中国西安で奮闘する大学教師Mの日々

日本人教員として中国の山東省済南市の大学生・大学院生に対し、「日本文化・社会」や「小論文・論文」などを教えています。

今年も無事終わり(年越しは青島で)

2014年12月31日 08時54分39秒 | とりあえず日記
本日が大晦日、2014年もいよいよ終わりです。
馬から羊への年越しは青島で過ごすことにしました。

せっかく山東省にいるので、青島の歴史建築を見て回り、青島の規格展覧館にて、青島の発展の歴史を学んでくるのが目的です。
ドイツだけでなく、日本との関係も深い青島の近代の歴史を、実際の目で見て感じてこようと思っています。
現在抱えている研究の仕事を持っていかないといけないのが痛いところですが。

済南に帰ってきたら新年。
次回のブログは2015年の目標を書きながら、青島の写真をご紹介する予定です。


それでは皆さん、よいお年を。
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上海でお世話になったI先生のこと

2014年12月23日 02時20分27秒 | 中国での外教職に関わること
私は2009年に中国に来ましたが、これまで安徽省に二年、上海三年、現在は山東省の大学で働いています。
その間、本当に数え切れない中国で活躍する日本人教員の方々と縁を得てきました。
そこで今後、このブログを通じて中国で縁を得た日本人教員の方を順次ご紹介させて頂くことにしました。


その第一回目は、上海時代に大変お世話になったI先生です。

私の安徽省時代は日本人教員の仕事が何で、どのような授業をすべきか手探りのまま二年がすぐ過ぎ去りました。
ただ、いい意味で地方の大学であったため、学生はどんな授業でも一生懸命で、こちらに遣り甲斐は感じられました。
そして、自身の研究活動のために選んだ次の勤務地、上海の大学で働いていた時に縁を得たのがI先生でした。
2011年9月当時、I先生は上海外大で日本人教師に着任したばかり、私は華東理工大に着任したばかりでした。

上海へ異動して以降、中国の地方大学とは何もかもが違い、日本語教育素人の私は再び苦労することになりました。
もがき苦しむ時期、私の心の中には二つの相反する感情が何度も出ては消えていきました。

一つは、「俺は博論を完成させる環境を得たくて上海の大学を選択したんだ。授業が下手でも今は無視しろ。研究優先だ

もう一つは、「いやいや、そんなわけにはいかんでしょ。そんな中途半端な仕事じゃ、研究だって大成しない。まずは仕事優先だ

結局、後者の感情を優先し、私は学期期間中は研究を無視し、当面は仕事だけに専念することにしました。

上海に移って暫くしてからは、自分自身の授業力を上げたいと考え、上海の日本人教員が学びあう教師会に参加することにしました。
そして、その上海教師会こそが、I先生と直接知り合うきっかけになった場所でした。
その頃、上海教師会では年に二回ほど開催される定例会に加え、自主的に有志の教師が集まって勉強会を開くようになっていました。
この勉強会の発起人の一人がI先生であり、もう一人がドイツの大学院で日本語教育を学んできたという若手のK先生でした。

この二人の呼びかけに、上海だけでなく、上海周辺の各学校で教える日本人教員が集まり、毎回10-20人ほどの先生が見えていました。
私は特に用事がない時は毎回顔を出し、日本人教員達の実践、経験、様々な思いや考えを、この場で吸収してやろうと考えたものです。
当時、各先生方の発表に対するK先生のご指摘は大変鋭く、「これが専門で勉強してきた人の視点なんだな」と触発されたのを覚えています。
そして、I先生は各先生方の報告をいつも静かにうなずきながらじっと聞いており、時折、穏やかな口調でご質問されるのが印象的でした。

ズバッと本質部分をえぐるK先生と、それを静かに見守るようなI先生というお二人の組み合わせもよいバランスだったのでしょうか。
勉強会はその後も継続され、結局、私が上海を去るまで毎回定期的に開催されていきました。


いつだったか、そんなお二人と一緒に教師会の帰りに喫茶店により、お話しさせていただく機会がありました。
私がI先生に「最近、お忙しいですか」と聞くと、I先生から「はい」という一言が返ってきたのを記憶しています。
後で詳しく聞くと、I先生は週30コマ(45分が1コマ)を超える授業をこなしたと分かり、ただただ驚いたものです。
(※なお、中国の大学では日本人教員の週ごとの授業数に上限規定があり、規定超過分は別途、給与の支給が義務)
普通の日本人教師はその半分か、それ以下ですから、いかに多い授業を担当されていたかが分かると思います。

