中国西安で奮闘する大学教師Mの日々

日本人教員として中国の山東省済南市の大学生・大学院生に対し、「日本文化・社会」や「小論文・論文」などを教えています。

今日から労働節休暇へ(中国)

2013年04月29日 16時19分41秒 | Mの研究活動や成果
4月29日から5月1日の三日間、中国は労働節休暇。
所謂、GWに突入です(日本よりも短めですが)。

中国では29日(月)、30日(火)が平日にあたるので、その分の仕事を振替えることが決められています。
具体的には、29日の分は27日(土)、30日の分は28日(日)という具合に、前の週末で行わないといけないのです。
これは大学も同様に、上記の具合で授業を振替で実施しないといけないことになっています。

日本では連休に土日を挟めばその分、ただ連休が長くなるのですが、中国は違います(涙)
ちなみに、現在のインフルエンザの影響でこの休暇の旅行客数は減少が予想されていると報道が出ていました。
ですが、こちらで生活している感じではあまり敏感になっていない印象を持ちます。

実際、旅行に出かけたりした学生や留学生たちの情報を幾つか耳にしました。
マスクをしている人々も一時増えた印象があったのですが、最近はあまり見なくなった感じがします。
中国でも当然、インフルエンザの心配はしているのですが、日本よりも敏感にとらえていないようです。


なお、労働節ということで、大学構内にはそれを祝うのぼりなどが出ています。


休暇にはいったせいか大学構内はやはりゆっくりとした雰囲気で、落ち着いて研究が出来ます。

私はこの三日間、ずっと某計画書(字数は約二万五千字)と格闘して、仮完成をさせる予定です。
この計画書は、今後、私が新しく進めようとしている研究課題をまとめているので、非常に重要です。
もし、時間が余れば5月の日本での学会発表準備をする予定ですが、どこまで出来るかは正直…
なお、5月下旬には上海の国際シンポジウムでも発表させていただくことになりそうで、その概要も事務局に届ける予定。

ですから、仕事のことは暫く忘れて、研究活動だけに没頭する三日間にしたいと思っています。
私の場合、研究活動をする時は誰とも会わずに、とにかく研究だけに向かいあわないとなかなか進みません。
そのため、明日、学科主任H先生宅で皆で食事をしようとのお誘いもお断りしました。


とにかく、この三日間は勝負の三日です!
我会努力!!
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

中国の麻辣香鍋(マーラーシャングオ)を食す!

2013年04月27日 03時58分56秒 | 中国でのグルメ
最近は某計画書の執筆に追われていて、仕事以外はずっとそればかりやっています。
本日は四年生の卒論指導以外は仕事がなかったので、ずっと自宅に籠っていました。
ここ数日、こればかりやっていますがなかなか進まず頭を抱えています…。


というわけで、息抜き?にブログを更新します!
本日は中国のグルメネタです。

最近、私がはまっているのが麻辣香锅(マーラーシャングオ)です。
鍋といってもスープはほとんどなく、具材(野菜や肉類)に少なめのスープが絡まっているのが特徴です。
スープの味は結構味がしっかりしていて、ニンニクが効いていてパンチがあり、かつ、辛めです。

具材は自由に選べるのが一般的ですが、
・野菜→ 白菜、ホウレンソウ、レンコン、シイタケ、レタス
・肉類→ ベーコン、(どこかの)内臓、肉団子
などを入れるのが一般的のようです。

特に、大学構内の第一食堂で食べられる麻辣香锅がお気に入りです。
昨日は四年の学生と一緒に出かけ、本日も卒論指導の後、一人で食べに行ってしまいました。

食堂の売り場はこんな感じで、常に客がいっぱいです。


ここで鍋に入れる具材を自分で選びます。


基本的に具材は野菜コーナー、肉類コーナーの二種類に分れています。


それらを選んでから、受付にだした後、コックが具材を調理してくれます。
私は持ち帰りにしたのですが、容器に入ってきた麻辣香锅がこれです。
これにご飯がついて、値段は30元程度でした。


ニンニクの効いた辛めのスープで炒めた野菜や肉がいい具合にマッチしています!



ビールを飲みながら、これを食べると最高の相性で、食欲をそそります。
辛い料理なので私は毎日のようには食べられませんが、急に無性に食べたくなる味、それが麻辣香锅です。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

中国の「八○后」・「九○后」が今後、中国社会に与えるインパクト?

