ねむたいむ

好きなもの ゆるやかで懐かしい時間

なんとなく活動的な日々

2012-05-26 | Weblog
だらだらと家にいて、本を読んだり、テレビを見たり、家事をしたり、が日常なので、京都まで出ると「私、すごく活動してるわ」という気になる。
そんなわけで今週はちょっと活動的。

水曜日はヤザキさんのスタジオでヨガ。始まったばかりの教室は先生二人に生徒は私だけ。素晴らしいダンサーさんにこんな運動音痴の指導なんかさせていいのかと思いつつ、ヤザキセンセイの言うとおりに体をひねったりのばしたり。準備運動の段階ですでにキツイ。力を抜いているつもりなのに、力が入っている。難しい。呼吸のしかたもわからない。朗読の時には腹式で呼吸をしろと言われているのに、ここでは胸で呼吸しろと言われる。ややこしい。でも終わったあとは身体がすっきり。どよんとした曇天の空がピーカンの青空になったよう。ちゃんと続けて、力を抜くことも呼吸法もマスターしたい。

木曜日は筋肉痛だったのでとばして、

昨日はお芝居のはしご。
昼はアトリエ劇研で劇団飛び道具の「七刑人」を観る。
重いテーマなのに観ていてしんどくはならない。登場するのは死刑になる七人だけで、それ以外の登場人物や状況の説明は語りの女性ひとりが担当していて、そういう演出も洗練されていてよかったと思う。それぞれの心境は深く追求はされていなかったけれど、そこにまた余韻があった。
夜は西陣ファクトリーで広田ゆうみさんの朗読の公演。
広田さんのライフワークのような別役実作品の朗読。「黒い郵便船」は朗読すれば90分にもなる作品。
私も好きで読んでいた別役童話。黒い郵便船は、暗い寂しいお話だ。
それを音楽もなしに90分。ゆらゆらと揺れるロウソクの光をみたり、広田さんの表情をみたり、途中何度か意識が途切れたり(たぶん、居眠りしていたのだ)。なにせ90分だもの。なにせ舞台には白と黒の衣装の修道女みたいな広田さんだけだもの。
でも、本当に素晴らしい朗読で感動してしまった。終わったあとに、じんわりと涙腺が緩んできて、帰りの道すがら、心が気持ちよく泣いていました。
そして今日はこれから直木三十五記念館に落語を聞きに行ってきます。
早く支度をしないと遅刻しそうだ。

              *******

適当な写真がなかったので、ヤザキさんのスタジオに飾ってあったガイコツの写真を。
俳優の平岡さんに似ていたので、メールしたら「なんでやねん!」と怒られてしまった。













眠りから連想ゲーム的に

2012-05-13 | Weblog
眠くてたまらない。
この眠たさは現実逃避だ。何かから逃げたいというのではなく、考えることをしたくないので眠りに逃げ込んでいるという感じ。
ひまだなあと言われそうだけど。まあひまなんですが。
作品を書き上げたり、関わった公演が終わった後、いつもこういう感じになる。
達成感と虚脱感は、言ってみれば背中合わせだ。

背中合わせといえば、好きな人と、背中を合わせることか見つめあうことか、どちらかしか出来ないとしたら、どちらを選ぶだろうか?なんてふと考える。
見つめあえば笑顔をみることが出来るけど触れることはできない。背中をあわせていればそのぬくもりは伝わってくるけれど表情はみえない。
うーん、難しい選択だ。

難しい選択といえば、去年の秋に葉を落として以来、枯れ木のようになっていて、それでもずっと水だけはあげていた木が、今日、小さな小さな葉っぱをつけた。水遣りもいいかげんなのにいつも元気で葉をモフモフさせている木の横で、ひっそりと。
どちらの木が素敵?
そりゃあ、知らない人が見たらモフモフのやつに決まってるけど、私にとっては手をかけた木が可愛い。
そういえば「星の王子さま」に、「あんたがあんたのバラを大切に思っているのは、そのバラのために時間を無駄にしたからだよ。面倒をかけられた相手には、いつまでも責任があるんだ」という言葉があったっけ。