それら授業に加え、週末も自らが先導となって勉強会をし、大学では日本語コーナーもされていたと言います。
また、日本語スピーチコンテスト常連校の上海外大は頻繁に大会に参加するので、その指導も多いと聞きました。
ですが、いつ会っても穏やかな笑顔と物腰の低い態度で、「大変」などと口に出されることはありませんでした。

ただ今思えば、I先生は勉強会には必ず参加しても、その後の打ち上げはほぼ欠席し、帰宅されていました。
口に出さないだけで、実際には相当お疲れだったのではないかと思います。
私にはとても出来ないことです。


日本語教育の素人である私が、何とか上海の大学で教えることができたのは、あの勉強会の存在が大きかったと思います。
だからこそ、その会を立ち上げ、運営を一手に担ってくださったI先生には大変お世話になりましたし、感謝しています。



そんなI先生は大学でも学生から慕われていたことを、先日、ある記事から知ることが出来ました。

上海外大のHPのある記事
http://culture.shisu.edu.cn/xrlm/2014/2014,xrlm,023600.shtml

記事によれば、I先生が学生達に対して一番おっしゃっていた言葉が“頑張りましょう”(一起加油吧)だったとあります。
学生の閲覧数が他の記事よりも圧倒的に多いこと、また、記事内容からも学生から信頼され、慕われていたことが伝わってきます。
それにしても、学生達はよく教師一人一人を見ているんだなということも、この記事を見て教わりました。

日本へ先にお帰りになったI先生ですが、私が本帰国が決まったその時には、必ず会いに行きたいと思っています。
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「大学の規定」とはいえ、何でも受け入れるわけには・・・

2014年12月20日 23時27分59秒 | 中国の大学、大学生
私の大学は既に試験期間に入っており、私は今学期の授業は全て終わりました。
(なお、別の大学で担当している院生授業は来年も続く)

私の担当科目の試験は今週・来週で全て終わり、その後は採点作業になります。
今学期はこれまで四科目の試験問題を作成してきました。
その中で面白エピソードというか、「ちょっとそれは…」という体験をしました。

どの大学でもそうですが、試験には色々と「規定」があり、原則的にはそれに従わないといけません。
私も安徽省、上海市の大学で勤務してきましたが、基本的にその「規定」通りにしてきました。
そして、こちらの大学でも試験の「規定」を事前に聞き、そのとおりに試験を実施する予定でした。

すると、一つだけ「ちょっとそれは…」という「規定」があったのです。
それは、

「どの試験であっても、問題用紙・解答用紙を作成し、学生には筆記形式で解答させること」

というものでした。
確かに、これは通常の科目試験であれば通用するのですが、会話試験では適用が難しくなります。
そもそも、会話試験は口頭で行うものなので、筆記試験は適さないからです。
しかし、これまでこちらの大学では「規定」に従い、教師皆が筆記試験を実施してきたといいます。
なお、真面目な先生は「会話の筆記試験」とは別に、授業内で口頭試験も実施して成績を出したとか。

これを聞いた時、「ちょっとそれは…」と耳を疑ってしまいました(苦笑)
筆記試験でどうやって学生の会話力をはかるのか、その方法が全くみえなかったからです。
また、筆記試験と別に口答試験を実施するのも学生の負担を増やすので、好ましくないと感じました。

そこで、日本語主任に連絡をし、学生の会話力をきちんと判定するには口頭試験が何より欠かせないこと、
加えて、仮に筆記試験をすると場合、学生の負担は増えるだけでなく、その方法では会話能力は判定できないと伝えました。


さて、その訴えに対する主任の反応ですが…

「分かりました、大学に聞いてみましょう。」

と快く対応してくれ、数日後、「大学側に先生の要求は通ったので、口頭試験だけを実施して下さい」と返事がきました。
「うん、常識的に考えればそうだよな」という思いが半分と、「正しいと判断した要求はすぐに受け入れてくれる大学はいい」という思い半分でした。
何より学生のことを考えれば、口頭で試験を実施するのが望ましいのは明らかなので、会話試験の形式が今後も変わることは良かったと思っています。
実際、学生も「これまでなぜ会話の筆記試験をしたのか分かりませんよ」と口にしており、学生側にも不評な試験形式だったことが分かります。

これまで、私は大学側にガンガン自分の要求を言ったという経験はありません。
しかし、「明らかにこれは…」と思ったことは、それが変更可能なら変えていくことが必要ではないかと思っています。
確かに「大学の規定」と言われると黙りたくなってしまうのですが、完全でないことは結構あったりしますので(苦笑)