2013年04月24日 18時30分08秒 | 現代の中国社会
唐突ですが、皆さんは「八○后(バーリンホウ)」という中国語を知っていますか。

これは中国で、1980年代生まれの人を指すものなのですが、その前の世代との特徴の相違、その断絶性を強調してこう呼ばれます。
なお、1990年代生まれの人を「九○后(ジョウリンホウ)」と呼びます。

では、「八○后」とは具体的にどういう世代なのか。
まず、この世代は文革世代の子供にあたり、一人っ子のはしりにも該当します。
かれらは、

(1)幼い時より親の愛情を一身に受け、「小皇帝」と揶揄されるように忍耐力や協調性に欠ける部分を持つ。
(2)それ以前の世代と比較して教育水準が概ね高く、右肩上がりの生活を享受してきた。

ことなどが特徴とされています。
言い換えれば、それまでになかった中国の新人類的存在と考えればいいでしょうか。

ちなみに、「八○后」は二億人強、そして「九○后」は二億九四○万人強とされています。


最近、ネットで「九○后」に関する記事を見つけました。

“日本化”する、90年代生まれの中国男子
http://newsbiz.yahoo.co.jp/detail?a=20130418-00013714-toyo-nb&p=1

この記事によれば、「九○后」の特徴としては「金遣いが荒い」、「ハングリーさが弱い」、「上昇志向が弱い」などが挙げられていました。

これらの点に関して、私は上海生活の中で多くの「九○后」の学生達と触れ合っている経験から多くの点で賛成できます。

ただ、もっと正確に言えば、ここで私がいう「九○后」とは上海のような大都市の若者を指しています。
少なくとも、この広大な中国では大都市を離れ、農村部や内陸部に行くと、同じ「九○后」でも随分雰囲気は違います。
農村部や内陸部では、「ハングリー」、「上昇志向が強い」若者たちを私は多く目にする機会がありました。
ですから、「八○后」・「九○后」という中国の若者の特徴を全土で一様であるなどと考えてはいけません。
(もっとも、こうした特徴は都市部から徐々に農村部や内陸部へも拡大していく社会現象なのでしょうが)


なお、この記事には、「九○后」が「これまでの世代とはまったく異なるマインド」を有するといった認識も示されています。
つまり、この世代の価値観が多様化し、社会を違う面からとらえようとしているというのです。
私はこの点に関しては「九○后」だけでなく、「八○后」にもあてはまるのではないかと考えています。

所謂、「八○后」以降の世代は大半がネットユーザーで、ネットから様々な情報を入手しています。
よって、一つのイデオロギーに影響を受けるということはほぼ不可能な状況にあり、そうした統治はなかなか難しくなっているといえます。
こうした実態は、やはり私の中国の大学教師生活で「八○后」以降の世代の若者と触れ合う中で日々感じていて、強い実感があります。

ですから、この世代が今後、中国社会のなかで主流となった時、大きなインパクトとなり、これまでと異なる価値観・力学で動いていくのではないかという識者の声もあります。
そうなった時、中国の社会統治手法のあり方はどう変化をしていくのでしょうか。
その具体像は私には分からないものの、高い確率で変化していくのではないかと思われます。


いずれにせよ、こうした新しい特徴を有する中国の若者世代によって中国社会は徐々に、そして確実に変化を続けています。
現在、日本で語られている中国社会論・中国人論も、こうした若者世代の台頭にもっと目を配りつつ、きちんと実像に迫っていくべきでしょう。

今後、現在の中国、また将来の中国社会を考えるうえでも、「八○后」・「九○后」世代からは目が離せません。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

大学院時代の同級生と上海で再会

2013年04月21日 22時17分41秒 | とりあえず日記
まず、四川省での地震について。
地震が発生以降、ずっとニュースに注意し、その悪化していく状況を心配しています。
被害状況はまだ増えそうだとの報道ですが、これ以上被害が拡大しないことをまず祈ります。
そして、被害にあわれた方々の生活が一日も早く復旧していくことを祈念します。



さて先日、僕のパソコンに一つのメールが届きました。
相手は大学院時代からの友人で、中国人留学生のYさんでした。
その内容は「週末に上海に行くので会いましょう」というものでした。

Yさんは僕と同じ年に同じ大学の同じ研究科に入学し、そのまま博士課程へ進学。
そして、そのまま論文を書き、同じ年(しかも同じ9月)に博士課程を修了しました。
修士課程時代は同じゼミにも参加していたこともあり、よく一緒に飲み、話しました。
そして、研究のことや将来の進路などを色々と語り合いました。