面倒といえば、最近の面倒は母だ。
昨日は母の調子がよかったので、京都に連れ出した。
電車で街に出て、買い物をして、食事して、お茶を飲んで、ということを、ほんの少し前までは普通にしていたのに、最近はひとりで出来なくなってしまった。
昨日は満面の笑顔。うきうきとおしゃべりし、私に腕を絡ませて楽しそう。
でも今日はそんな昨日のことはすっかり忘れている。ただ、楽しかったという気分だけは覚えていて、それが不思議。事実よりも気分なんだ、今の母にとって。
だからすぐに忘れてしまうけど、私はいつも約束している。いいかげんといえばいいかげん。
ーまた京都行こうね。夏になったら花火観に行こうね。秋は温泉に行こうねー
約束は人を楽しい気分にさせる。
達成してしまったら楽しみはその時点で終わる。
そうか、それで達成感と虚脱感は背中合わせなんだな。

と、またまた眠気の襲ってきた頭で、だらだらと思いを巡らせている私です。











 




古道具屋さん

2012-04-30 | Weblog
初めて古道具屋さんに興味を持ったのは高校生のときだ。
高校で一番勉強の出来なかった男の子に誘われて、京都の古道具屋さんめぐりをした。
とても暑い日だった。彼は、テストの成績はいつもビリだったけど、頭が悪かったというのではない。美術部と文芸部を掛け持ちしていて、不思議な絵や詩を書いていた。
あとでわかったことだけど、それは状況劇場のチラシや台本によく似ていた。
古いものといっても骨董品ではなく、時代ズレしていて不思議なもの。そういうものに彼は興味を持っていた。ランプシェード、キセル、福助の人形、ガラス瓶、誰が描いたかわからない絵、何かの部品…。
彼はまた不思議なパフォーマンスもしていた。誰のアパートの部屋だったか知らないけど、そこを一日借りて、自分の描いた絵を張り巡らし、ぶつぶつと低い声で詩を朗読したりしていた。その時の観客は、わたしだけだったと思う。
当時の私は子供で、そういう彼をよく理解できていなかった。
変わった人、あまり付き合わないほうがいいよ、というクラスメートの言葉を聞いて、本当はちょっと怖かったりした。怖かったけど、誘われるとついて行った。
彼は、私がそれまで知らなかったことを、たくさん教えてくれた。
サド侯爵や澁澤龍彦やロートレアモンや四谷シモン。
高校を卒業して、大学など見向きもせず、彼は九州に行った。
看板屋になるんだと言っていた。
その後何十年かたって、彼はりっぱな版画集を出すような画家になった。
でも、そうなった彼は、もう私の知らない人だ。

川上弘美の「古道具 中野商店」の古道具屋さんを読むと、そのころのことをちょっと思い出す。とても好きな作品で、川上弘美のなかでは一番好きかも知れない。
でも最終章は余計な付け足しで、私はいらないと思う。
なんだ、そうなるのねと、思ってしまった。

ところで、私ごとですが、昨日、古道具屋さんを舞台にした作品を書き上げました。
まずは一人で「乾杯!」です。








星みずくでしたかったこと

2012-03-30 | Weblog
4年前、星みずくというユニットを作った理由は、手短に言うと、自分の書いたものを自分の身体と声で表現してみたいということだった。

人前で話すということに対して、私にはとても大きなトラウマがある。
あれは、小学5、6年生の時だ。
読書感想文が学年の最優秀賞に選ばれ、全校生徒の前で読むことになり、読みながらあまりの緊張で震えだし、あげく声が出なくなってしまったのだ。
その後何日間か失語症の状態が続いた。
でも記憶に残っているのは、声が出なくなった不安や辛さではなく、そのことに対して担任が言った「読むのは他の子がすればよかったのに」という言葉だった。
私は人前では表現出来ない子なんだと思った。

人前で表現出来なくなった私の楽しみは、物語をひとりで読むことと書くことだけだった。それでまがりなりにも賞も頂いたし、仕事としてやっていくことも出来た。
でも、4年前、突然に思ったのだ。

本当にしたかったことを見ない振りして終わっちゃう人生ってどうよ。

だから、星みずくの第一回の公演を観に来てくれた親しい演出家の高木真理子さんに、「み群さん、自分の物語世界を表現したいなら出るのは役者にまかせなさい」と言われた時もめげなかった。そう言われないようにがんばろうと心に決めた。高木さんは、それから毎回観てくれて、三回目の公演のあとは、ちょっと誉めてくれた。そのことは今書いていても涙が出るくらいうれしかった。

