こんにちは江崎遊子です。

ちょっと言ってもいいですか。

今年も宜しくお願いします。

2017年01月03日 | 日記

 年末の30日、ほぼ一ヶ月ぶりに旦那が帰宅した。
 山口の宇部での個展、大分での個展とふたつの個展をこなして来た。
 ハイエースに、これでもかと言う程作品を詰め、
 見た目は行商に出掛けるようだった。
 
 出先での暮らしで、色々な事を体験し
 帰宅すると、新たなマイブームが始まり、しばらくは新しいルーティーンが続く。
 今回は、世間では当たり前だけど、毎朝顔を洗い、ニベアクリームをぬる。
 今までしてなかった方が不思議だけど、若い頃、歯磨きをしないことを、「犬が歯を磨くか」
 と豪語してた旦那である。この変化を喜ぶべきだと思う。
 どうやら、毎日続けてたらしく、顔がつやつやで、疲れを感じさせない。
 思ったより元気で、滞在した画廊の方達との折り合いもよく
 居心地が悪くなかったようである。

 朝起きると、炬燵の上の旦那が食べた後のみかんの皮の量に改めて驚く。
 柑橘のみっちゃんと言う異名を取る旦那の真骨頂だ。
 そのお陰で元気かもね。

 寺の次男に借りたCDを返そうと思っていたので、一応旦那に聞くかどーか聞いてみたら
 きくと言うので、居間のステレオで『歌縁』をかけた。

 大分の古着屋で買ったと言う帽子を被り、同じく古着屋で買ったフリースを着ている。
 ソファに坐って爪を切りながらCDを聞いている。

 ちょっと不思議な思いがよぎった。存在感を感じた。
 そこにいる旦那から発するユーモアがふっと笑いを誘うし、
 それは、おばあちゃんに近い存在のおかしさをかもし出していた。
 安心感を感じさせるのか。

 旦那が作家としてやってこられたのは、人脈に恵まれるという持って産まれた才能があるから。
 人との関係性で対立する事も多々あるけれど、アートと言うものを背中に背負って
 個展をする時、人が不思議と集まって来る。お陰で個展を続ける事が出来るし 
 私たちの生活も成り立っている。

 人は簡単に「淋しいでしょ」と言う。例えば、子供たちが自立し、家から出て行く時とか。
 旦那の長い留守とか。
 旦那にしても子どもにしても、私のものではない。
 子どもたちが相手を見つけ、新しい暮らしを始める時、こんなに喜ばしい事は無い。
 元気にやっていれば、この上なく嬉しい。
 大人になって、帰省する度に話をすることが楽しくなって来る。
 そう言った変化は親としてこの上なく幸せな時間である。
 
 大事なのは、ひとりでも生きて行ける、と言う自覚である。
 寄りかかってもいいし、ぶら下がってもいい。
 わたしたちは一人では生きられない。
 
 でも、たったひとり、広い大地に立っている、と自覚出来た時
 存在の真実を知り、そこから命の躍動が始まると実は思っている。

 淋しいのは自分が信じられない事。
 人を信じられない事。
 一見つまらないような日常でも、しっかり見ていると、面白い事が満載である。
 さあ、今年も何とかなるさ。ちょっと消極的でしょうか。まあいいじゃん。

 毎年みる箱根駅伝。
 いいなあ。あの一生懸命走る姿に涙が出ちゃう。
 シリアにもそんな日が来る事を願うばかりである。
 
 すんませんね。

 

 
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