中国西安で奮闘する大学教師Mの日々

日本人教員として中国の山東省済南市の大学生・大学院生に対し、「日本文化・社会」や「小論文・論文」などを教えています。

映画「かすかな光へ」を鑑賞(鶴ヶ島市にて)

2012年07月28日 23時36分10秒 | とりあえず日記
昨日と本日は、両親の誘いで外出が続きました。
昨日は月ノ輪に所有する貸家の掃除を、そして本日は鶴ヶ島市まで鑑賞しに行ってきました。

その映画とは、森康行監督による「かすかな光へ」という作品でした。
内容は、教育学者の太田堯(おおた たかし)を主人公としたドキュメンタリーでした。

元教員であった父がインターネットで見つけ、それを私にも紹介し、それならと母も連れて足を運びました。

約90分の映画でしたが、そこには教育学者太田の思想、実践が詰まっていて、見応えがありました。

太田の教育学研究、そして教育実践には、太田自身の軍隊での経験が大きかったと紹介されていました。
当時、東京帝大出でインテリだった太田が、百姓出身の兵士と自分とを比較し、決しては学はないが、しかし日頃の労働や生活の中で「身についた知識」を持っていた百姓出身の兵士に対し、太田は「大量に詰め込んだ知識」しか有しておらず役に立たないものが少なくなかったとし、その差に愕然としたと語っていました。

その経験こそが、「教育とは何か」、あるいは「生きるとは何か」を根詰めて考えるきっかけになったと言います。

その太田の実践の中で、特に人権をめぐる話は強い印象を私に残しました。


・人権とは、すなわちその人の命である。

・それぞれの人の命、つまりDNAはみんな異なる。

・よって、みんな「違っていい」ではなく、そもそも「違う」のである。

・であれば、その違いを認めることが人権を認め、守ることでもある。

・そして、人間にはそれぞれ「自ら変わる力」がある。

・よって、教育も「人を変えよう」とするのでなく、「人が自ら変わる」よう手伝うものであるはずである。


以前紹介した作家小田実も同様でしたが、戦時体験が人に与えた影響ははかりしれません。
そのことを改めて感じると同時に、太田の教育研究の思想、その実践の深さと広さには学ぶ価値があると思いました。

興味を持たれた方は是非!

映画「かすかな光へ」公式サイト
http://kasuka-hikari.com/


映画鑑賞後は、川越の夏祭りに立ち寄り、ぶらぶらとしました。
途中、路地を入った酒屋で立ったまま、ワインとマッコリを一杯づつ飲みました。
そして、その近くの甘味処でかき氷を食べつつ少し涼んだ後、帰りました。

川越百万灯夏まつり
http://www.kawagoe.or.jp/natsumatsuri/

写真は共に撮ったのですが、現在カメラの調子がいまいちです。
次回は写真を添えてお届け致します。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

長澤淑夫著『シベリア抑留と戦後日本』(有志社、2011年11月)の紹介

2012年07月27日 04時01分05秒 | Mの研究活動や成果
私の所属する大学院には、同期はもちろんですが、当然のことながら、先輩や後輩も数多くいます。
そうした大学院の先輩の一人で、同じ日本近現代史を専攻する方が、自身の研究成果を出版されました。
それが、長澤淑夫著『シベリア抑留と戦後日本』(有志社、2011年11月)です。
なお、これは長澤さんの修士論文に加筆修正したものです。

博士論文ならともかく、修士論文を出版されるとは凄いです!
(博士論文でも、即出版となることは多くないですから)

なお、私は中国にいたため、このことを先日長澤さんから直接聞かされて知った次第です。



先日水曜日、近所の埼玉県立図書館に行って検索してみると、こちらにもきちんと入っていました。
斜め読みながらも、そのまま数時間かけて一通り長澤さんの著書に目を通しました。
シベリア抑留者の戦後補償運動を追いかけることで、それを政府が拒否した背景や論理を探ろうとしたものでした。
また、戦後補償の運動に携わった人々の思いや姿勢が、第三者の私にもかなり強く感じられるものでした。

何よりも、この研究課題によせる長澤さんの非常に強く深い問題意識が随所に滲んでいると感じました。
研究を行う上で、もっとも重要なことをこの著書から再認識させられた思いです。


私も博論が無事に審査を通った今、きちんと修正を加えた後、出版という方向へ早く舵を切っていきたいものです。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

