中国西安で奮闘する大学教師Mの日々

日本人教員として中国の山東省済南市の大学生・大学院生に対し、「日本文化・社会」や「小論文・論文」などを教えています。

試験の採点方式の相違 in 中国の大学

2011年12月28日 03時26分50秒 | 中国の大学、大学生
<今日の昼、昼食へ出ようと大学構内を歩いていた時、「面白場面」を見かけました。工事で使用する梯子の下は地面についていません(汗) 本当に平気なのでしょうか?>

今週末からずっと学期末試験の採点をしています。
そして、なかなかスムーズに進みません(涙)

予定では今日中に終わらせる予定でしたが、明日終わるかも微妙です・・・

では、なぜこんなに時間がかかるのか?
それには、ある理由があります。


実は、私が以前勤務していた大学では学期末試験の採点はすぐに終わりました。
その理由は、採点方法が簡易であったことが一番の理由です。

しかし、上海の現在の勤務校は採点方法が複雑で、その作業も多いのです。
細かく書くと支障が出るかもしれませんので、ここでは割愛しますが…


で、その複雑になっている理由は、我が校が国の重点大学の一つということにあります。
(中華人民共和国国家重点大学…中華人民共和国(香港・マカオ地区を除く)の大学のうち、権威ある大学と国家が認め予算の優先配分などの支援を行うものとして、設置者の別を問わず選定された大学を指す)

その為、中国政府(恐らくは、その中で教育局)から細かく試験方法、採点方法の通達があるのです。
ですから、現在の勤務校では非常に複雑な採点方法をせざるを得ないというわけです。


私は以前の勤務校と同じ感覚で採点期間を頭の中でイメージしていたこともあり、今回は少し戸惑っています。
とにかく求められる作業の多さと細かさにです。


正直に言えば、今までは試験期間に入ると中国での大学教師の仕事はぐっと楽になると感じていました。
しかし、今回は逆に試験期間に入った時の方が事務作業がぐっと増え、神経も使うので疲れます。


恐らく学生の皆さんは教師は今は楽だと感じているのでしょうね!?
でも、違いますよ!

教師の皆も今は一緒に結構苦労しているのですから(苦笑)


はぁ~、それにしてもMは本当にこうした事務作業が苦手です。
少し進めては休憩、また少し進めては休憩の繰り返しです(涙)

本当に私の性格に向いていない作業なのでしょうね…
ともかく、あと数日を頑張ろうと思っています。

それでは。
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上海におけるクリスマスの様相

2011年12月26日 01時15分24秒 | 現代の中国社会
<クリスマスの今夜は、大学四年生達に誘われ四川料理を食べてきました。帰りに撮った一枚ですが、私をはじめ学生達も皆陽気でした(笑)>

今週末はクリスマスイブ、そしてクリスマスでした。
中国に来てから2回目のクリスマスですが、前回は安徽省でのクリスマス、今回は上海でのそれでした。

そんなわけで、一回目と二回目とではクリスマスの様相は随分と違いました。
安徽省と比べ、中国でも有数の大都市である上海はクリスマスムードは格段に高かったです。
そして、イブ・クリスマスは少し市内へ向かえば、人・人・人という感じでした。
(ま、練り歩いたわけではないが少し歩いた感じでも人は多かった)

大学構内では綺麗にラッピングした花を売る売り子も見られました。
(一瞬買おうとして、私は結局買わずじまいでしたが…)

また、クリスマスといえば外食(?)ということもあってか、どこのレストランも人が一杯でした。
そして、これはレストランではないもののクリスマスでは良く食べられるKFCも一杯でした。
さらに、各店の中にはサンタクロースの恰好をした店員も多く見られました。

とにかく、ごったがえず様な人の活気が、ここ上海にはいつも以上でした。


このようなことを通して、上海の街全体がクリスマスのムードに包まれているのが肌でも感じられました。
上海の同僚、学生、友人の皆さんはどんなクリスマス(週末)を過ごしたのでしょうか?


