播磨鑑に「伊織の出生地を印南郡米堕村(米田村)としたうえで、武蔵を揖東郡鵤ノ庄宮本村(太子町宮本)ノ産ナルと明記している」ことから少なくとも播磨の国、つまり揖保郡太子町か高砂市米田町かのいずれかである可能性が極めて高いと言われます。この文を普通に解釈すれば、住まいは今の高砂市米田町にあった両親が、妻の実家揖保郡太子町で出産したというようなことかな?と思われますが、未だ何処が出生地だったのかは不明のようです。











































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