献本のお礼(千葉功著『桂太郎』 中公公論新社)

2012年07月23日 04時51分17秒 | Mの研究活動や成果
一時帰国し、中国に行っている間に日本へ届いた書類や荷物をチェックしています。
その中に、献本として届いた本が含まれていました。

千葉功『桂太郎 外に帝国主義、内に立憲主義』中公公論新社(中公新書)、2012年5月

             

なお、版元の紹介HPは以下の通り
http://www.chuko.co.jp/shinsho/2012/05/102162.html


帰国したばかりで、まだ読んではいないのですが目を通したいと思います。
千葉さん、御著書をどうもありがとうございました。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

日本へ帰って参りました

2012年07月21日 05時37分58秒 | とりあえず日記
現在、朝の5時半すぎ。
昨夜15時頃、上海から日本の埼玉県にある実家へ戻りました。
日本の関東は、昨日から小雨がぱらつく陽気で涼しいです。

今朝は散歩を軽くして、汗を流してきたところです。
昨日は久々に12時前に就寝し、気持ちの良い朝を迎えました。
(このところずっと4、5時に寝る日が続いていましたので)


さて、これから家族と関西方面へ日帰りの旅へ行ってきます。
気分をリフレッシュし、新たな気持ちで研究に向かおうと思います。

それでは。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

博士号学位を取得! ようやく研究者としてスタートラインに立つ

2012年07月19日 03時14分26秒 | Mの研究活動や成果
18日の夕刻、指導教官M先生より一通のメールが届きました。
それは、


「M君へ

本日の教授会で、君の博士論文が無事に通りました

おめでとうございます

取り急ぎお知らせまで」


というものでした。
2月に博論提出、5月に口頭試問、そして本日の教授会で正式に博士号授与が承認されたというわけです。

予てから、M先生から「18日の教授会で最終的な学位授与が決まる」と聞かされていました。
よって、審査委員の先生方から「合格」を頂いたことは聞いていたものの、やはり最終結果が気になっていました。
ですから、まずは本当に良かったです。

一報を受けてすぐ、博論に関わる研究でお世話になった方々へお礼のメッセージを出すことにしました。
まだ全ての方へ出しきれていないのですが、主たる方々へは出すことが出来ました。


2009年、博士課程一年終了時に中国に来て以来、中国で職を持ちながら無事に博士号を取得出来たことは、


                   感謝


の一言に尽きます。

今回の結果は、中国行きを勧めて下さった千葉大関係の先生方、中国生活を支えてくれた安徽省、上海市の大学の先生方や生徒達、
それから中国と日本でそれぞれ私の研究や調査に協力して下さった多くの研究者などの存在があってこそです。
また、精神的に私のことを励まし続けてくれた方々の存在があったことも大きな励みとなりました。

ですから、そうした多くの方への感謝をこの記事にてもう一度表せればと思っています。



さてさて、博士号を取得が無事に決まった以上、次の一歩を歩みだそうと思います。
博士号取得とは、要するに研究者として独り立ちを意味するだけで、実際はこれからが勝負です。
歴史研究者としての道は、まさにこれから本格的に始まると言っても良いでしょう。

ですので、これからもっと大きな“山”を見つけ、それを楽しく、しかし真剣に登っていくつもりです。

皆様、今後ともMをよろしくお願い致します。


コメント (4)
この記事をはてなブックマークに追加

中国語学習の道2

2012年07月18日 04時25分25秒 | 中国語学習の記録
そろそろ明け方。
そして、これから17日学習した中国語の内容を復習です。
徐々に発音がきれいになり、単語の暗記量も増えている実感があり。

あとは、これを数多く繰り返し体に染み込ませ、使っていくことでしょう。
もっとも大切なのは、「楽しい!」の気持ちを忘れないことかな♪

ちなみに、最近、上海南駅のスタバにて中国語を教えてもらっています。
勿論明日も。

         

それでは。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

学生達と宿舎にて食事会を開催!