しかし、以前、安徽省にいた際のクリスマスはここまでそのムードはありませんでした。
というより、あまり普段と変わらない感じもして少しガッガリしたのも事実です。
でも、学生達がとにかく沢山クリスマスを祝うメッセージをくれたのは記憶に刻まれています。

安徽省を離れた今回もそうで、沢山の元学生達からメッセージをもらいました。
また、上海の学生達もメッセージをくれて大変うれしかったです。

ですから、クリスマスというものへの学生達の意識は上海・安徽省も共に高いということは言えそうです。


クリスマスが終わると、もう年末、そして年越しです。
上海の半年ももう終わろうとしています…本当に早いです。

さ、明日は最後の試験監督があり、その後は学生の成績をつけて大学に提出して今学期の仕事も終わります。
しかし、この成績をつける作業というのがなかなか神経を使うので疲れます…。
学生達は皆(いや、大半は(苦笑))、真剣に取り組んでいるので、こちらもきちんとしないといけません。

頑張りま~す!



最後に…
ブログ開設以降、毎日コンスタントに70~100人の訪問者(読者)がいるようです。
(gooブログは、アクセスの状況をブログ開設者に通知してくれます)
ちなみに、2011.12.18 ~ 2011.12.24の一週間は、687 人の訪問者がありました。
最近、さらに訪問者が増えているようで嬉しく思います。

これからもよろしくお願いします!
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とりあえず更新・・・懐かしい写真

2011年12月24日 02時00分48秒 | とりあえず日記
これは安徽省の大学に勤務時代に撮った写真です。
場所は大学構内の私の寮の前で、この子供たちは勤務していた大学の教員達の子供達です。

私は何故か子供たちから好かれてしまい、頻繁に彼らは私の寮まで遊びに来ました。
別に何をするわけではないのですが、話したり、運動をしたりしました。

そして、彼らからいつも私は、

「San○○○大哥~!!」

と呼ばれていました。
ちなみに、この「San○○○」とは、私の名前を中国語の発音に直した言い方です。

ただ、彼らはまだ子供なので、態度も言葉づかいも結構乱暴でした。
実際、当時この大学に居た他の外教は彼らを本気で怒った人もいました(笑)
それを直接見て、私はその外教の態度に苦笑した記憶があります。
(子供相手にそんな態度はないのではないかと…)

私は両親が教師である為か、子供がとても好きです。
ですから、彼らとの交流は全く苦に感じることはありませんでした。
むしろ、大学生との交流では味わえない別の醍醐味があったように思います。

例えば、ある日こんなことがありました。
私が自宅で誤って指を深く切ってしまったことがありました。
指からは血が出て止まらなくなり、困っていたところへ彼らが「訪問」してきたのです(苦笑)

「今は子供の相手をしている場合ではなく、まずは薬局へ行って何とか止血するバンソーコーを買わないと!」

と思って、彼らに自分のけがを片言の中国語で説明し、その場を離れようとしました。
・・・その時でした。

そこにいた一人の女の子が、

「大哥、これを使って。大丈夫??」

と、とても心配そうな表情で、ハンカチを差し出してくれたのです。
いつもは本当に子供で、元気で、私の注意も全く聞かないワンパクな子供達です。
ですが、本当に優しい心根を持った子供達だったように思います。

その女の子は、暫くずっと私の指にハンカチを当ててくれていました。


今夜は写真の整理をしていて、偶々この写真を見つけ、何とも言えない懐かしさを感じました。
今、彼らは元気に過ごしているのでしょうか?

恐らく、彼らと再会する可能性はゼロに近いでしょう。
・・・ですが、私は今でも彼らのことをはっきりと覚えています。
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Good news!

2011年12月22日 02時21分46秒 | とりあえず日記
<今日は二年・三年生の学生からそれぞれクリスマスプレゼントをもらいました♪ 何でも真ん中のクッキーは手作りだそうで。。。とても嬉しいです。>

皆さん、今日は大変嬉しいことがありました!

