ワンちゃん・ニャンちゃんだあ

いっぱい紹介しま~す。

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灰とダイヤモンド

2016年11月18日 | Weblog
松明(たいまつ)のごと、なれの身より火花の飛び散るとき
なれ知らずや、わが身をこがしつつ自由の身となれるを
持てるものは失なわるべきさだめにあるを
残るはただ灰とあらしのごと深淵に落ちゆく昏迷のみなるを
永遠の勝利のあかつきに、灰の底ふかく
さんぜんたるダイヤモンドの残らんことを・・・・・・(灰とダイヤモンドより)

 青春というものは誰しも一度は経験しているのだが、いつの間にか過ぎていってあとから振り返って理解されるものかもしれない。
 わたしの青春時代といえば、祖父祖母が生きていて、娯楽といえばラジオが一家に一台程度しかなかった時代であった。
 映画は唯一の娯楽という時代、だから感銘した映画は、人生経験の一部のように感じられた。「灰とダイヤモンド」はそのような平凡な青春の中で、強烈な青春体験のような映画であった。
 主人公青年マチェックの、暗殺者としての1日を、翌朝、軍によって射殺されるまでの映像の中で、青春の宝石のようにひらめいた瞬間をとらえ、素晴らしい映像を画面に凝縮したものであった
 冒頭の詩は、薄暗い地下の酒場でウエイトレスとの遭遇した場面に流れる。
 イェジ・アンジェイェフスキの小説の映像化ではあるが、終戦時の政治的に複雑なポーランドを背景にして、ひとりの青年の1日に焦点を当て、物語を超えて、時代を超えて、人生のすばらしい時間を捉え、アンジェイ・ワイダ監督は忘れがたい詩的な、強烈な映像をわれわれに残こしてくれた。

 映画は1958年公開。
 本年 2016.10.10 同監督没す。
 good bye、アンジェイ・ワイダ。


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身代わり猫

2016年09月14日 | Weblog
路上で猫などの小動物が車にひかれて、無残な姿をさらしている光景を目撃することがしばしばある。
(わたしは先日、荒川の堤防で哀れな子供の狸がそういう姿を晒しているのを目撃した)
 そのような場面に遭遇すると、キリスト教信者ではないけれど思わずアーメンとか、南無妙法蓮華経とか、南無阿弥陀仏とか、心の中で呟いてしまう。
 そして、それだけではとても治まらないので、さらに「あなたには母親、父親、妹や弟、姉貴や兄貴、そういう親しい家族がいるだろう。そのうちの誰かが運悪く車にひかれたりすることもあるだろう。あなたは運悪く親しい身内の身代わりになったのだ。あなたの死は無駄ではない。身代わり猫なのだ。だから心安らかに成仏してほしい」と。
 「身代わり猫」というのは、家族のひとりが急病で倒れたようなときにその人が奇跡的に助かって、時を同じくしてかわいがっていた家猫が死んだりすると、これは猫ちゃんが身代りになったのだ、とそういう意味で使われるのが一般的だ。

 ところで、戦争の体験談とか戦争映画で、むごたらしい話を読んだり聞いたりすることが多いが、その場限りで終わってしまう。
 今日の平穏で平和な時代を過ごすことができるのも、その陰には多くの犠牲者があったのだ。わたくし達はこれらの恩義ある気の毒で不運な犠牲者に対して十分感謝をしているだろうか。
 先の太平洋戦争の犠牲者を弔うために、日本国家として、1日だけだが天皇を迎え毎年「全国戦没者追悼式」を武道館で挙行している。
 300万人といわれる戦争犠牲者を出したのに、なぜ仮設の式場で、たったの1日だけの慰霊で済ますのか。恒久的に弔う慰霊碑をなぜ持とうとしないのか。それを指摘する者もひとりとしていない。のうのうと平気でいられるのだ。わたしにはとても理解できない。これが日本人なのか。戦争を体験している高齢者は居眠りしているばかりでいいのか。残念なことである。
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崖を這いあがった政権の先には?

2015年10月20日 | Weblog
 政権は首尾よく崖を這い上がりました。安倍首相は国民に安保法制の理解が十分浸透していないので、これから丁寧に説明をするとのことでした。

 政権の目指すところは「普通の国」(戦争のできる国)ですが、日本は「普通でない国」(自衛の国)から、普通の国を目指してその一歩を踏み出したことになります。

 日本憲法では戦争を想定していないから戦争に関する規定がありません。軍隊がない前提ですから、軍法などの戦争法案がありません。軍法もない国がどのように戦争をするのでしょうか。これからたくさんの戦争関連法案を整備していく必要があるでしょう。
 集団的自衛権で外国と協力して、戦闘に入ることになりますが、戦闘に対するベースが異なる兵隊さん同士が、齟齬なく共同で戦闘を行えるのでしょうか。