なお、Yさんは既に結婚し、中学生のお子さんもいるので僕の大先輩。
ですが、大学院時代は同じ院生として、友人の付き合いを続けてきました。

Yさんの専門が経済学、私は歴史学と専門こそ違いますが、それ以外は同じ部分が多いということで少なくない縁を感じていました。
今回Yさんが上海に来た目的は私的なものなので今は書けませんが、この機会を利用して久々に上海で再会することができました。



場所はYさんが朝鮮族ということもあり、徐家汇天钥桥路にある韓国料理屋を予約しました。



気のおけない友人との再会で、鍋を囲みながら、久々にビールを飲みすぎました。
色々と興味深い、或いは、嬉しい話題が出ましたが、詳しい話はここでは割愛します。

とにかく今夜は本当に楽しい時間を過ごせました。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

卒業写真(日本語科の教え子たちと)

2013年04月20日 03時04分16秒 | 中国の大学、大学生
4月19日(金)

今年6月に大学を卒業していく外国語学院の四年生達の合同卒業写真を撮影する日でした。
曇りのち雨という予報でしたが、陽光がさんさんとふりそそぐ陽気となり、安堵しました。

大学の芝生の綺麗な中央広場で学生達、先生達が昼過ぎに集まって撮影が開始。

まずは、外国語学院全て(日本語科、英語科、ドイツ語科の三学科)の教員と学生との合同撮影。
次に、各学科の教員と学生達との合同撮影をするという順序でした。

それが全て終わると、今度は学生達は思い思いに自由に友達などと一緒に記念写真を撮っていました。
なお、この大学は昔からの習慣なのか、合同写真の後に学生と教員が一緒に写真をあまり撮りません。
この日もそんな雰囲気で、撮影を終えた先生方は、

「M先生、もう終わったので帰りましょう。お疲れ様。」

と言って、早々に帰ろうという雰囲気でした。
そんななか、ありがたいことに学生達から一緒に写真を撮ろうと誘ってくれました。

なんだかんだで相当な数の写真におさまったと思います。
その内、数人の学生達が既に写真を送ってくれました。
ここで、それらの幾つかを紹介したいと思います。

まず、男子学生達と一緒に(私は一番左)。


この後、スーツの上に何故か学士服を学生達に着せられました(笑)
しかし、思えば大学院博士課程修了式には仕事で日本に帰れず出席できていませんでした。
ですから、初めて教え子達と一緒に、上海で自身の修了式が出来たような気分にもなれました。

学士服を来て日本語科の学生達と私で集まって撮ったのがこれ(私は二列目の真ん中)。


それから、それぞれの学生と。


そして、毛沢東さんの銅像前で別の学生達と。



最後に、私と写真を一緒にとった学生の皆さん。
それらの写真は大切な僕の思い出でもあるので、是非僕にも送って下さいね。
待っています!

yoshiitem1008@yahoo.co.jp
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

お知らせ!(5月の学会報告詳細)

2013年04月19日 21時21分56秒 | Mの研究活動や成果
以下の日程で学会報告を行います。
日程、場所、報告者等の詳細が決まり、その連絡が学会からありました。
一応、報告者の一人として、このブログでもお知らせをさせて頂きます!



千葉歴史学会第32回総会・大会のお知らせ

日時  2013年5月19日(日)午前9時30分より
場所  千葉大学大学院人文社会科学研究科棟1階
マルチメディア講義室
(千葉市稲毛区弥生町1-33千葉大学内)
交通:JR総武線西千葉駅下車徒歩約10分
京成千葉線みどり台駅下車徒歩約5分

日程
 総  会  9:40~
 研究報告 10:30~
①神郡とは何か ―香取・鹿島郡を事例に―
有富 由紀子氏(東京女子大学)
②鎌倉府軍事制度小論―戦功認定システムを中心に―
呉座 勇一氏(東京大学)
③近世後期関東在方町における「町」組織の運営と機能
―下総国香取郡佐原村・新橋本町を事例に―
酒井 一輔氏(伊能忠敬記念館)

≪昼食・休憩≫(12:30~13:30)

研究報告 13:30~
④1949-1966年における日中間の民間交流の動向
―その役割と意義を中心に―
三村 達也氏(〈中国〉華東理工大学)
⑤学校現場におけるオーラルヒストリーの教育的効果と
今後の展望について
~過去12年にわたる祖父母からの
聞き取り調査の実践から得られたもの~
神山 知徳氏(昭和学院中学校高等学校)
⑥「水害の分配」を可能にする地域社会の納得の論理
  ―利根川・布鎌地域の水防慣行の検討から―
金子 祥之氏(早稲田大学大学院)