今日は午前中の試験監督が終わった後、自宅へ戻ってパソコンに向かっていました。
既に終わった試験問題のチェックも始めました。

そうこうしていると、夕方携帯にあるメールが入りました。
相手は英語の外教のGからでした。

内容は、

「My son was born today.Name is ○○.」

というものでした。

私はメールをみて、全くその事実が信じられませんでした。
というのも先週会った時のGの話では、二週間後辺りに生まれると言っていたからです。
さらに、彼の妻とも先週の金曜・土曜日と会っていて全然そんな雰囲気もなかったですから。
(ま、身重のGの妻Xはずっと辛い思いをしていたのでしょうが。)

ですから、

「えっ、まじで??うそでしょ??」

と完全に不意を突かれました(苦笑)
しかし、すぐに無事に子供が生まれて喜ぶGの顔が頭に浮かびました。

「・・・ついにG夫妻に初めの息子ができたか。きっと今、二人は世界一幸せな夫婦だな。良かったなぁ。。。」

と思うと、何とも表現できない気持ちになりました。
そして、全然関係ない自分も何故か突然目頭が熱くなりました。
すぐGには電話をして、祝福のメッセージを伝えました。

私がGの出産に特別な感情を持ったのは理由があります。
それは、普段からGとは彼の生まれてくる子供のことを良く話題にしていたからです。

・ベビーグッツをどこで買えばいいのか?
・子供の国籍はどうするつもりか?(Gの国籍はアメリカ、妻Xの国籍は中国)
・子供の教育はどうするつもりか?(中国?またはアメリカで?)
・今後の子供の教育費などの経済的な話題。
・出産が近くなってきた時の男の感情(妻も)
・出産前に妻の御両親が上海に来ていて、それに関する話題

などなど。
私の友人の中に子供を持つ友人は何人かいます。
しかし、こんな傍で色々と話を聞いたことは初めてでした。

だからこそ、今回の出産までの経緯には特別な思いを私も持っていました。
一番感じたのは、Gの様子がやはり父親らしく変わっていく様子でした。
周囲からの責任が重くなると、人間はやはり成長できるようです。

彼の表情、発言などはここ数ヶ月で随分変わったように思います。
(肝心の私といえば、以前とほぼ変わっていませんが何か(笑))

ですから、今の私には全く想像もできませんが、子供が生まれてくるってやっぱり特別なことのようです。

「こういう特別な思いを持って、両親も自分を育ててきてくれたのかな」

Gの出産のニュースを聞いた後、何故か自分の両親のことが頭に浮かびました。
ここ数年間(もうすぐ四年目に突入)はずっと中国と日本で彼らとは離れて暮らしています。

今日はGの息子出産のニュースを聞き、自分の両親に対しても特別な感情が出た一日になりました。


最後にGとXさん、今日は本当に良かったですね。
おめでとうございます!
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博士論文への道 ~多くの人の支えがあってこそ~

2011年12月21日 01時58分20秒 | とりあえず日記
<気持ちが急いて疲れてきたとき、彼(?)はいつも私を癒してくれます(笑)このキャラクターを作った方は凄いと思います。>

やはり頭の中は博論で占領されています。ここずっとそうなのですが…
そして、そればかりを考えているせいで少し頭や気持ちが疲れ気味になってきていました。

「いかん、このままでは…。」

と思うものの、どうにも頭がすっきりせずに生活しておりました。
そんな時、人間というものはどうも周りに不満をぶつけがちになります。
そして、自分の大変さを相手に理解し欲しいなどと思ったりもします。

要するに、自分の大変さを受け止めてほしいなどと思うわけです。
私もまだまだ未熟で、最近は気を付けないと周囲にそうした感情が出がちです。
…というより、今日はそれが少し出てしまいました(苦笑)

今は、そんな自分自身が情けない、…それだけです。


ということで、今夜は自分なりに色々と気持ちを整理してみました。
そういう思考整理をする中で、これまでの研究生活のことが走馬灯のように頭に浮かんでは消えていきました。