 そもそも戦争とは、国家による殺人という一面があります。従来の戦争から学習できることは『戦争とは何でもあり』です。核爆弾により全敵国国民を殺戮することも可能なのです。
 考えてみると、戦争とは人類の撲滅をもありうる、最も愚かな行為と考えることもできます。
 そんなことをぶつぶつ言ってる間に他国から攻撃されたらどうするのだ。という反論が必ず出ます。そういう危惧は戦争反対を言う側でも同じように持っています。でも、すぐ戦争で対処するとは考えない立場です。

 わたしは、太平洋戦争末期の学徒出陣の映像をよく思い出します。もしわたしが、あの学徒出陣式に参加していたなら『くそー、何で俺が戦争に行かなければならないのだ』と、今のわたしならそう考えます。当時の学徒の中でもそのような考えを持った学生もいたかもしれません。しかし、どうすることもできなかった。なぜなら、国家の決定事項ですから。
 もっと早く気がついていれば、と考えても事態がそうなってからでは遅いのです。

 そもそも、国家が戦争に問題解決を託する場合、命令を受けた兵隊さんが相手を殺せば、殺された相手は憎しみを以って反撃してくるでしょう。攻撃された側はさらに憎しみを持って反撃するでしょうから、憎しみの連鎖、悪循環へと嵩じていきます。
 イスラエルとアラブの対立など、家族を殺された人は、たとえ平和主義者であっても、殺人が殺人へと憎しみのリンクに立ち入ってしまいます。平和主義者であっても、お互いに殺し合う戦争へと燃え上がっていきます。もしわたしの家族が犠牲になったら私も戦争に参加するでしょう。それが戦争です。
 憎しみの連鎖は想定外の悲劇にまで拡大してゆきます。日本国がかって米国の真珠湾を攻撃したとき、その4年後には、核兵器によって国民が想像を絶する悲惨さを蒙ることなどまったく想定できなかったでしょう。戦争によって多くの人が無意味な死を蒙ったのです。戦争とは国家によるほとんど無意味に近い公認の殺人行為なのです。 
 戦後、アメリカが自主判断で戦争を始めた例が多くありますが、所期の目的を達成し勝利した例はほとんどないようです。憎しみが憎しみを引き起こす例ばかりです。
 米国のイラク戦争は中近東に混乱を生み、結局最悪の無法過激組織≪IS≫を生むことになりました。
 アメリカの考え方の基本は、力に力を託する国柄です。今回、日本はそのアメリカについていくことを決定しました。今後、アメリカがどこかで戦闘を始める可能性は大きいのですが、日本は血を分けた友人の苦労を見過ごさないで、(後方ではなく)積極的に前に出ていくことになります。

 広島、長崎、沖縄の多くの戦争犠牲者はあの戦争を肯定していたでしょうか。国家の決定により戦争によって無意味に殺されたのです。殺される側の国民はそのような事態にならないように抵抗すべきではありませんか。国家を論ずる勇ましい意見の立場の者は、国破れていいのか、とか盛んに勇ましいことを言いますが、国民は国家のご都合説明にごまかされないようにしっかりした自分の意見をもたなければならないのです。
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その覇道の先に青空はあるのか

2015年06月20日 | Weblog
【覇道】はどう=武力・策略などで国を治めること。
【王道】=仁徳に基づく政治。

クリック⇒参照 「自民党・村上誠一郎議員が涙を流して独白 安倍政権の安保法制を批判
クリック⇒参照 「深層NEWS 集団的自衛権 首相補佐官×憲法学者木村草太

日本が引き起こした太平洋戦争ではアジア人全体で1000万人、内、日本軍人200万人、市民100万人が犠牲になったといわれる。この戦争の遂行者は瞬時でもこのことを予想した者がいたであろうか。戦争というものは人の予想を超えている。
戦争は紛争を解決策として有効なのであろうか。紛争の解決策として戦争した方が良いか、法により解決した方がよいか。
米国は銃の所有を認めている。個人の紛争で、米国のように銃による解決も許すか、または、法による解決か、の選択肢がある。法による解決策は個人の銃の所有を禁じて解決しようとする。
国家紛争を解決する手段として、戦争・武力の行使を選ぶか、あるいは、法により解決するか、の選択肢がある。
日本憲法では、国家間の紛争で武力による解決を禁じている。
日本憲法では、戦争遂行に関する規定はない。
もし、日本人が地球の裏側で米軍と一緒に戦うことがあるとすれば、憲法に
「自衛のための軍隊を保有しなければならない」とか
「自衛のための軍隊は・・・・これこれでなければならない」とか
「自衛のための軍隊は・・・・これこれの者が執行しなければならない」とかいう規定がなければならない。
国民がこれらを認めれば、憲法の改正により自衛のための集団的自衛権の使用が可能となるのである。

