中国西安で奮闘する大学教師Mの日々

日本人教員として中国の陝西省西安市の大学生・大学院生に対し、「日本文化・社会」や「卒業論文」などを教えています。

中国の大学における校友会ネットワーク

2017年12月11日 03時43分23秒 | 中国の大学、大学生
今週末は次週の研究発表準備で半分以上を使った関係で、授業準備が後回しになりました。
その関係で久々に深夜まで作業する形となってしまいました。

なお今日夕方、作業がひと段落した後でスーツをクリーニングに出し、マッサージに行ってきました。
スーツは日本の研究会で着るでしょうし、最近は座る時間が長いので肩や腰が凝っていました。
(中国の場合、地元の家族やおじさん・おばさんが入っているマッサージ店なら安心)
本日の店は、肩・背中・腰、足つぼのセットマッサージが50分で40元でした。


それはそうと最近、自身が勤務している西安交通大学の日本校友会の方とつながりました。

ちなみに中国には交通大学は西安だけでなく、上海・北京・西南の計四つがありますが、
それぞれがまとまって「交通大学日本校友会」という組織をつくっています。
(12月10日。上野でその懇親会があったようです、かなり大規模なそれ)

西安交通大日本校友会の場合、最近、「留日交大人」という研究プロジェクトを開始し、
日本へ留学経験のある交通大の学者に焦点を当てて、研究を行っているとのことです。
まずは初代校長で、京都帝国大学に留学経験を持つ彭康(パンカン)を調べるとのこと。
交通大学の校史博物館の先生方も協力して進めているプロジェクトのようです。

私も最近、近代以降の留日学生についても研究を始めていたので興味深く感じました。
そもそも「西安=古代の日中交流の舞台」とばかり思っていた自己認識が大きく揺さぶられ、
西安(特に交通大の場合?)で近代以降の留日学生を軸に、当時の交流史を研究することの
可能性を感じました。


西安交通大学の場合、上海にあった大学を西安へと大規模な引っ越し(西迁)が実施されており、
当時、上海で教えていた大学教員たちはほとんどが皆、西安へ移ってきたわけです(1955‐)。
その中には初代校長となった彭康(パンカン)だけでなく、他にも元留日学生だった教員が
多数含まれていたと推測できます。

かれらが西安に異動後、留学経験をどのように生かして活躍していったのか、
或いは新中国建国後、国の発展に与えた具体的影響などを考える仕事は面白いテーマになるでしょう。
(この他にも、もちろん色々と研究課題の切り口はあるはずですが…)


「西安に異動しても西安とは無関係の研究を進めることになるんだろう」などと
やや悲観的に思っていた自分もいましたが、ココを舞台にした課題も見つかるかもしれません。

ですので個人的には楽しみが増えて嬉しい、今はそんな気持ちになっています。