2012年07月16日 02時53分38秒 | とりあえず日記
現在、深夜3時。
昼は中国語の勉強をさぼってしまったので、夜から慌てて取り組んでいます。
そして、最近図書館でコピーしてきた文献所収の論文も読んでいるところです。
(梅森直之「日本研究とアジア研究」『アジア学のすすめ 3』弘文堂、2010年6月)

それから今日は息抜きとして、ネットでNHKBSのアーカイブスから以下の番組を見ました。

「小田実 遺す言葉」
http://v.youku.com/v_show/id_XNDA3NjY5NzI0.html

第二次大戦後、もっとも作家として戦後的な価値観、平和と民主主義を体現した人物としての紹介がされていました。
そして、特集のなかでは、小田氏が癌を宣告を受け、余命が限られていると知ってから亡くなるまでの約三か月間が記録されていました。
小田氏の作家として生きる根底には、青年期に受けた大阪大空襲の経験があり、その意味を問い続けることだったといいます。
そうした人生をかけて自身の問題意識に迫り続け、人々に訴え続ける姿勢には、研究者としても学ぶべきものが多くありました。

興味のある方は是非ご覧いただければと思います。



さてさて話題が変わって先日の土曜、大学に残っている学生達を呼んで食事会を開催しました!

私の宿舎が狭いので学生を3人と私の4人で客間は余裕がない状態(笑)
しかし、学生達の手料理(私も二品つくりました)はどれも美味しかったです。
なお、こちらは今回ほとんどの料理を作ってくれた料理上手なCさん。
そして、この写真はMの料理中に学生Zさんが撮影。

           

本来は昼ごはんのみをつくり、その後食事して解散予定でした。
ですが、私の宿舎のキッチンが狭く、料理器具が十分に無い為、二人同時に料理は出来ませんでした。
そこで、まず私が昼食を担当し、後で学生達が夕食をつくるという一日作業となってしまいました(汗)

上海に来てからは初めての試みだったので、楽しい一日となりました。



           



また別の学生達を招待して、こうした機会をつくれればと思っています。
コメント (3)
この記事をはてなブックマークに追加

中国語学習の道

2012年07月11日 05時56分31秒 | 中国語学習の記録
7月20日(金)から8月28日(火)まで一時帰国予定です。

それまでは主に、中国で行う大きな課題の一つと据えているのが中国語です。
夏休みに入って以降、毎日中国語学習を欠かさずに行っています。

これは現在使っている問題集や、参考書、辞書など。

        

                       
       
その学習サイクルは、
(1)HSKの問題集を自分で解答 
 ※HSKとは、中国語検定試験の一つ。現在、HSKは6級が最上級。
  HSKのHP → http://www.hskj.jp/index.html

(2)その際、不明な部分を中国人学生から教えてもらう。

(3)同時に、まだまだ不十分な発音を問題文章をMが読んだ後、訂正してもらう。

(4)その後、自身でその日に回答した問題を中心に復習。また、下手な中国語部分を音読練習

これ以外には、とにかく中国語単語を毎日ノルマの数を決めて覚えるようにしています。
なるべく、その日に回答した問題で知らなかった単語を中心に覚えていくと吸収が早いようです。

あとは何より、実際に中国人と中国語で話し、或いは中国語を使って文章を書くことです。
(将来的には、中国語版ブログも開設し同時並行で書き進めていくことを考えています)
中国に居る為、こうした機会に非常に恵まれているというのが、今の私の強みでしょう。
要するに、実際に生の中国語を聞く、話す、書くということが決定的に必要です。


学習の現状を自分なりに考えてみると、今の課題は、

・正しい発音をきちんと身につけること
・単語を一つでも多く覚えること
・文法の“穴”を埋め、完璧にすること

の三つです。
それを夏休みにマスターしようと思っています。
そして、まずは5級合格、その後は6級合格を目指しています。
(4級は既に合格、5級ももうすぐ?)

ま、検定試験には合格することはあくまでも目安です。
きちんと研究活動に“使える中国語”が身につけば、それが一番良いわけですし。
(別に、検定試験に合格するなどということを私は目的に設定していません)

今はその日を想像してわくわくしながら、ゆっくりと、だが着実に中国語を学んでいく予定です。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

中国の朝食(食日記第四弾)

2012年07月07日 04時48分05秒 | 食日記(中国)
最近は夜型の生活になっているMです。。

中国語の学習を行った後、論文や研究書などを読み、合間にNHkの特集(分野は多様)を毎日2、3本チェックしています。
その他、一週間に数回は上海図書館へ出かけて行って、新聞や学術誌などに目を通してくるというような具合です。
取り掛かっている論文修正が上手く進まないので、最近は執筆作業の手は止めて上に書いたようなことをしています。