現政権は、北朝鮮のミサイルなどの脅威を理由に安保法制が早急に必要だとPRしている。北朝鮮のミサイルなどの脅威を感じているのは誰でも同じだ。違うのは、それを解決するために違法と言われる法案で解決する覇道を選ぶのか、上記提案のような憲法改正を国民に問う正道を歩むか、の分かれ目である。

現政権は王道ではなく、道なき道を、崖を登って進もうとしている。

連想されるのだが、明治時代に日本陸軍第8師団の歩兵第5連隊が青森市から八甲田山に向かう雪中行軍訓練で210名中199名が死亡した事故だ。
第2日目には早くも峡谷に迷い込んで崖をよじ登る際、最初の犠牲者が発生していろ。

 今、現政権は編隊を組んで大軍団で道なき道、崖をよじ登り始めている。その覇道の先に、はたして青空はあるのであろうか?
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集団的自衛権について理解を深めよう

2015年06月14日 | Weblog
クリック⇒参照: 「戦後70年談話は村山談話を継承し、謝罪と反省を明確に

従来、日本では憲法に基づいて「個別的自衛権」のみが許容され、「集団的自衛権」は許容されていなかった。が、安倍政権は「兄弟が暴漢に襲われそうになったとき、手をこまねいて見過ごしていていいのか」という心情から、そういった暴挙に対してこれからはこちらからも攻撃できるようにすべきだ、と主張している。

 「個別的自衛権」あるいは「集団的自衛権」という語句は憲法には存在しない。国連憲章に次のようにうたわれている。
国連憲章の個別的又は集団的自衛権に関する項目について引用する。
--------------
国際連合憲章 第51条
この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持または回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。
--------------

次に、日本憲法で関係する条項を引用する。
--------------
日本国憲法
第二章 戦争の放棄
第九条
 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
○2  前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
第三章 国民の権利及び義務
第十三条
 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
第五章 内閣
第七十三条
 内閣は、他の一般行政事務の外、左の事務を行ふ。
一  法律を誠実に執行し、国務を総理すること。
二  外交関係を処理すること。
三  条約を締結すること。但し、事前に、時宜によつては事後に、国会の承認を経ることを必要とする。
四  法律の定める基準に従ひ、官吏に関する事務を掌理すること。
五  予算を作成して国会に提出すること。
六  この憲法及び法律の規定を実施するために、政令を制定すること。但し、政令には、特にその法律の委任がある場合を除いては、罰則を設けることができない。
七  大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を決定すること。
--------------

安倍政権が閣議決定した「武力の行使の新三要件」は次のとおりである。
--------------
・我が国に対する武力攻撃が発生したこと、又は我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること
・これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと
・必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと
--------------

以上、国連憲章では、個別的又は集団的自衛を認めている。
日本国憲法では戦争を認めていないが、個人の生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については尊重される点を加味して、個別的自衛権は認められていると解釈されている。
73条では内閣の行うべき事務が既定されているが、戦争遂行についての条文はない。つまり戦争遂行については対象外となっている。
安倍政権の「武力の行使の新三要件」は集団的自衛権のある一部分(個別的自衛権と重なる部分)に限定することによって憲法に合致させている。(つまり、変更前と変更後では同一内容である。また、この部分を越えて範囲を拡大すれば違憲になる)

【追記 2015.6.30】安倍政権の「武力の行使の新三要件」について、早大長谷部恭男教授は、次のような見解を述べている。
 個別的自衛権は自国を防衛する権利であり、集団的自衛権は他国を防衛する権利であるから、個別的自衛権と重なる部分の集団的自衛権を、あたかも、限定的な集団的自衛権として認めるがごとき論理はあやまりで、この重複する部分は、あくまでも、自国を防衛する個別的自衛権である。他国を防衛する集団的自衛権は憲法違反である。
 以上のように「武力の行使の新三要件」について否定している。

 今後、集団的自衛権についていろいろ論議が進むであろう。さらには戦争についてなど、ひとりひとりが、次の孫世代の問題として、自らの考えを持つ必要があるであろう。

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2015所感:国の誤謬について

2015年01月05日 | Weblog
クリック⇒参照:「日本でまかり通っている虚(そら)ごと」

クリック⇒参照:「マクロ経済モデルを変更したのは、どの大臣のときですか?日銀総裁と経済政策を問いただす!」

「今の若い人は気の毒だ。結婚したくても結婚できるような賃金を貰えない。だから車もほしくない。外国に勉強に行く気もない」・・・夢も希望もない、と若い人たちの将来について暗いお考えを持っている親御さんは多いと思います。
世界の国々の幸福度の調査によれば、日本の幸福度は先進国から脱落し、中流国並みに低下しています。日本の自殺者が多いことなどがこれを証明しています。
これらの不幸の原因の多くは、驚くべきことに政策上の誤謬によるものが多いのです

