こんにちは江崎遊子です。

ちょっと言ってもいいですか。

コンパクトに幸せ。

2017年07月09日 | 日記

 友だちが「幸せと思った事を、持続する為に囲いを作りたい」と言っていた。
 その時,どんな幸せなんだろう,と思ったけど、『囲い』を持続するのは楽しく無さそうだと思った。
 妄想であれ、そこに居座りたいと思うような幸せを色々イメージした。
 例えば、男女の熱愛とか。

 最近、実は幸せだと思っている。
 例えば、誰かのお陰かも知れないけど、
 身体が動き、することがあり、それらがひとつづつ片付いて行き、
 その中心に自分への信頼がある。恐らく,これがキーポイントではないかと思っている。
 そんなことが幸せか,と言われそうだけど
 自分でも不思議ではあるけれど、心の平安がある。

 昨日、耕耘機で畑を耕耘した。一瞬、今帰省中の息子に頼もうかと思ったけど
 やはり自分で耕耘した。有機石灰をまき、ボカシをまき、納屋から耕耘機を出して来て耕耘した。
 あの,固かった土がふかふかになって行くのが楽しい。
 そして、ふかふかになった土の上に買って来たバジルの苗を植え、枝豆も植える。
 それらは繋がっていて、バジルは夏の定番になりそうなお料理『アクアパッツァ』に必用である。

 気分的には日常が毎日非日常みたいだ。
 これって最強ではないかと,ひとり悦にいっている。

 ところが、金曜日のスッピンで高橋源一郎さんが本の紹介で面白い事を言っていた。
 ある脳科学者が30代で脳梗塞になり、その体験の過程を8年かけて本にしたと言う。
 それは、左脳が壊れて行く過程であり、左脳が壊れて行く時、人間としての個体が失われるとか。
 左脳が壊れると、自分が流体のようになり、その流体の中にいる感覚は幸せなんですって。
 流体の中にいるってことは右脳の中にいる、ということらしい。
 うーん。
 自分の力でさも今の自分の平安があると思い込んでいたけど、
 もしかして、わたしの左脳が壊れつつあるのか。
 だとしても、悪くない。
 その脳科学者はリハビリで左脳を回復させて行く時、流体の中にいた幸せな感じが失われて行くのが寂しかったとか。
 面白い。その本読んでみたい。

 人と拘っていると雑事が次から次と出て来るけど、そのひとつひとつをこなして行ける事が有り難いと思っている。

 でも,方法がよく分からないけど左脳も鍛えよう。
 
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