さて、そういうことで、今は第5回目の公演に向けての稽古を少しづつしている。
次回は音響も照明もない。相棒も、酒井周太くんただひとりだ。
酒井くんの演技もギターも未知数の段階で、この人なら試行錯誤の稽古に我慢強くつきあってくれるだろうと勝手に見込んで、私は彼を相棒に決めた。

書きたい作品のイメージが稽古しながら生まれていくというのも初めてで、次回は今までの星みずくとは違った作品世界をお観せできると思う。

ただ公演日は、今年の秋はちょっと無理になり、来年の春頃の予定。
もともと友人・知人の少ない私。少人数になったうえに公演日も延びて、
はたして観に来てくださる方がいるのかどうかが、ちょっと心配です。


























ホテルニューハンプシャー

2012-03-23 | Weblog
ジョン・アーウィングのことは村上春樹を通して知ったのだと思うのだけど、「ホテル・ニューハンプシャー」が、とくに好きだ。
映画化もされていて、読んだ後でDVDで映画も観たが、本で読んだ印象のほうが強烈だった。

行き詰った時、疲れた時、私はこの本を手に取る。
この本では、ぱらぱらとページをめくっているだけでも、すぐに突拍子もないものたちと出くわす。
何もかもが波乱万丈すぎて、いくら小説だからって、とあきれていると、「開いた窓の前で立ち止まるな」という言葉が出てきて、読むのをやめられない。
同性愛者の兄、近親相姦の姉弟、小人症の妹、熊の着ぐるみから何年も出られない娘、剥製になった愛犬などなどが次々登場してきても、「人生はすべておとぎ話」なんて言われると、納得して、また読み進んでいく。

そして読み終わってみると、なんだか変に爽やかなのだ。
哀しいのにやさしくて、重くるしいのに清清しい。
死がいっぱい出てくるのに、暗さを突き抜けた明るさのなかに、残された人たちが佇んでいる。登場人物だけでなく、読んだ後の私自身も、何かをふっきれたような気持ちになっている。

この本にははっとする言葉、シーンがたくさん出てくる。
なかでも一番心に残っているのが、
「人生は深刻だ。でも、芸術は喜びに満ちている」という一節だ。
生涯を街頭道化師として生きてきた男の言葉なのだけど、なんて素敵な言いぐさだろうと思う。
街頭道化師であることの、誇りと自信。苦悩と喜び。

上下2巻の長編だけど、私の心に残る小説ベスト10に入る作品です。










ひなまつりとりかさん

2012-03-02 | Weblog
ひな祭りが近づくと読みたくなる本がある。
梨木香歩の「りかさん」。人形というものについて、いろいろ考えてしまう物語だ。

子供の時、児童文学を読まなかった私は、児童文学というものは、すべて大人になってから読んだような気がする。
フィリパ・ピアスやルーマ・ゴッテンなどの作品を、子供の頃に読んでいたら人生が変わっていたかもしれないなあと思ったりもするけれど、高校の時、サド侯爵の本に傾倒していた自分が、今反社会的な人生まっしぐらというわけでもないところをみると、本によって変わる人生なんてそんなにはないのかもしれない。

主人公のようこちゃんが祖母から貰った人形、りかさん。リカちゃん人形が欲しかったようこちゃんは、はじめ市松人形のりかさんにがっかりするが、すぐに愛情を感じるようになって、りかさんの心の声を聞くことができるようになる。ようこちゃんはりかさんを通して、いろんな人形たちの思いを知り、その人形たちの哀しい傷を理解し、昇華させる手助けをしていく。
親善大使としてアメリカから渡ってきたのに、第二次世界大戦中は鬼畜米英の象徴として串刺しにされ火あぶりにされたビスクドールの話など、子供が読むには結構残酷な場面もあるが、雛人形たちのユーモラスなエピソードなどもあり、物言わぬ人形を愛しく思える物語だ。

私自身の子供の頃の人形遊びといえば、紙で作った着せ替え人形で、人形も洋服も自分で描いて物語を作り、一人で何役もこなしながら遊んでいた。
雛人形も小さなものは持っていたが、いつのまにかなくなってしまい、それに対しての思い入れもない。

よい人形は、持ち主の心を浄化するという。人形が身代わりとなって、持ち主の強い感情やにごりの部分を吸い取ってくれるのだそうだ。
ふりかえって、私の紙人形たちが、私のいやな部分をみんな引き受けて、正しく純な少女にしてくれたとはとても思えない。