◇ 誤謬1:政策ミス(小泉改革など)により、物が安くなる、給与が下がる・・という貧乏化へのデフレ・スパイラルを導入して早や10~20年が経っています。
◇ 誤謬2:日本国債発行残高が膨大だから、財政が破綻する。国債が紙屑になり目茶目茶になる・・・とずっと言われ続けてきました。これは財務省の悪意ある解説をマスコミが今でも報道し続けているとんでもない誤謬例です。
◇ 誤謬3:法人税減税。日本の法人税率が他国より高いことがよく指摘されるが、企業が負担する社会保険料事業者負担を加えた実質的な公的負担で比較すれば、EU諸国よりずっと低い。

◆ 誤謬2について:次のような新聞記事は多い「日本の国の借金残高は、すでに1000兆円を超えた。試算すると、今年度は1分間に6000万円のペースで債務が膨らんでいる。目のくらむような速さだ。この借金の返済を負担するのは、主に子や孫の世代だ。この世代は人口が年々減少していくため、一人一人の負担は加速度的に増えている。世代間の不公平感は増すばかりだ。」(朝日新聞2014.11.15 経済気象台「国の借金時計」)
 このような記事はよく目にする内容です。ところが、この説明は故意に誤解を引き起こすようなごまかしが隠されているのです。確かに国の国債発行残高は1000兆円を超えているのですが、貸し手は日本国民の預金や会社の余剰金ですから、いわば国民が政府に貸している国民の財産なのです。将来、子や孫の世代が受け取れる遺産なのです。
 日本国債は、ギリシャのような、外貨建て国債ではないのですから、借金取りが来て破産するようなことはありません。貸し手は必要があって貸してくれている身内の余ったお金を融通しているのですから、外国からとやかくいわれるような話ではないのです。
◆ 誤謬1について:金融バブルの時のインフレの時代には土地や株がメチャに上がり日本は混乱に陥りました。これにこりて、インフレの時代の対策を現在のような不景気のデフレ時代に適応させ、まさに逆方向の努力を行い事態を悪化させているのです。
不景気なデフレ時代に「消費税増税」「コンクリートから人へ」「公共事業は減らせ」「規制緩和をしろ」などインフレ時代の時代錯誤の対策を適用すれば、ますます事態は悪化するはず。
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福島原発事故の原因を追究すべし(想定外第4弾)

2011年09月10日 | Weblog
 今朝、民放で「大震災について何が報道されなかったか」というテーマの報道があった。江川紹子さんも出演していることだし、大いに期待して見ていたが、期待外れだった。
 今回の震災報道で報道されないのでいらいらしていた矢先、やっぱダメかということでがっくりしました。
 かねがね気になっていた二つの大きな問題点にまったく触れなかったからです。
 わたしが一番気になっていて、ほとんど、報道されないのが不思議なのですが、「津波がやってくる約1時間の間、あなたは、どういう意識で、どんな行動をとりましたか」という点です。もしも津波をあまり気にしなかった、という人が多ければ、問題点は知識や意識の問題にあるでしょう。あるいは、津波を意識したが、避難はしなかったという人がいれば、どうして避難しなかったか、が問題になるでしょう。あるいは、避難したが、やっぱりダメだったということであれば、避難場所が不適切であったとか、いろいろ分析ができるでしょう。わたしに時間があれば、自分で聞きまわりたい、というほどなのですが。
 このような分析をしないままでいいのでしょうか。
 二番目に気になっている点は、毎日毎日報道され、いささかうんざりしている原発事故の報道です。これについてもわたしはいつもイライラします。報道が多すぎるとかいうことではありません。
 たとえば、処分に向かわざるをえない牛の放映があれば、かわいそうだ、と思い、次に、ムカッとくるのです。
 それは、今回の原発運営当事者と政府監督庁の誤った判断を追究する姿勢がほとんど見られない点です。
 少なくとも、東北電力女川原発は津波対策を行って、幸い原発事故を免れましたが、東京電力は、第1から第4原子炉に対し津波対策を行いませんでした。
 津波に対するちょっとした配慮をすることによって、一切の原発騒動は発生しなかったはずです。将来何十年わたる禍根をもたらすことはなかったでしょう(で、イライラするのです。もう原発が日本で設置されることは永遠にありえない状況にもなりました)
 さらに言えば、電力会社を指導する監督官庁である原子力安全保安院が機能していなかったという政府側の責任があります。
 これら当事者が津波対策に対し、どのような対応をしたのか、どこに誤りがあって、責任者は誰か、を将来のために追究してほしいのです。
 日本中が東北を応援し、多く報道され、喜ばしい反面、原因を追究し、責任を問う姿勢があまりにも欠けているという思いを強くします。とりわけ、政府の安全行政上の体制的欠陥を(なれ合いを防止、たとえば米国保安院のような独立した組織にするなど)早く正してほしいのです。
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「想定外」について(第3弾)