上海から日本へ一時帰国する前、宿舎の中にいるだけでは退屈なので、上海の档案館へも足を運ぼうと計画しています。
それから、去年一度行ったきりになっている里弄住宅、それに旧租界地に残された当時の住宅も見て回るつもりです。
それらは来週から本格的にやっていこうと思っているところです。



さて、今日は中国での朝ご飯を紹介したいと思います。
最近は朝方まで起きていることもあり、朝ご飯を食べてから眠りにつくことも出てきました。
大学の授業がある時と違い、その後も自由に行動できることが多いので色々な店へ行くようにしています。

6日朝、大学近所のお粥屋さんへ行ってきました。



中国では朝ご飯にお粥を食べることは一般的で、その為もあって種類も日本よりも豊富で美味しいです。
日本ではお粥というと、風邪や病気の時に食べるものというイメージを持っている方もいるでしょうね。

この日食べたのは、干し貝柱が入ったお粥で塩味の中に貝柱のダシが出でているものでした。

            

値段は8元だったと記憶しています。
確か。。

味があっさりだったので、少し食べ足りずにその足で、これまた大学付近の老盛昌へ。
ここは湯包(小龍包に近い)や麺類、または盖浇饭(ご飯の上に様々なアンがかかった料理)といった庶民的な料理が安く提供されています。



            

この店では朝になると、野菜や肉の饅頭を店頭で販売していて、それが結構な人気を集めています。
写真のように、その饅頭をもとめて毎朝行列が出来ています。

野菜も肉の饅頭も一つが1.5元で安く、かつ、味が美味しいのが最大の理由だと思います。



今回は肉の饅頭を買ったのですが、正直、以前、横浜中華街で食べたこれより何倍の値段がする肉饅頭の味と大差はないと感じました。
その位、味は美味しいと私は思います。


上海は中国の中でも物価が相対的に高いのですが、食べ物屋はまだまだ美味しくて安い店が結構沢山あります。
そんな店を一つでも多く探すのは上海生活の楽しみの一つだと私は思います。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

宿舎に新しい阿姨(アイ)が来た

2012年07月06日 05時50分26秒 | 中国の大学、大学生
空が明けてきています。。
そして、今日も蒸し暑い上海の一日が始まろうとしています。
最近はそんな陽気や日々の運動のお蔭で、確実に体が絞れてきました。

ただ、急に絞っている感も否めず、筋力を落とさずに続けたいものです。


さて、以前もこのブログで紹介したことがありますが、私の大学の宿舎には阿姨(アイ)と呼ばれる方々います。
所謂、宿舎の管理をしてくれる中年以上の女性の方々で、様々な生活の面倒をみてくれます。

私の宿舎だけで阿姨が一階受付に4人、そして私が暮らすフロアに1人(他のフロアも各一人?)います。
その受付の阿姨に新たに一人が加わった模様です。
昨日、私が一階の受付横からエレベーターで6階に行こうとすると、その阿姨が

『你是几楼的学生?(あなたは何階の学生ですか)?』

と訪ねてきました。
私は、

『我?我是日语系的外教(私ですか?私は日本語科の外国籍教師です)。』

と返答しました。すると、

『是吗。那你懂我的话吗?(そうですか。あなたは私の話が理解できますか)』

と言うので、聞き取れると答えるとそこから会話が始まりました。
阿姨の話では私は「25、26歳」に見え、留学生に思ったということでした。
この歳になると、若く見られるのは嬉しいような少し悲しいような複雑な気持ちになります。。
そして、以前は安徽省阜陽の大学で勤めていて、去年から上海来たと言うと彼女も安徽省出身だと答えました。
しかも、阜陽の隣の淮南出身。

他には、私が大学院博士課程の途中から中国に来て今の仕事をしていることや、
この大学での自分の担当教科、そして今後の中国滞在期間の予定についてなどを話しました。

実は、初めて彼女と会った印象は「少し怖い人かも。。。」などと感じたのですが、いい人で良かったです(笑)
ともかく、こうした機会は最近勉強を毎日している中国語の練習にもなって非常に良いです。


今後、他の阿姨(特に面白阿姨)のことなども紹介していけたらと思っています。
それでは
コメント
この記事をはてなブックマークに追加