口頭試験のお陰か、口頭試験のせいでか(汗)、ともかく今回の口頭試験により、学生の会話レベルに格差が存在することは明らかになった気がします。
良くできた学生はこの調子で頑張ってほしいですし、今回「惨敗」をした学生はこの冬休みにきちんと復習をしてほしいと期待します。
そして、私はもっと学生が興味を持ちやすく、かつ、日本語運用レベルを引き上げられる授業をつくれるよう、準備したいと思います。

教師も学生も皆、それぞれの目標に向かって過ごす冬期休暇…
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ここ数日、山東済南市でのこと(12月10日-16日)

2014年12月17日 01時50分15秒 | とりあえず日記
12月10日(水)
午前は木曜日の院生授業(外部出講)の準備など。
午後は学部授業が一コマ。
なお、冬に入ってから皮膚炎が悪化(毎年冬の恒例に?)
特に、山東省済南は乾燥がひどく、それも関係しているのかも。
そのため、禁酒と食事制限でややストレスを感じる。


12月11日(木)
5時半に起床し、山東師範大学の院生授業へバスで。
昼前に授業を終え、院生達と学食で食事。

その後、一人でタクシーに乗って、経二路周辺を散策。
ここは済南の近代以降の歴史建築が多く残る場所。
旧高島屋出張所や旧横浜正金銀行の建物などを散策。
せっかく済南にいるので、一つ研究課題を設定できないか現在、思案中。
帰宅後は大学の仕事。


12月12日(金)
この日は気力不足で、一日仕事をダラダラと進めながら過ごす。
学期末になると陥りがちな症状なのだが、今年は大きな体調不良がなく、ここまで来られた。
異動したばかりであるが、意外と順調に来られたことは良かったと思う。

ちなみに、この時期には来学期の大学の授業計画が決定する。
私は今年担当した大学2年生に加え、来学期は「3年生も担当してほしい」と主任から頼まれた。
(今学期3年生を担当した、もう一人の日本人外教が引き続き担当するのが自然だとも思うのだが…)
加えて、今学期と同様、山東師範大学へも出講することを頼まれ、授業は更に増える結果に。
お陰で色々と「手当て」は増えるが、それよりも正直な話し、研究時間を頂きたいのが本音。


12月13日(土)
この日は済南の各教育機関で日本人教員をしている方々が集う忘年会。
市内の日本料理店で3時間ほど。
様々なバックボーンを持っている先生方がいて面白かったが、忘年会という場もあってか、日頃の教育関係の話題はほぼなし。
逆に、当日話題にのぼっていたのは、例の南京に関するニュースの中国での報道や、それに対するやや熱を帯びた意見。
(事件の発端となる南京陥落は1937年12月13日、つまり77年前のこの日。なお、中国では今年から12月13日が「国家追悼日」 に)

このニュースを特集した中国側のHP
http://sh.qihoo.com/zt/njdtsgjr.html#zhanfan

日中関係が良くない時期に中国、特に済南のような中国の地方都市に来た日本人は、やや強めなナショナリストになる方が多いのかもしれない。
(上海でもこのような傾向は見られたが、結構冷静に事態を見ている日本人も多かった)

それはともかく、授業現場ではこんな実践をしている、この課題はどうすればよいのかなど、教師同士が議論する場が別に欲しいと改めて痛感する。
夕方から研究関係の用があって、先に帰宅。


12月14日(日)
午前中は第二専攻の授業(この日が今学期最後)。
授業後、学生と食事。
午後からは、二年の学生達と市内の泉城広場へ。
週明けから行う、学生達との日本料理を作る活動の材料を買うため。
帰宅後は夕食、疲れたので早めに就寝。


12月15日(月)
午前は一コマ。
午後は試験監督一コマ、授業一コマ。
午前と午後の会話授業では、今学期最後だったこともあり、「来年の抱負」を発表してもらう。
試験監督は、私が担当していた四年生の授業の試験。
かなり難しかったようで、試験中、ペンが止まる、頭を抱えている学生がチラホラ。
しかし、私からすればあの程度が出来ないと四年間日本語を勉強したとは言えないと思う。
半分以上の学生達には厳しい試験だったようだが、「愛の鞭」と感じてくれれば。