2011年05月24日 | Weblog
 今日ラジオ放送を聞いておりましたら、チリ地震が震度9.5、アラスカ地震が震度9.2、スマトラ地震が震度9.1、このたびの東北大地震が9.0だそうで、震度9.0は別に想定外というほどでないとのことでした。
 いまだに「想定外だったからしょうがない」という論評が多いが、確かに大きい地震であったことは間違いないが、安全を生命とする原発事業では、安全こそ生命ですから、関係者が「想定外」などと言ったら職業人として恥ではないでしょうか。
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「原発論議・想定外論議」は100%間違えてる(第2弾)

2011年05月03日 | Weblog
「100%間違えてる」について分かり易く例え話で話してみます。 
 あくまでも例え話ですが、仮にジャンボ機が富士山上空を飛行していたとしましょう。飛行中突然室内で爆発が発生して、あろうことか、操縦装置が全く操作できなくなってしまった。3重、4重に安全設計されていたはずの操縦装置が何一つ反応しない。ついには、500名の尊い命を道ずれに、ジャンボ機は山に衝突してしまった。その爆発の原因は客室と隣室との隔壁の修理ミスによるもので、部品の結合体が壊れ、室内爆発を起こし、3重、4重の操縦系統が同時にイカレてしまったのであった。もし、多重の操縦系統が1系統でも残っていれば、大事故に至らなかったかもしれない。
 この場合、3重、4重の操縦を守る多重安全操縦装置が装備されていたとしても、これらが同時に破損するような設計ではインチキだ、と言うことになります。そして、このような拙劣な設計は改善されるべきである、という基本をまず論じなければならない。
 ところで、今の原発論議は、すべての関係者や論者がそろって、事故は「想定外」なのだからしょうがない、から始まってそもそも大空をジャンボみたいな重量物を飛ばすのは危険極まる、ジャンボなど廃止すべきである、といったふうに話が大幅に飛躍してしまっている。普通の状態であれば誰でもハテナ?と思う。こういう論法を、論理が短絡している、というのですけれど。
 現状といえば、ジャンボ機内で例えると操縦系統が全部操作できない状態の真っただ中にいる訳で、機長はじめ全員がパニック状態にあるということができる。
 だから、現在お偉方はじめ全員が、どうするどうする、ああしろこうしろ、挙句の果ては、機長を吊し上げろ、などという声が入り乱れている状態にある。
 今回の福島第一原発を襲った津波は14~15メートルであった。標高約10メートルの敷地からさらに4~5メートルの高さまで海水が達した(朝日新聞5月1日)
 東京電力の想定津波高さは5.7m、土手の高さは10mであるから、基本的に実際の3分の1にしか見積もっていなかった杜撰な想定レベルが問題なのである。(原発装置そのものにも問題があったことは今回反面教師的に露呈したが、装置そのものが基本的にダメと結論付けるのは短絡思考だ)
 この地方には明治から数回に渡って津波の経験があり、津波の高さを示す記念碑も多数あるそうだ。それらのデータをあつめれば津波の専門家に聞くまでもなく建設前でも容易に必要な敷地の標高を設定できたであろう。(想定津波高さは5.7mであると想定し、「想定外だった」という発言はとても恥ずかしい発言だと思いませんか?。その発言に皆さんが乗っている状況をどう思いますか?)
 では、なぜ福島第1原発は福島第2原発あるいは東北電力女川原発なみに標高を15メートルとかにかさ上げしなかったのであろうか。
 東京電力の社長(だったか?)がいみじくも語っていたが、複雑な配管などがあり改修すると、大変費用が嵩むので放置した、と語っていた。つまり、お金の問題-経営的判断にかかわる問題だったのである。
 本来、このような改修にかかわる費用は当然電力料のアップで償却するものである。
 やるべきものをやってから、光発電などに比べまだ安ければ原発を続ける価値ありとすればよし、高くなってとてもダメダという判断なら止めざるを得ない、というストーリになる。今後の流れは当然そういうことになるであろう。
 現在の各種の論評が高橋真梨子の歌「歯痒いのよその唇 キスする場所 間違えてる 心の傷ならそんなとこにない~~~」的だなあ、と思いませんか~?
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「原発論議・想定外論議」は100%間違えてる