記念講演  15:30~
  講演者  安在 邦夫氏(早稲田大学名誉教授)
演題「自由民権運動から福島第一原発問題を考える」

懇親会    17:30~
(場所:千葉大学 社会文化科学系総合研究棟1階
グラデュエイト・ラウンジ)
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

実に種類が豊富な中国のお粥

2013年04月17日 04時02分47秒 | 中国でのグルメ
朝の4時、水曜が授業がないので徹夜で大学の授業準備などの仕事をしています。
これから少し休んで、一日上海図書館で自身の研究課題を進める予定です。

来週は今学期の9週で学生達は大学の中間試験、僕も学生達に負けずに頑張ろうと思っています!


さて最近、中国の出前にはまっている私ですが、先日はお粥専門店に出前を頼みました。
12元(約60円)という大変安い価格にも関わらず、お粥を寮の玄関まで出前してくれました。


届いた時は、こんな感じで袋のなかにカップになみなみとお粥が入れられています。


トッピングで漬物も一緒に注文しました。


肝心のお粥の種類は、ホーレンソウとレバーのそれ!


日本では想像も出来ない組み合わせだと思いますが、これも実に美味しいのです。
お粥=病人の食事、と思われることが多い日本の食習慣とは違い、日頃誰にでも食べられているのが中国のお粥です。
(中国の華僑が日本へやってきてお粥屋を開店した際、この日本の食習慣のせいでなかなか客がこなかったというエピソードも)
そのため、お粥の種類が実に豊富で、かつ、美味しいというのが中国のお粥の特徴でしょう。

ピータンと鶏肉のそぼろのお粥などは私の大好物です。
また、貝柱のだしを効かせたお粥なども好きです。

ちなみに今回のお粥ですが、全くレバーの臭みもないですし、大変あっさりとしている味付けでした。
また、時々注文してみようと思っています。


何かお勧めのお粥の味(種類)があれば教えて下さい!
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

中国の「国際化」、日本の「国際化」との違い

2013年04月14日 19時26分06秒 | 中国の政治、経済
今週末、中国では大学院入試の結果が出ました。
私の現在の学生、また元学生共に数人が大学院へ進学を希望していました。
結果、今の教え子は華東師範大、元学生は上海師範大と共に上海の大学へ合格しました。

先日、そのお礼をいう電話やメールを学生達からもらい、私もほっとしました。
なお、現在教えている学生達は、既に推薦入試で数人が合格を決めていました。
以前教えていた学生達のなかで、大学院を目指していた他の学生がどうなったのか少し気がかりです。


さて、本日の話題は中国における「国際化」について少し書きたいと思います。
ここ数年、中国の経済力、軍事力の台頭により、その国力は国際的に大きな影響を与えています。
日本も例外でなく、日本の政治経済のために日中関係を無視することはできないと言えるでしょう。

これまでアジアを牽引してきた日本ですが、その担い手は確実に中国に変わろうとしています。
(「もはや完全に中国がアジアを牽引している」という意見も当然あるでしょうが)
こうした中国が、今後、国際的にいかに立居振る舞うかは注目を集めています。

そうした中、これまで、
「中国は国際ルールを守らない(守るつもりがない)」
という批判、或いは、
「中国を国際的なルールのなかに巻き込もう」
という議論がありました。

それは確かに、世界的なルールの「常識」においてその通りなのでしょう。
しかし、それがなかなかうまく進行しているとはいいがたい状況にあるのも事実でしょう。

今後、もし中国が既存のルールから外れていることがあまりに多い場合、ルール自体が変わっていくことも考えられます。


こうした時、我々の多くは、
「中国はルールを守らずに困った国」
と批判するかもしれません。
しかし、そうした批判だけでは意味がないと私は思います。

今、最も考えるべきことは、「中国の国際化」の本質をきちんと理解した上で中国と向き合うということではないでしょうか。
そう考えた時、「中国の国際化」とは一体どのような性格をもつものといえるでしょうか。
その点、私はこう考えています。

まず、それは中国が自身を国際標準(グローバルスタンダード)に合わていくというものでないのだろうと思います。
中国のなかに国際標準に自身が合わせるという発想自体がそもそも弱く、だからこそ、自国の価値観(チャイナスタンダード)を国際標準にしたい、或いは、そうした方向性を望むという考え方が根底にあるように私は思います。

