中国西安で奮闘する大学教師Mの日々

日本人教員として中国の陝西省西安市の大学生・大学院生に対し、「日本文化・社会」や「卒業論文」などを教えています。

ドキッとした言葉

2011年11月26日 22時16分56秒 | とりあえず日記
<せっかく上海にいるので上海の観光スポットを一枚。夜の外灘(Wàitān)あるいは、バンド(The Bund)で撮ったものです。>

唐突な書き出しですが、私は修士課程を終える時期、博士課程に進むかどうか迷ったことがありました。
その理由は様々あったのですが、一番の理由は自分の自信がそこまでなかった為でした。
が、自信がないのにも関わらず、何故か「挑戦してみたい」という思いが勝っていました。

それは一度の人生だから、せっかくなら本当にやりたいことをやりたい、と考えたからでした。

「その後の見通しは若干厳しめでも、とりあえず一歩を踏み出し、行けるところまでやろう!」

そんな思いだけで博士課程の進学を決めたように思います。
周りにそれを反対する人がいなかったのも幸いでした。
(指導教官、副指導教官、他の教官の方々、両親など)
むしろ、何故か応援してくれる方々が多かったのです。

そして、幸い、大学院側から等の支援で経済問題も解決でき、研究費にも一度も困ることがありませんでした。
(短期間ですが、自宅で小中学生相手に塾を開き、そこでも若干費用を賄っていましたが…)

その後、偶々、博士課程1年後半の時、現在の仕事の話を紹介頂き、中国へ渡る機会を頂きました。
そして、そこでも仕事環境や周囲の人々に恵まれたお蔭で、相変わらず充実した日々を過ごしています。

さらに、この中国生活の間、活字として研究成果も徐々に出てきています。
今年は、それらの成果をまとめ上げ、博論にまとめるため毎日頭を絞っています。

…しかし、やはり仕事もあるため、なかなかそれが早く進まないのが玉に傷でした。
それが理由なのでしょうが、若干焦る気持ちも生まれていたのが最近の自分でした。


「自分の好きなことだけをやって生活し、それで人々から感謝される。」


それが今の私の生活のはずで、その生活自体は本当に有難いもののはずです。
しかし、そうしたことへの有難さを最近は忘れかけていたのでしょう。


そんな僕に対して、核心をつく言葉をかけた学生がいました。
それは学生と私が話している時の一言でした。

確か、私が自分の大学院時代から今に至る自分の経緯を学生に話していた時だったと思います。
恐らく、私が何か愚痴じみたことを言ったのだと思います。
その学生は突然、私にこう言ったのです。

「先生は自分の好きなことを出来ていることへの素晴らしさが分かっていませんね。」

と。
その言葉を言った後の、学生の顔を私は忘れることができません。
恐らく、自分の「苦い」経験から出た言葉だったのでしょう。
だからこそ、学生のこの言葉には相当な重みがありました。

この学生の言葉から、今、自分が置かれている環境に感謝足りないのだと心から思えました。

突然、

「人には様々な人生があるけど、実は自分の本当に好きなことをして生きていける人は少ないんだ。だから、そういう人は幸せ者だ。」

と幼い時、父から聞かされたのを思い出しました。
思えば、この言葉を一度でなく何度も父から聞かされたものです。
(何で父がそういう言葉を私に言ったのかは分からないのですが)

そして、博士課程の進学が無事決まった時、日頃お世話になっているある方にも同じ言葉をかけられました。

「Mさまは自分の御興味が、自身の仕事になっているのですから素晴らしいですね。でも、それは当たり前のことではないのですよ。」

こういう言葉だったと思います。
やはり、この言葉も記憶に深く刻まれています。


学生からの一言で、何かこれらの記憶が一気に私の頭によみがえってきました。
そして、自分の今の恵まれた環境に本当に有難い気持ちでいっぱいになりました。
何より、もっともっと頑張ろう、いや頑張れる!と思えました。


学生といっても、大学生の彼らはやはり立派な大人です。
この学生の言葉から、感謝が出来ていなかった駄目教師Mは大切なものを教えてもらったのでした。


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