2011年04月27日 | Weblog
高橋真梨子の歌の歌詞にこういうのがある「歯痒いのよその唇 キスする場所 間違えてる 心の傷ならそんなとこにない」
東京電力の社長が「想定外だ」と言った瞬間から、マスコミ始め、業界から始まって、学者、政府高官まで、原発問題のスタートで論議を間違えてる。意図してかどうか知らないけれど、皆なで間違いに走っている。変なところにキスしている。みっともないというか、ばかばかしいというか、話にならない。今日NHKの専門家の述べる2時間番組を見ていて腹が立って、物言えば唇寒し秋の風、を決め込むのを止めて、一言文句を言いたい。
今回の震災は、地震と津波は自然災害だ、という点は、まあしょうがないとしても、原発事故は明らかに人災である。 
原発事故が人災であるならば、東京電力の社長が「想定外だ」といった時、一般人ならば「それはどのような想定だったのですか」という質問が出るのが常識であろう。
わたしが現場にいた訳ではないので、ニュースなどで見る限り、いかなるジャーナリストからもそのような質問は出なかった。
今回の原発事故が人災なら、問題の核心はこの「想定外だ」という一点にあるのに。
なぜなら、東京電力が行っていた「想定レベル」が誤っていたということに問題の発端のすべてが含まれているからである。
朝日新聞4月21日版オピニオンという欄に「想定外」というテーマで3つの論文が掲載されていた。もしこれが「これこれの想定が誤っていたのだ」とういう観点から解析されていたら、「さすがは朝日だ」と感服したであろう。しかし、どの論文も「どのような想定」があったのかという点を避けて通って、東京電力の言葉を鵜呑みにした感想文でしかなかった。いつもこんな感想文を読まされている読者はいいつらの皮というものだ。
福島原発1号機事故がマイナス100点とすると、同じ震災を蒙った福島原発2号や東北電力女川原発はマイナス5点くらいの大差がある。女川原発には災害雛民が避難場所として避難したというのに比べ、福島第1原発は20km範囲内の住民を撤去しなければならないようなドジの極みを踏んだ。
では、なぜ同じ原発なのにこのような大差が出たのであろうか。そこで必然的に各原発の「想定レベル」に問題の焦点が当てられる。(でも残念ながら実際は誰も焦点を当てていないのよ~)
上記3つの原子炉は、地震により原発の作動は自動的に安全停止したようだ。
この点、原子炉は全然ダメダという論者も多いが、地震に対してはそうでもないのではないかという感想も湧く。
問題は津波により第1原発のみ補助電源を含めすべての電源が壊滅したことにある。
テレビ朝日の放映によると、女川原発は、想定津波高さは9.6m、土手の高さは余裕をみて14m、第1原発は想定津波高さは5.7m、土手の高さは10mだそうだ。
さらに、朝日新聞も報じていたが、第1原発の補助電源装置は屋外に野ざらし、第2原発、女川原発は頑丈な屋内設置だそうだ。
 第1原発のむき出しの配管に対し、識者が不安全であると指摘したりしていたそうだ。しかし、手は打たれていない。現場をみれば素人でも怖いと思うであろう。最初のテレビ放映でも、海岸淵に建てられた補助電源装置の大型の燃料タンクが津波により真っ先に跡形もなく流された状況を映していた。このような状況は施行者東京電力に対し、問題点を指摘し指導を行うべき施政側が適切な指示を怠っていたといわざるをえない。(なれ合いがあったのか?)
 関係者が全く口にしていないが、関係者の一部はこのような福島第1原発の補助電源装置が津波に対し無力であることは分かっていたであろう。
 日本が真珠湾攻撃に走った時と同じ状況が考えられる。知っていても、口にしない、これが日本の手法だから。何度でも同じ誤りを繰り返す。
 本当の問題点がこの辺にあるのに、識者のみなさんは「原発を継続すべきか」の論議する時がきたのだ、とわめいているが、変なところにキスしている。問題が飛躍して、論理が短絡している。
 本当の関係者は真実を語らず。この辺に真の問題点が隠されている。2011/4/30


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「新聞社はお客様対応室」を設けよ!!!