私の現在の研究のスタートは、学部時代に遡ります。
きっかけは大学図書館で出会った、『すまいの思想』という一冊の本でした。
その著者が、現在の研究対象である建築学者の西山夘三でした。

そこから彼の住宅研究に関心を持ち、徐々に近代以降の住宅史へとテーマが定まっていきました。
しかし、その中でもあくまでも主な関心は、西山個人へと向けられていたと思います。


私は修士課程に二年在籍し、そして博士課程の在籍は四年目に入っています。
(正確には、博士課程は一年休学し、在籍は三年目)

その間、ずっとこのテーマを追いかけてきたわけです。

ところで、博士論文の研究活動を通じて、多くの方との縁を得ました。

・指導教官、また他の千葉大の先生方
・そして所属研究室のゼミ生の皆さん
・私が史資料収集で毎年伺っている、NPO法人西山文庫の方々
・西山研究室に在籍し、現在は建築界を中心に活躍する門下生の方々
・西山氏の御子息の方々
・自身の研究相談で伺った総研大の安田常雄先生、そして安田研究室の皆様
・同じく研究相談で伺った労働運動史が御専門の二村一夫先生
・やはり研究相談で縁を得た、筑波大学の上北恭史先生
・いつも私の研究を外部から暖かくも核心的御助言をくれるH先生
・中国に来てから出会った同済大学の殷正声先生、その研究室の皆さん
・同じく中国、現在の勤務校に来てから出会った住宅に関する社会学が御専門の新家増美先生
・そして、研究成果を発表する機会をくれた私の所属する各学会、会員の皆様
・父の縁で出会った日本近代以降の思想哲学が専門の博識なKさん
・安徽省での勤務時代、私の住宅調査に協力、または動向してくれた学生達。そこでの住民達。

他にも細かく言えばきりがありませんが、ともかく研究によって沢山の方との縁を得たのは間違いありません。
そして、それら一つ一つの縁があってこそ、今の自分自身の研究成果が出せているわけです。

加えて、研究に直接関わらずとも、陰で私を支えてくれた方々も大勢います。
また、疲れた時に私に元気をくれた方々も大勢いました。

日本でも、そして現在私が暮らす中国でも同様に…


ですから、私一人でここまで来られたわけではないのです。
そのことを、例えどんなにいっぱいいっぱいになっても私は絶対に忘れてはいけません。

いや見方を変えれば今、私はそういう今まで応援、そして研究に協力してくれた方々の為に頑張っているのかもしれません。
自分の為に頑張ると思うと力が出ないケースが時にありますが、こう捉えると、何か別の力が湧いてくるようです。


実は最近、毎日、自身のスケジュール帳に感謝ノートをつけるようにしています。
それは主に、こうした方々への感謝の気持ちを忘れずに研究に向かうためです。
毎日、二・三行程度ですが、思いついた方々への感謝の思いを書き記すようにしています。

博論完成のその日まで止めずに続けていくつもりです。


まだ道のりは遠く感じますが、今後、この気持ちだけは絶対に忘れずに日々を送っていくつもりです。
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学生への卒論指導の巻 …指導って難しい

2011年12月20日 01時38分24秒 | とりあえず日記
<1週間前に学生宅で料理をした時の写真を紹介します。基本的にはみんな料理は出来ずに、私と学生のお母さんと一人の女子学生で料理を全て作りました(苦笑)>

最近は完全に夜型になり、寝るのはいつも深夜か明け方になっています。
その方が論文を書くには集中できるので、暫くこのまま行こうと思っています。


さて、今日は最近強く感じたことを一つ書きたいと思います。
それは、タイトルにあるように卒論指導の難しさです。

そう感じたのは、四年生の卒論指導の時でした。
現在、私は四年生の卒論を書く学生を三人担当しています。
つまり、彼らから見れば私が指導教官になるわけです。

彼らのテーマは、

・黒澤明の七人の侍から見た武士道
・ワンピースのメガヒットからみた現代の日本社会
・「千曲川のスケッチ」からみる島崎藤村の自然観

というように、かなり分野(思想・社会学・文学)がバラバラです。
また、私の専門とも重ならない部分も多く、自分自身も「予習」が必要です。
さらに、学生達には概念などを平易な日本語で説明しなければいけません。