ですから、この点で、近代以降、一生懸命に国際標準に従おうとしてきた、或いは、それを取り入れようとしてきた日本とは対照的であるといえるでしょう。

こうした中国における発想は中国の歴史からも確認することができます。
すなわち、中国においては歴史的にみて、異なる民族や文化を受け入れる経験を豊富にしながら、現在に至ってきました。
しかし、一方で、自分自身が外へ出てくことはあっても、海外のスタンダードに合わせる経験を積むことはあまりしてきませんでした。

日本では在日外国人と日本人との文化的摩擦がよく発生しますが、中国ではそうした話題はほぼ出ることがありません。
つまり、自分達の本拠地(ホーム)においては、他者や彼らの文化に大変寛容であるという点が中国の一つ特徴なのです。
(逆に、日本は本拠地において、他者や彼らの文化に寛容とはいえない部分があると言える)
実際、こうした指摘を、実際に中国で長期的に生活した日本人から聞くことは多く、私自身も同感です。

ただ逆に、世界へ出て行った中国人たちが現地社会の人々とトラブルになることは多く耳にすることがあります。
この例から、中国人がアウェーに出て行った場合、他の文化や慣習、つまり、海外の「スタンダード」に合わせるのが比較的苦手といえそうです。


こう考えると、中国にとっての「国際化」は以下のようにまとめられるかもしれません。

(1)外から中国に入って来るものとの関係では、「他者」を自らの社会に大変寛容に受け入れていく。
(2)逆に、中国から外へ出ていく際は、国際的スタンダードに自分達が従うという考え方は強くはない。
(3)よって、自ら作ったルール・常識、所謂、チャイナスタンダードに立って外でも生きていく姿勢・発想が根底にある。

これらは中国文明に始まる長い中国の歴史のなかで形成され、今に脈々と続いている考え方・思想であるように私には感じられます。
そして、これこそが日本の「国際化」のありかたと、中国の「国際化」の在り方を区分する一つの背景にあるように思うのです。
ちなみに、上記の(1)~(3)の内容を反対にすれば、それらが日本における「国際化」となり、両者の「国際化」は非常に対照的です。

それはともかく今後、世界と中国がどのように向き合い、国際化、国際的な融合を進めていくのか。
その動向に私も注目していきたいと思っています。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

中国における「出前」の現状

2013年04月12日 06時04分53秒 | 現代の中国社会
先ほど今週木曜(つまり昨日)、三年生に書かせた作文添削を終えて一息ついています。
これから少し寝て、午後からは四年生の卒論個別指導(4名)に向かいます。


最近は部屋で仕事や研究活動でこもっていることが多く、忙しい日々を送っています。
そんな中、自炊をするのも面倒になり、外へ外食に出るのも時間がもったいない感じがします。

そうした状況で役立つのが出前です!
日本ではネットで食べ物を出前出来る店が増えていますが、ここ中国でもそれは同様です。

所謂、マクドナルドやKFC、ピザハットなどのチェーン店の出前は勿論です。
なお、KFCは最近の鳥インフルエンザの影響で売り上げに相当影響が出ているようです。

そのことを報じる中国の新聞やネット記事。
「H7N9禽流感吓退消费者 肯基等鸡肉快餐昆明遇冷」
http://www.chinadaily.com.cn/hqgj/jryw/2013-04-12/content_8741534.html
「H7N9禽流感让肯基遭遇新烦恼」
http://www.cs.com.cn/ssgs/gsxw/201304/t20130411_3943309.html

話しが少しそれましたが、「出前」において日本と中国が違う点は、町の小さな食堂でさえもほぼ出前をしてくれることです
そして、そうした店を検索する際に便利な代表的HPの一つが「ele.me」です。

ele.me のHP
http://ele.me/?force=1

私の寮付近で出前をしてくれる食堂、レストランリスト
http://ele.me/place/-615736187219724428


マックやKFCなどでは代金も割高で、栄養価も低く、毎日食べるには健康的に良くありません。
ですが、行きつけの近所の食堂の料理が自分の部屋に届くなら、この食生活を続けても支障はありません。

基本的に宅配料を取る店が多いですが、「○元以上注文すれば不要」としている店が多いです。
出前を頼んでいる実感では、自分一人で食べる料理数品とご飯の価格に達すれば、大体無料で届けてくれます。

こういった点で、この出前を最近はフル活用している私です(笑)