ああ、私って、いまだにつくづく不満ばっかり。
嫉妬や憎しみやいやな感情で胸がいっぱいになると、
今の私にも、よい人形が必要なんじゃないかって、考えてしまうのだ。

劇団大樹さんの新作のこと

2012-02-12 | Weblog
うーん、どうしよう、で一ヶ月。
何年も前から延ばし延ばしにしていて、でもはるばる大阪までモクレンもみみずく町も観に来てくださった主宰の川野さんをこれ以上待たせられないと、4月までに書くことを決心し、大体のストーリーも年末に送ってしまっている。
書き出したものの、これがぜんぜん進まない。
川野さんと主人公が重ならないのだ。
書いては消し、書いては消し、うーん、どうしよう。
難航どころか港からも出て行かない。
まあ、あちらもすぐに上演というわけではないし、ちょっと置いておこうか...いや、だめだめ、そんなことをしてしまったら、また何年先になるかわからないじゃないの...。
悩んだ末、この設定じゃムリだと、あらためてもう一度最初から練り直すことにする。

集めた資料やメモ、大樹さんの今までの公演の舞台写真、私が今まで書いたものなんかをパソコンで検索してた時、ひとつの作品のタイトルが目に飛び込んできた。
以前シナリオ学校の生徒さんのために書き下ろした10分ほどの短編だ。
こんなものも書いてたんだと開いて読み始めた時、突然、天恵のように(なんだかオーバーな表現ですが)、その短編の主人公と川野さんの顔が重なったのだ。
すぐさまその男を頭において、いままで考えていたストーリーを再構築していくと、
あらら不思議、登場人物が動き出し、物語が展開していく。
こうなれば、私の場合、もう大抵大丈夫なのだ。
やれやれ、やっと楽しい船出という感じになってきた。

というわけで、このブログを読み始めてドキドキしていた川野さん、安心してくださいね。
(写真は2009年に劇団大樹さんで上演してもらった「森蔭アパートメント」の舞台写真。マリンバの生演奏も素敵でした。)

★近況★
人に会わない日が続く私。名刺代わりにもなるかなと思い、最近Facebookに登録してみました。

迎春

2012-01-07 | Weblog
迎春。「げいしゅん」と読むそうだ。何を今更と思われるだろうけど、恥ずかしながら、私、ずっと「ぎょうしゅん」だと思っていた。
で、迎えた春早々、大風邪です。

元日に喉が変だなあと思っていたら、2日に焼けるように痛みだし、3日に熱が出て、頭痛、関節痛、咳、鼻水、鼻づまり、声枯れ、もうすべてがそろった何年ぶりかの酷い風邪。
年賀状を2011年と書き間違い、100均で★のシールを買ってきてごまかしたバツだろうか。やっと熱も下がり、さっき、今年初めておかゆじゃないご飯を食べ(今日こそ無病息災の七草粥の日だっていうのに)、ハーゲンダッツのバニラアイスクリームも食べる。でも味覚がおかしくなっていて、ぜんぜん味がわからない。
約束していた友人の絵の個展も行けなかったし、
ストリッパーさんのマネージャーをしている別の友人からの、「踊り子さんの横で朗読してみーへんか?」という甘美なお誘いも反故にした(すごくやってみたかったのに)。

病気は理不尽だ。なにもかもが計画通りにいかなくなってしまう。
頭がぼやっとしてるのでまとまったことは考えられないし、難しい本は理解できない(ただでさえ良くない頭なのに)。
寝ながらポツポツとページをめくるのは、暮れからマイブームの浅田次郎。今日は「月のしづく」という短編集のなかで、まだ読んでなかった「銀色の雨」を読んだ。浅田次郎は泣けてしまう。冷静に考えたら、やっぱりこれって男の作家のたわごとじゃないのと思いつつ、案の定泣く。

次に、気分転換に音楽でもと、長谷川きよしの「遠く離れたおまえに」を手に取る。
「小さなひなげしのように」という古いシャンソンを、ギターと男性歌手の声で聴いてみたくてネットで検索してみつけたCDだ。
盲目の歌手・長谷川きよしが、30年程前に、モロッコやスペインの街角でギターを弾きながらレコーディングしたというアナログ版を、2005年に復刻したものだそう。
去年の夏から演出家の幸さんに貸したままになっていたので、あれはプレゼントして、また買えばいいかと再度ネットで調べてみたらすでに完売、再販の予定もないということで、中古版がすごい値段になっていた。で、あっさりプレゼントはやめて返してもらう。私はこの中の「小さなひなげしのように」と「アモーレ・ミオ」が好き。
ギターの絃の擦れる音って、本当にいいなあ、安らぐ。

というわけで、ぜんぜんまとまりませんが、
皆様、今年もどうぞよろしくお願い致します!