12月16日(火)
午前は来週の試験問題作成。
作成後は主任に送付。
午後はずっと試験監督をする。
私はそのつもりはないのだが、試験監督になると急に厳しい表情になるらしい(汗)
試験後、数人の学生達にそのことを指摘され、仕方ないと思う反面、少し反省。
けじめは大切だが、緊張させすぎはかえって逆効果、気をつけないといけない…
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高いアンテナを持っている大学生かどうか(先日の就職講座から)

2014年12月08日 07時27分44秒 | 中国の大学、大学生
12月4日(木)、済南大学で日系企業の人事の方を招いて、就職講座を行って頂きました。
お願いした日系企業はNECソリューション様で、その中国の済南支社(正確には、現地法人)の人事部長さんをお招きしました。

済南に来てから月日は経っていませんが、狭い地域なので知り合いの数は上海よりも効率よく増えています。
そこで出会った一つのご縁を活用して、今回、済南大学の日本語科学生対象に就職講座をお願いしたのです。
(この件を相談した際、すぐに教室の手配や講座後の宴席などを手配してくれたL主任には感謝)

当日は大教室(100人程度を収容)が満席になるほど多くの学生が来てくれました。
そして、当日の講座では、日系企業が必要とする人材について幅広く語って頂きました。
いわゆる、就職本に書いてあるような‘就活テクニック’ではなく、就職活動に対する心構えに関する内容も含まれ、より本質的な内容でした。
元々、私も表面的なテクニックを聞くのではあまり意味はないと思っていました。
ですから、大変有意義なお話しをして下さったF人事部長にはただただ有難いと思っています。

なお、今後はこうした企画を済南大学単体ではなく、済南市の大学・日系企業が共同で開催できないかと考えています。
そうした提案をF人事部長にすると、「是非やりましょう」とのお返事を頂きました。


ちなみに、この講座後、F部長が私におっしゃった印象的な一言がありました。
それは、

「相当沢山の多方面からの質問がされるだろうと考え、こちらも準備して講座に望んだのですが、出された質問は意外と…でしたね」

でした。
これは「講座後の学生達からの質問が比較的控えめ」だったことに加えて、「それぞれの質問内容に鋭さがない」という意味の言葉でした。
確かに、質問の中には「それをこの場でわざわざ聞く必要があるのかい」と言いたくなるものも多少含まれていました。
ですから、私も部長の言葉にただただうなずくしかありませんでした。

確かに、こちらの学生達はまじめな学生が多く、性格も素直で純粋な学生が多いのが特徴です。
ただ、その一方で、見ている世界がやや狭いというか、固定した見方が強いというか、かれらの‘視野’に小さな疑問を感じていました。
もし、視野が卒業後をきちんと見据えている学生達であれば、こうした貴重な機会を見逃すまいと質問を事前に考えておき、
それらを次から次へと質問攻撃したのではないかと思います。
また、仮に100人という大人数の前で質問するのが恥ずかしいのであれば、講座後、教室に敢えて残っているF部長に自分から話しかけにいったはずでしょう。

しかし、そうした学生はほぼいませんでした。
また、「鋭い質問だな」とか、「きちんと事前に考えておいた質問だな」と感じさせた学生質問はほぼありませんでした。

アンテナを様々なところに張り巡らしている学生は、貴重な機会をものにしようとします。
しかし、様々な情報や社会の流れをキャッチするアンテナが低い学生は、目の前のチャンスを見逃す可能性を高めます。


いくら貴重な機会があっても、最後はそれをものにするかしないかは自分自身が決めます。
大学生は院生にならない限りは最後の学生という立場であり、卒業後は社会人デビューしないといけません。
そこでの自分の青写真をどのように描き、目標をどこに設定するかで大学生活何をすべきかが決まります。
逆に、自分の「出口」が明確でない、或いは、視野が狭い学生は、良くても大学で与えられた課題を我武者羅に頑張る勉強家にしかなれません。
そのような学生は与えられた課題がある間は力を発揮しますが、自分自身で考えて決定・進路を模索しろ、と言われると途端に迷ってしまうことが多いようです。
よって、勉強家であることは当然重要なのですが、それだけでは卒業後、それまでと全く違う社会人という世界で右往左往する可能性が結構高い印象があります。

もっと中期、長期的な視野にたって、自分自身の進路・目標を見定め、その中で今何をすべきかを考えて生活していく必要があると思います。
そして、恐らく、そうした学生はアンテナが高い学生になりうる可能性を大いに持っていると私には感じられます。

大学の一教員としてはどこまでかれらにコミットすべきか迷うところですが、かれらのアンテナをどのように高くしてあげられるか、ここには多少はコミットしたいと考えているところです。
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