2011年04月03日 | Weblog
最近の新聞はやたらとページ数が増え、以前の5倍くらいののページ数に増えてしまい、紙の無駄の方が気になって仕方がないのですが、読む時間は昔の半分くらいになってしまった。大体30分くらいで読み終え、余った時間をパソコンのゲームの時間に当てることができるようになってしまった。
 読む時間30分の半分は囲碁欄で使うから、肝心の新聞の本文はページをめくる時間みたいなものになってしまっている。後から読み直すということもなくなってしまった。
 テレビの時間は娯楽も含めてであるから2~3時間使っているかもしれない。
 なぜ、こんなに早く読めるかというと、わたしの関心に合う内容がほとんどない、というのが原因である。
 わたくしは、新聞は中、長期的な思考を伴うネタを提供する点が、テレビとの違い点である、と思っている。要するに考えさせる記事、簡単に言えば、解説記事かなあ、と思いますが、皆無になってしまった。
(たとえば、年金問題など根の深い問題は、時間をかけてねばり強く取組み、掘り下げなければならないが、そういうことができるのは、政党のレベルでは無理であることが判明した現在、マスコミがもっとまじめにとりくむべきテーマである。それが国民が望む新聞であります)
 今年に入ってそのような心に響く記事は、残念ながら新聞ではなく、NHK新年の特集だった。今でも忘れられない放映が二つあった。
 その一つは、「なぜ日本は太平洋戦争に突入したのか」というテーマで、わたしの長年の疑問を解消させるものであった。当時、日本の政治は、軍部に抑えられており、軍部は、陸軍と海軍が対立していた。陸軍も海軍もアメリカに負けるということを理解していた人材がいっぱいいたようだ。だが、結果は最悪の選択になってしまった。施政者が想像だにしていなかった国民200万人の犠牲者を出す結果になってしまった。このような戦争になぜ突入していったのか。それは、「戦争をやらない」という決断ができる勇気ある人材がいなかったためであった。施政者の皆さんが逃げまくって、問題にたいして決断する勇気を持たなかったのが原因であった。わたしには「さもありなん。現在も同じようなもの」と心から良く理解することができました。
 二つ目は、日本が大変地理的に恵まれた国である、という報道でした。日本では春になれば、国中が緑に溢れ豊かになる。春になると偏西風がヒマヤラ山脈に遮られ、南の蒸気をいっぱい含んだ空気が流れ込んで慈雨をもたらす。こんなに恵まれた国は少ないのである、という特集でした。ともすれば、日本は狭い国、資源の貧しい恵まれない国と卑下することを聞かされてきたわたくしには、目が覚めるような思いでした。
 さて、振り返って、今の新聞の問題点は、「聞く耳を持たない」点にあるように思います。
 わたしが学生の頃、関東地方で買った安物の蛍光灯を、九州に就職し、この蛍光灯を使うと、周波数の違いか何かわかりませんが、光がちらつくので、今のパナソニックにクレームの手紙を送ったのです。すると、丁寧な文字で返信が来たのです。しかも、返信元は社長室名になっておりました。まさか幸之助さんがタッチしたとは思わなかったですが、こんな小さなクレームにたいして、会社が正面から対応しようとする姿勢が十分伝わりました。大変驚き、さすがに、成長する会社は違う、ということを理解しました。
 世界的企業に成長したトヨタ自工も、品質管理部は豊田家の誰かが統括しておりました(今現在は知りませんが)
 さて、新聞についてですが、新聞社には「お客様対応室」というものがあるのでしょうか。投書欄は昔からありますが、ホンの一部の投書が掲載されますが、一般人の不満などは対象外です。新聞社は読者の不満をどのように把握しているのでしょうか。
現在東北地震の記事が紙面をにぎわしておりますが、わたしには大変不満です。なぜこういう事態になったのか、という視点で全体を見渡すような記事は見当たりません。
このような、大事件は個人では、どうしようもないものですが、新聞なら、組織的に解析できるはずです。
まず、原子炉に対する安全委員会がどのような分析をしていたのか。
東京電力の安全仕様はどうなっていたのか。
地震対応はしていたはずですが、津波対応がなされていたのか。安全基準は存在していたのか。
管制室はほぼ無難なのに、原子炉の電源はなぜすべて壊滅したのか。
別系統の電力装置に対して、安全思想が存在したのか。
東北電力にも原子炉があったのか。あったとすれば、どうしてダメージを受けなかったのか。
日本の原子炉はどうして海岸線の低地に設けられているのか。
などなど、いくらでも、疑問があるのに、新聞は毎日のテレビと同レベルの記事しか掲載していない。不満で不満で一杯で~す。
提案します「新聞社にお客様対応室」を設けよ。
提案します「新聞社にお客様対応室」を設けよ。
提案します「新聞社にお客様対応室」を設けよ。
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春愁

2011年03月26日 | Weblog
 蕪村の句、「愁いつつ岡に登れば花茨」

 この句の季語「花茨」は夏ですが、私は桜が開花するこの時期、暖かい田野を散策するとき、「春愁(しゅんしゅう)」という語句が脳裏に浮かび、同時に蕪村のこの句が頭に浮かんでしまいます。
 他のブログに「胸に憂いを秘めつつ、この愁いとは何か具体的なものではなく、「恋に恋する」といった漠然とした青春期特有の憧憬であり、哀感であろう)という感想がありましたが、私には、恋とかではなく、多分、蕪村の親しい友人が亡くなって、この友人のことを考えながらその心境を記した、という思いがいたします。
 蕪村は青春の俳人と言われますが、色恋の詩を詩っているでしょうか。蕪村の句は青春の若々しさに満ちてはいますが、もっと人生そのものを見つめているように感じます。

