経営コンサルタント・経営者として多くの企業の成長や経営改革等を実践・サポートしてきた 皆木和義ブログ

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上杉鷹山と並ぶ名改革者・山田方谷の本を『藩の借金 200億円を返済し、200億円貯金した男、山田方谷』(柏書房)という書名で出版いたしました。

2017-08-10 13:50:08 | 日記




出版社の柏書房のHPは、こちらです。8月中旬頃に書店さんの店頭に並ぶ予定です。


ところで、皆様は山田方谷(ほうこく、1805~1877)という人物をどのくらいご存じでしょうか?
冠、肩書き的にいうと、山田方谷は、幕末期に財政破綻寸前の、否、事実上破綻していた譜代の備中松山藩5万石(現在の岡山県高梁市と
倉敷市の一部など)をわずか8年(実質7年間)で立て直した名藩政改革者であり、儒学者・陽明学者であり、また名財政家であり、確固たる
理念のある卓越した政治家、行政家です。
さらには、優れた哲学者であり、思想家であり、教育者でもあります。
徳川幕府最後の筆頭老中・板倉勝静(かつきよ)を支えた補佐役であり、備中聖人、東洋の英傑、地方創生の達人といわれたりもします。
このほかにも方谷にはもっとたくさんの冠が付けられることでしょう。

ローカルな地方の山間部の小藩の重臣、優れたリーダーでしたが、この当時稀なほどの世界的視座、グローバル意識をもっていました。
現代的にいえば、卓越したグローカルリーダーといってもいいでしょう。

碩学として著名な陽明学者の安岡正篤先生は、山田方谷について、ご著書の中で、
「古代の聖賢は別として、近世の偉人といえば、私はまず山田方谷を想起する。この人のことを知れば知るほど、文字通り心酔を覚える」
と述べておられます。
それほど偉大で素晴らしい人物がこの日本にいたにもかかわらず、現在それほど全国的に知られていないのはまことにもったいないことと
言わざるを得ません。
その意味でも、山田方谷をNHKの大河ドラマ等々で取り上げていただき、日本中の多くの方々にその素晴らしさを知って頂きたいと思うのは
過分な願いでしょうか。

さらに、安岡正篤先生は
「方谷のような達人・実際家の信念や論説や考え方を学ぶことが現代の様々な課題を解決するのに大変参考になる」と述べておられます。
私もまったく同感に思いました。

そのような思いが長年ずっとあり、今回、山田方谷のことを本書のような形で上梓させていただきました。


江戸時代屈指の藩政改革者の山田方谷については数多の優れた研究書や先行書がある中で、本書は方谷の「生き方」「考え方」「働き方」、
「藩政改革」を中心に、それらをいかに現代に活かしていけるのか、また、現代との共通性など、専門性と分かりやすさの両立とともに、具体
的でわかりやすい現代の我々に役立つ本、「現代の様々な課題を解決するのに大変参考になる」本を目指して執筆させていただきました。


山田方谷の「生き方」「考え方」「働き方」、現代にも通用するどのように自分を磨き高めて世に出たかについては、本書を読んでいただければ
と存じますが、「士民撫育」と「至誠惻怛」の精神で行った全藩士と一丸となった藩政改革のポイントについては、次のような項目です。

(1)上下節約
(2)負債整理
(3)産業振興
(4)藩札刷新
(5)民政刷新
(6)文武奨励(教育改革と軍制改革を含む)


方谷が目指したのは、経済再生と財政健全化を両立させ、全藩士・全藩民を物心両面で幸福にし、備中松山藩を名実ともに豊かな強藩に
変革することでした。
方谷は、全藩士と一丸となってこれらの6つ改革を成功させることによって、見事に備中松山藩を復活させ、同時に、未来のビジョン実現に
向かって成長戦略を強力に推し進め、実質20万石の富国強兵の藩、富国有徳の藩につくりかえました。
世界的視野をもった優れたグローカルリーダー、卓越したディレクターでもある方谷の哲学や理念、考え方や戦略は、経営改革やマネジメ
ントのみならず、現代の日本の政治や経済政策や日本再興戦略などにも大きな成功のヒントを与えてくれることでしょう。



【方谷が全藩士とともに一体となって藩政改革を行った備中松山藩の備中松山城】

近年、備中松山城は、天空の城としても著名になっています。
備中松山城の公式動画は、こちらです。
また、ユーチューブでもこちらなどで紹介されています。
高梁市は小京都といわれる魅力と歴史と風情を感じさせてくれる静かなたたずまいのまちです。



【方谷が主導した「産業振興」に大いに貢献した銅山とベンガラの町・吹屋の現在の街並み】

方谷は「産業振興」のなかで、数々のイノベーションを起こしました。約170年前に、いわゆる製造小売業のSPA、
6次産業化、直販体制の構築、流通の革新(流通革命)、ブランディングなど様々なことを行っています。
今も昔もいつの時代もその時代におけるイノベーションが成功の秘訣であることの好例といっていいかもしれま
せん。
吹屋地区はユーチューブでもこちらなどで紹介されています。



【方谷が思索を深め、また、政務もとったといわれている頼久寺の美しい庭園】

この頼久寺庭園は徳川幕府3代将軍・徳川家光の茶道師範も務めた小堀遠州作庭の庭園と伝えられています。
「それ善く天下の事を制する者は、事の外に立ちて、事の内に屈せず」、「義を明らかにして利を図らず」、「利は
義の和なり」等々と、方谷はこれらについて思索に思索を重ね深めたことでしょう。
頼久寺庭園の公式動画は、こちらです。




【方谷が生まれた(高梁市の)西方村の生家跡周辺の現在の風景】




【方谷の菩提寺の名刹、曹洞宗 定光寺】




【全国でも珍しい山田方谷の人名のついた伯備線の方谷駅】


方谷の駅名が付いたのは、当時の高梁市の方々の方谷を思う熱い思いがあったからです。
現在はひなびた小さな無人駅ですが、見るたびに当時の人々の方谷への尊敬と感謝の思いを感じます。

かつて、この方谷駅のすぐそばに、山田方谷の長瀬塾(兼 開墾屋敷)がありました。
方谷は山深いこの地でも教育立国を目指したことでしょう。
そして、方谷のことを生涯にわたって神のごとく崇め続けたという越後長岡藩(現在の新潟県長岡市)の
河井継之助が1859年(安政6)に訪れ、学び研鑽を積んだ地でもあります。
方谷の藩政改革成功の盛名が日本中に広まり、河井継之助をはじめ全国各地から多くの俊英が千里の
道も遠しとせず、方谷への入門、教えを求めてやってきたわけです。


また、方谷は星の名前にもなっています。
「山田方谷」と名付けられた小惑星(15202 Yamada-Houkoku (1977 EM5))です。
日本には古代より数多の偉人がおられますが、世界的に認められた惑星の名前にまでなっている人は少ないのではないでしょうか。



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