ですから、日本人に対する卒論指導とは違った難しさがあります。
(もっとも私は日本人学生に卒論指導経験はないのですが…)


現在終わっている指導内容は、
(1)彼らが関心ある論文テーマを大まかに決めさせる
(2)その上で、それに関する具体的な先行研究を調べさせる
(3)そうした中で、自分のテーマを絞らせる
(4)論文に必要な文献、論文の収集をさせる

という内容です。
ですが、ここまでの過程でなかなか思うように作業が進められない学生がいます。
テーマが二転三転したり、大きすぎて絞り込みが必要な場合などが主な理由です。

ちなみに、私の大学では卒論は字数制限があります。
それが8000字前後となっているので、あまり大きなテーマは絶対に取り組めません。
(そう考えると、字数制限が基本的にない日本の大学は素晴らしいです)

ですので、このテーマの絞り込みこそが一番の課題となるようです。
本を満足に読まず、論文テーマに関わる知識も弱い学生にこれを指導するのはかなり難しいのです。

自分自身ならこうする、という方法があっても、学生が関心あるテーマとは限りません。
ですので学生の関心を良く聞きながら、じっくりとテーマを決めていくことも時には必要です。
それでも、学生が準備不足だと話にならないのでしょうが…



現在、私が担当する学生は二人が女子学生、一人が男子学生です。
そして女子学生はともに優秀で、自らしっかりと準備していますので私は今までそれほど手がかかっていません。
(この中の一人の女子学生は日本語能力1級試験で満点をとり、現時点で既に上海の名門大学院へ進学も決めました)

ですが、男子学生の方はテーマが右往左往していて、なかなか定まりません。
加えて、日本語会話もまだ十分に上手とは言えない為、その指導では骨が折れます。
ただ、彼の場合は私にしっかり相談し、助言を一生懸命聞こうとします。
ですから、こちらもなるべく力になってやりたいと思うのですが。


今日も日本語科の研究室で、彼とマンツーマンで二時間程卒論のことを話しあいました。
少し方向性が定まったのは幸いだったのですが、まだまだ指導が不足している感もありました。
とりあえず、今後の課題を伝え、彼には自分で論文の調査をしておくように伝えました。


今日は、自身の論文は自分の思うように比較的自由に書けるようになってきた一方で、指導力はまだまだお粗末だということを実感しました。
仮にそれを自分が出来ても、それを相手に伝えて、指導していくということは、やはり別物のようです。

今後はこういう点も自分自身で心がけながら力をつけていきたいものです。
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博士論文への道 ~論文全体の構成(ほぼ完成形)~

2011年12月19日 02時45分34秒 | Mの研究活動や成果
<私が勤める大学の旧校舎の夜の正門。昼よりも、ライトアップされて綺麗になる夜の正門が私は好きです。>

なんか重々しいタイトルになってしまいました。

最近は頭が博論のことに占領されています。
ま、そうでないといけない時期なのでしょうが。

そこで、現在私が取り組んでいる博論の全体構成をここで紹介致します。
もっとも私以外、基本的にどなたも関心を持っていないのは承知です(苦笑)

ですが、博論はこれまでの自分の研究活動の一つの集大成です。
その記録という意味でも、ここに書いておきたいと考えました。
今後は、こうした記事が博論完成まで何度か登場することになるでしょう!?
きっと。。。

序章と終章を除くと、各章は約2万5千~3万字程度になる予定です。
既にほぼ書き上がっている章は、1~5章です。
が、3章はほぼ全面書き換えが必要で、今取り組んでいます。