 ついでに、蕪村の好きな俳句をもう一句
「いかのぼりきのうの空のありどころ」
 この句は、いかにもやさしい生活の言葉でだけで、きのうと今日という時間の流れと、きのうと今日の青い青い空という永遠の空間を、生活の雑多な約束事に追われてはいても、これらのすべてを超えたところに現生があるのだ、という感覚を巧みに表現した傑作だと思います。
 
 さて本論「春愁」に入ります。この語は春のけだるい日、空は明るく、暖かく穏やかな日に、なぜか感じる淡い愁いを表しています。
 なぜ愁いを感じるのか。三寒四温という言葉があります。春は暖かい日と寒い日が繰り返し繰り返し交代しながら、桜が咲き、次第に夏に近づいていきます。春愁はこの暖かい日に感じるわけですが、その時、昨日の寒さも自然に思い出します。昨日のような寒い日に親しい人が亡くなった、もう少し生存していれば、今日のような暖かい思いをしたであろうに、本当に残念だ、という思い、それが、愁いとして感じられるのに違いないと思います。

 東北大震災に際し、多くの亡くなられた方々に哀悼の念を表します。  2011/3/26
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なつかしい女優さんも列記してみました。

2010年07月18日 | Weblog
子供のころ見た映画で、題名もストーリーも記憶にないのですが、
杉村春子の市井人の演技に感心した記憶がいまだに残っています。
・・・・・・・・
「あなたが選ぶ昭和の名女優」(朝日新聞2011/2/12)記載のランキング①~⑳を追記しました。
また、同記事を分析している映画評論家上野志氏が選んだ20位を☆で示しました。

田中絹代・⑰原節子・高峰三枝子・⑧☆高峰秀子・
☆京マチ子・久我美子・山本富士子・
月丘夢路・轟由起子・夏川静江・小暮実千代・
水谷八重子・山田五十鈴・山本安英・

⑭杉村春子・津島恵子・左幸子・
☆岡田茉莉子・③大原麗子・淡路恵子・淡島千景・
岸田今日子・加藤治子・中野良子・根岸明美・
美空ひばり・野川由美子・野添ひとみ・②☆夏目雅子・⑨☆浅丘ルリ子・
倍賞千恵子・⑱倍賞美津子・星野知子・南田洋子・三宅邦子・⑱☆太地喜和子・
飯田蝶子・井川邦子・乙羽信子・④八千草薫・山口淑子・

⑳森光子・三田佳子・宮本信子・
①吉永小百合・山本陽子・☆若尾文子・
⑥岩下志麻・☆佐久間良子・十朱幸代・夏木マリ・秋吉久美子・

⑤池内淳子・⑦大竹しのぶ・⑩松坂慶子・⑪田中裕子・
⑫市原悦子・⑬栗原小巻・⑭岸恵子・⑯竹下恵子・
⑳桃井かおり・☆高橋恵子・☆富司純子




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阪妻・エノケン・嵐寛ってご存知ですか

2010年07月18日 | Weblog
懐かしい男優名を列記してみました。
亡くなった俳優、健在な俳優それぞれいろいろの思いがいたします。
・・・・・・・
阪東妻三郎・榎本健一・嵐寛寿郎・片岡千恵藏・市川右太衛門・月形龍之介・
大河内伝次郎・高田浩吉・長谷川一夫・
上原謙・大友柳太郎・

佐分利信・三船敏郎・森雅之・宇野重吉・市川雷蔵・萬屋銀之助・
笠智衆・宮口精二・志村喬・加藤大介・清水将夫・千秋実・
鶴田浩二・佐野周二・佐田啓二・滝沢修・船越英二・
岡田英次・伊豆肇・宇野重吉・神山繁・仲谷昇・千田是也・
島田正吾・辰巳柳太郎・新藤英太郎・

石原裕次郎・小林旭・赤木圭一郎・浜田光夫・宍戸錠・佐藤慶・木村功・
芥川比呂志・江原真二郎・大川橋藏・ 芦田伸介・菅原謙治・
加藤剛・鶴田浩二・宝田明・山村総・東野英治郎・
田村高廣・田村正和・沼田曜一・萬屋銀之助・中村嘉葎雄・
山本學・山本圭・米倉斉加年・宝田明・田中邦衛・田宮二郎・

森繁久弥・高倉健・緒方拳・勝新太郎・仲代達矢・
長門裕之・津川雅彦・中井貴一・三国連太郎・山崎努・
高橋英樹・
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太郎の画像です。

2009年09月20日 | Weblog
太郎が病気になってからの画像です。
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