年末の小掃除

2011-12-26 | Weblog
掃除が苦手だ。片づけても片づけても散らかってしまう。
ものは増えていくのに、古いものを処分しないからあふれるばかり。
片づけの本がいろいろ出ている。
「人生がときめく片づけの魔法」というのが面白そうだったので、買って読んでみた。
ときめかないものは処分する、とある。それにしたがって小掃除をしてみる。

洋服をごみ袋三つ分、本や雑誌類を300冊ほど、キッチンや物置にあふれていた訳の分からないものをダンボール箱二つ分、処分した。少しすっきり。
ついでに机周りを整理する。作品の下書きの類、ボツになった企画書、チラシ・パンフレットの類、いちいち考えていたら置いておきたくなるので何も考えずに次々捨てる。かなりすっきり。
これで東京の劇団大樹さんの新作に取りかかれる。

こんなに捨ててあとで困るんじゃないかと一瞬思ったけど、少し時間が経つともう捨てたものがなんだったか忘れている。
人生ってこんなものかもしれない。
大切だと思っていたものだって、なけりゃないでどうにかなる。
なくなったところにまた大切にしたい新しいものがやってくる。
ものは捨てても、そのものたちが残してくれた記憶は私のなかに残る。
記憶は見えないけれどなくならない。

引き出しを整理していたら星みずくの第一回公演の後に書いた手紙の反故が出てきた。
「星みずくは極小規模ですが、作品だけは練りに練った書下ろしの自信作を用意します。店構えも盛りつける器も質素だけど、出す料理だけはどこにも負けない小料理屋だと思ってください。お客様は少数限定。とても贅沢な企画です」なんて、書いてある。
その星みずくも来年で5年目。
今年は夏に、私としては精一杯がんばったお芝居の企画をしたので、
星みずくの方は再演という形にした。
来年はちゃんと新作を書く。
ギター演奏と語りの相手役を引き受けてくれる酒井君との、今までで一番の極小ユニットだ。
先日、会場にしようと思っている京都の高瀬川沿いにあるライブハウスを、二人で下見に行った。
クリスマスシーズンなのにクリスマス色ゼロのお坊さんのライブをやっていて、でもこういうのも、なんだか印象に残るよネ。

次回星みずく、来年の秋の予定です。
ぜひぜひ、いらしてください。

それでは皆様、よいお年を!

(写真は、夏の公演の時がんばってくれた猫のコータ。小掃除しながら目が合った。
アンケートに、ぬいぐるみのクオリティがすごいなんてのがありましたっけ。
コータは、大丈夫、捨てないからね)。










公演終了。ありがとうございました!

2011-11-21 | Weblog
20日、一日だけの星みずく公演「みみずく町異聞」が終了した。

昼は太陽光、夜は窓から見下ろす街の明かりを取り入れての舞台作りだったが、たしかにそこに、みみずく町が出現していたと、私は思う。

作品世界をよくわかってくれて、演出をしてくれた上、音響、照明、チラシ・デザイン、印刷と、すべて担当してくれたカッキーさん。見えないところにまでコリに凝った役作りをしてくれた出演のときちゃん、山本さん(あ、この間結婚してヨシモトさんになったのでした)、ロッテさん、ノアさん。人生で着たことのない赤い衣装を、恥ずかしいのをがまんして着てくれたギターの出口くん。忙しい仕事の合間を縫ってセット作りを手伝ってくれた酒井くん。当日てんてこ舞いをして、ちゃんと舞台を観ることも出来なかったかばさん。受付を手伝ってくれた出口くんの奥さん。西村さん(もと上司なのに、こき使ってすみません)。公演中、色々とサポートをしてくださったカフェコモンズのスタッフさん達。そして遠方からも観に来てくださった満員のお客様すべて。

みんなみんな、感謝の気持ちでいっぱいです。

次回の星みずく公演は来年の秋頃。
メンバーもがらりと変わって、少人数。
それでも興味があるという方は、またぜひ、観に来てくださいませ!

写真はノアさんが撮ってくれたもの。
したがって美貌のマリーは入っていません。
ファンの方、アシカラズ。