この内、学術誌(査読誌・紀要共に含む)に掲載して頂いたのが、
1・3・4章の3つです。


私はこの研究を通じて、主に以下の点を考えようとしています。

(1)西山夘三という一人の建築学者の研究の軌跡を軸に置きながら、近代以降の日本住宅史を描く。
  ※それを通じて、建築史・住宅史では日が当たりにくい庶民住宅の歴史に焦点を当てる
(2)西山の住宅研究が、近代以降の日本社会(特に戦時体制下と高度成長期)から如何に影響を受けながら形成されていくのかを考える。
  そこから、近代以降の日本社会の特質を再構成していきたい。
  ※逆に、西山の住宅研究が社会へどういう影響を与え、どんな意味を持ったのかも考える
(3)徹底的に西山個人へ着目することで、従来の近代日本住宅史で得られなかった新しい史実を得られないだろうか。
  ※その具体的な答えが、5・6章辺りになる予定

以上のようなことを博論では考えていく予定です。
論文の題目、そして構成は以下の通りです。


学位請求論文の題目
近現代日本における庶民住宅の史的考察 -建築学者西山夘三の住宅研究を中心に-

序章 研究の目的と方法
 1、研究の目的と意義
  1-1 研究の目的
  1-2 研究の視点と仮説
  1-3 研究の意義
 2、既往の研究と本研究の位置づけ
  2-1 既往の研究
  2-2 本研究の位置づけ
 3、本論文の構成

1章 近代日本における住宅研究の史的展開 -「庶民住宅」研究の進展を中心に- 
 はじめに
 1、近代日本における住宅研究の展開
 2、同時代における「庶民住宅」研究の進展 -建築学者西山夘三の研究成果を中心に-

2章 西山の住宅研究における思想の基礎形成
 はじめに
 1、西山の生い立ち~三高時代
 2、京大時代のデザムでの活動とその影響
 小括

3章 西山夘三の「庶民住宅の研究」の思想 -その独自性と「職能」意識を中心に- 
 問題の所在
 1、西山の住宅研究の思想的特質
 2、新たな建築家像の構想 –西山の建築家としての「職能」意識‐
 小括

4章 戦前・戦後の庶民住宅の設計と規格化 -その連続性と断絶性- 
 はじめに
 1、戦前から戦時体制下における庶民住宅の規格化
 2、第二次大戦後の住宅規格化の特質 ‐戦時体制からの連続面-
 3、高度成長期における「nLDK」規格の普及 ‐戦時体制からの断絶面-
 小括

5章 西山住宅理論の海外への伝播 -主に1960年代の中国に着目して- 
 はじめに
 1、1960年代前後の中国国内の住宅設計の転換
 2、日本から中国への「小面積住宅」設計の受容過程
 小括

6章 西山住宅学の意義と課題
 はじめに
 1、戦時体制下における西山の「住宅供給論」 -大河内一男の生産力理論との関係から-
 2、第二次大戦後の西山住宅学の「貢献」とその「限界」
 3、同時代における西山の社会的役割とその具体的影響

結章


それでは皆さん、さようなら。
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元学生達との交わり

2011年12月17日 15時41分35秒 | 中国の大学、大学生
<昨日、外教のために大学側が忘年会を開いてくれました。その時、英語外教Gがサービスショットをくれました。Gの表情を見て、他の先生方も爆笑していました。>

今は基本的に今学期の授業が終わった為、気持ちを研究だけに集中させて取り組めています。
そのお蔭で、やはり気持ちも落ち着いて、色々と研究のことを思案するゆとりもあります。
あとは、ほぼこれまで書いた論稿を基に、博論各章を順次完成させていくのみです。

生活も全く自分の研究中心となり、生活リズムも特に決めずに、集中できる時間に自由に進めています。
(ただ、食生活だけは以前と異なり、結構、栄養バランスを気を付けるようにしています)

まるで修士論文を書いていた頃の、自分を思い出すようです。
まだ仕事はありますが、年末には完全に終わらせ、研究一本の生活に入ろうと思っています。


ところで、今日の午後、私の携帯電話が鳴りました。
相手は安徽省時代の教え子Gで、彼女は今、上海で仕事をしています。
私が安徽省の大学に勤務してから教えた初めての学生の一人でした。
(彼女はそこで班長をしていました)