なお、以下はある日の出前料理の写真。
まず、一般的にこのような容器に入って届きます。


中身はこんな感じ。
なお、これは麻婆豆腐。


別の料理(牛肉とジャガイモの炒め物)ですが、皿に盛ると行きつけの食堂で食べるのと同じ味が寮で楽しめます。



ファーストフードやチェーン店だけでなく、こうした町にある小さな食堂の大半が出前競争に参加しているのが現代の中国です。
確かに、日本でも個人の蕎麦屋やラーメン屋が出前をしているケースはありますが、中国と比になりません。

ただ、振り返ると安徽省在住の時、こうした出前は果たしてあったのかどうか…。
私は当時全く使っていなかったのでその点が不明です。
もし、上海以外の地域の出前情報を知っている方がいれば教えて下さい。

ともかく、この出前は暫くお世話になろうと思っているところです。
コメント (7)
この記事をはてなブックマークに追加

千葉歴史学会大会での報告要旨(2013年5月19日)

2013年04月10日 00時19分47秒 | Mの研究活動や成果
来月、日本で行われる千葉歴史学会大会の報告要旨を先日学会に提出しました。

それ(中国語版も)をここにもアップしておきます。
学会当日は5月19日なので残り約一か月、でもまだまだ準備が不足しているなぁ(汗)
今後はこの報告準備も急ピッチで進めていかないといけません。

なお、5月17日には一時帰国、学会報告の翌日20日には上海へ戻る予定。


題目:1949-1966年における日中間の民間交流の動向 -その役割と意義を中心に-

要旨:
 昨今、日中関係が悪化している。日中政府間の話し合いは未だ妥結点が見えず、先行きは不透明な状態のままである。そんな昨今の状況において、政府間以外の日中間交流の歴史に目を向け、それらが果たしてきた役割・意義を考えてみることは無駄ではなかろう。
 上記の観点に立ち、本報告では中華人民共和国成立以降から文化大革命前、特に日中間で相手国側への大型学術代表団派遣が始まる1955年前後の時期、また、日中間の民間貿易や文化交流などが多様にみられる1960年前後の時期に光を当てながら、当時の日中間における民間交流史の考察を行いたい。そもそも従来、この期間における日中間の民間交流史は研究蓄積が十分ではなかった。しかし、この時期には日中間で知識人や民間団体などが軸となって相互に交わりながら、多方面にわたる民間交流が展開されている。よって、そうした交流の実態、そこで果たした役割は決して無視できないものと思われる。
 報告では、この時期における日中の民間交流が、双方の国がおかれた国際関係、または政治経済などの国内状況、国内世論などとの関係からどのように進められ、発展していったのか、その実態に迫っていきたい。なお、主な史料としては上海市档案館所蔵の档案を用いる。
 最後に本報告で見込まれる成果は以下の通り。一点目は、新中国建国から文革前までの日中間の民間交流の実態、また、交流が果たした役割が具体的に明らかになること。二点目は、この時期の日中民間交流という日中両国の経験がその後、日中国交回復(1972年)へと日中両政府が動き出す際にどのように影響していったのか、これを考える糸口を見出すこと。以上である。


※中国語版も中国人の知人の助けも借りつつ、何とか作成してみましたので御覧下さい。

题目:1949年-1966年间中日两国之间民间交流的动向 -以其作用与意义为中心-

摘要:
  最近,中日关系进一步恶化,中日两国政府之间的对话至今仍未达成妥协点,前景不可预测。在这种情况下,我们将实现投向中日两国之间政府间外的历史上,来考虑它的作用与意义将是有价值的。
  从上述观点出发,本报告中将目光投向从中华人民共和国成立后到文化大革命之前,尤其是中日两国开始向对方派遣大型学术代表团的1955年和出现多样的中日间民间贸易和文化交流的1960年左右的时期,来进行对当时中日两国的民间交流史的考察。关于这一时期中日两国间的民间交流史的研究本就不是很充分。然而,在这一时期,中日两国的知识分子和民间团体等作为主导相互辉映,展开了多方面的民间交流。因此,这样一个交流的实态与它所发挥的作用是不容忽视的。
  此报告将就这一时期的民间交流在当时双方所处的国际关系、政治与经济等国内状况、国内舆论当中是怎样推进并且发展的实态展开论述。另外,作为主要历史资料,将利用上海市档案馆的资料。
  最后,从本报告中预想的成果如下。第一,从新中国成立至文革前的中日两国间的民间交流的实态与交流发挥的作用将具体地被展开。第二,这一时期的中日民间交流这一经验是如何影响中日两国政府一起走向未来的中日恢复邦交(1972年)的,将为这一问题的解答找出线索。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加