この学年、特に、彼女が班長をしていた班は非常に雰囲気が良かったのを覚えています。
実際、今でもこの班の学生達とは交流が多く、時々連絡をしたり、食事をしています。


Gとの電話をしながら、最近の上海での互いの生活などを伝えあいました。
また、今後の互いの方向性(将来の進路)なども話題になりました。

私がまだ暫く上海にいる予定だと伝えると、Gは喜んでくれました。
Gは現在、私の生徒ではないので、普段は関わりは多くありません。
それでも、そういう風に思ってくれるとやはり何か私も嬉しいです。


いつも思うのですが、Gは必ず相手の立場になって考えようとします。
そして、自分がいくら大変でもあまり愚痴をもらしません。
とにかく、相手のことを配慮し、相手の為に行動しようとします。

今日の電話でも、私の博士論文のことをしきりに気にかけていました。

そのような性格の為、Gは大学在籍当時も学生達からも信頼されていました。
もちろん、私もGを信頼し、一目置いていて、困った時は色々と助けてもらいました。


こうした元教え子達との交流が今でもずっと続いているのは幸せなことです。
このような良い縁を中国でもっと広げていくためにも、来年以降も仕事をさらに頑張っていこうと思います。

電話の最後、

「今日はM先生と話せて少し気持ちが良くなりました。さようなら。」

と言ってくれたGの言葉に、私も気持ちが良くなりました。

Gさん、上海在住の元教え子達との忘年会セッティングよろしくね。
楽しみにしてます!
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感謝が出来ている学生は結果もついてくる?

2011年12月14日 22時56分21秒 | 中国の大学、大学生
<本日、ある四年生がくれた大量の果物!何でも、以前、少しだけ私が指導した通訳試験に無事合格したお礼とか。ありがとね!>

今日は今学期の最後の授業がありました。
そして、午後1時頃にはスクールバスでアパートのある旧校舎へと帰ってきました。
帰宅してやはりスッと肩の荷が下りた感覚がしました。

「何とか上海での最初の一学期が無事に終わったんだ・・・」

こんな感覚になり、少しだけ気持ちが安堵しました。
そして、急に軽い疲れと眠気に襲われました。。


そんな状態で暫しボーっとしていると、突然、携帯電話がなりました。
相手は四年生の女子学生Wさんでした。

何でも、先日受験した通訳試験に無事に合格したというのです。
そして試験前に僕から指導を受けたので、そのお礼を渡したいということでした。

彼女は真面目な学生で、四年の私が担当する講義はいつも前列で真剣に聞いています。
そして言葉遣いやマナーもしっかりとしていて、日本語会話も大変上手です。

「お礼」を受け取りにアパートの一階まで下りて行ってもらったのが、写真の果物です。
リンゴ・梨・オレンジ・バナナなどが沢山入っていました!


別に私は大した指導をしていないのですが、こうして感謝の気持ちを伝えてくれるのは嬉しいです。
私もWさんにお礼を言い、その後、少し立ち話をしていると将来の進路の話になりました。

当初、Wさんは会社か公務員への就職を希望していました。
そして、進学は全く念頭になかったようです。

が、Wさんの御両親は進学を強く希望していて、意見が対立していると聞いたことがありました。
それにWさんも悩んでいて、悩みながらも会社の面接を受け続けていました。

Wさんの性格は純粋でまっすぐ、嘘をつくことが出来ません。
また、竹を割ったような性格でもあり、ものをはっきりと言います。
そして、日本語や日本の中世史に関心が人一倍ありました。

ですので、私自身も進学した方がきっと良い成果が出るのではと内心感じていました。


聞くと、Wさんは会社の面接を受けながら、自分自身の向き不向きを一生懸命模索していたようです。
そして、最近、やっとその答えが出たというのです。

具体的には、

まず就職して、その後、大学院試験準備をして研究生になりたい、というのです。

やはり、Wさん自身も会社の面接を受け続ける中で、自分自身の活躍できる場所が違う場所にあると気づいたのだそうです。
そして、大学院進学は御両親も大賛成のことなので、自分の気持ちもすっきりしたような表情をしていました。

そんなWさんを見ていて、私も何だか心が嬉しくなりました。

今年の大学院試験にはさすがに間に合いませんが、就職をまず決めてから、次の目標に向けて頑張ってくれることを祈ります。


多くの学生達を見ていて思うことは、Wさんのように周りへの感謝の気持ちを持っている学生は最終的に良い結果をつかんでいきます。
もちろん最短距離で良い結果をつかむとは限らないのですが、それでも、やはり悪い方向へは進んでいかないように思います。

何より、こういう学生は教師の側も一生懸命支えてあげたいと思わせる不思議な力があります。


Wさん、たくさんの果物をありがとうね!
私も感謝していますから。
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日本における東アジア近代建築史の研究

2011年12月11日 00時21分04秒 | Mの研究活動や成果
<最近、少し飲む機会が増えている“紅牛”の健康ドリンク。ま、あまり飲みすぎは良くないのでしょうが…>

最近の歴史学界ではトランスナショナルな歴史像が求められること自体がもはや当然のことのようになっています。
そうした中、私の専門である日本近現代史でも一国史からアジアへと視野を広げていく流れが強まっています。

私は特に、日本の近代以降の建築(特に、住宅)・都市に関する歴史に強い関心を持っています。

最近では、この分野でも日本国内からもっと外に視野を広げた研究が進みつつあります。
しかし、幾つかの研究書も指摘するように、東アジアの近代建築の全体像を描き出した研究はありません。
どれも個別の建築や都市に関する研究であり、ぞれらを結びつけるような成果は今後の課題です。


さて、そうした研究状況の中で、私の研究視角は主に、

歴史学の研究成果や議論を、実際の建築(住宅)や都市に重ね合わせ、それらを共に交わらせながら一つの歴史像を構築する

というものだと考えています。
ただ、このように口で言うのは容易ですが、実際に一つの歴史像を描くまでの作業は困難を極めます。
それはやはり、建築や都市という存在は多面性にあふれ、その在り様を忠実に描く事自体が難しいからでしょう。
(逆に言えば、だからこそやりがいのある分野とも言えるのでしょうが…)

ともかく、自身の研究視角を柔軟に、そして広い視野から迫っていく姿勢が求められる分野です。


そうした私のような研究視角の背景には、基本的に日本の近代化の経験を考えたいということがあります。
そしてそうした点は、現在、東アジア近代建築史の研究状況をみると基本的に共通する点のようです。
(『東アジア近現代史通史 別巻』(岩波書店、2011年)所収の谷川論文参照)

ですから、今後はそうした枠組みや範疇を脱して、「次の」方向性を思考していく必要があります。
(ま、それは博士論文の研究が一区切りついてからの作業になると思いますが)
その時に重要なのは、「何を軸に」、「どこまでアジア建築・都市の多面性を忠実に」東アジア近代建築史を描いていくかです。

特に、前者の「何を軸に」描くのかが決定的に重要になると私は考えています。
そこが確認できれば、未だ出されていない東アジアの近代建築の全体像も描けるようになると思うからです。

ほぼ仕事、そして空き時間には博論に追われている現時点では、具体的な答えはもちろんありません。。。
しかし、今後の研究の方向性を決めていく為にも、そろそろこうした点を熟考すべき時期に入っていると感じています。

日本へ戻れば研究時間だけで、仕事はゼロなので、博論の執筆をしつつ、こうした点も考えていこうと思います。



さて、明日は二年生の学生宅へお邪魔して、彼らと一緒に食事を作ることになっています。

そして、これが今学期最後の学生達との交流になります。
学生の皆さんに対して、もっと日本語の交流をすべきなのでしょう…
しかし、私もそろそろ厳しい状況に置かれつつあります。

来学期また学生達と刺激的な新しい交流機会を設けて、とにかく彼らの語学向上の為に頑張るつもりです!
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