梅桃ひよ子劇場

つれづれなるままに・・・ひぐらし生活論デス

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母への手紙。

2005-05-17 18:04:44 | マイファミリィ日記。
『母への手紙』(梅桃ひよ子・28歳・母へ)

私は、秋の寒さが身にしみる、そんな季節に生まれた。
私が1歳5ヶ月のとき、弟が生まれた。
私が5歳のとき、2番目の弟が生まれた。
私が12歳のとき、3番目の弟が生まれた。
母は、たったひとりの女の子で、一番最初に生まれたから、
みんなちやほやして可愛がったのよと言ったが、
私の記憶の片鱗にも残っていない。

弟とケンカすると大抵激しくなって物が飛び、
ついには取っ組み合いのケンカになってしまう。
そんな時も、私はいつも
「お姉ちゃんでしょ」と言われて叱られた。
私は好きでお姉ちゃんになったんじゃないっていつも思っていた。
祖母にも同じように叱られ箒で叩かれたこともあった。
やっぱりその時も、好きでお姉ちゃんじゃないのにって思っていた。
弟はそのことを知っているのかいないんだか、
私に対して「おい」とか言ってすごく強く出てきていて、
またそのことで私が頭にきてケンカになって、
同じように「お姉ちゃんだから」と怒られる。
納得いかない。
おかげで兄弟仲は最悪だった。

もともと父は気が短く、少しでも自分の嫌なことがあると
すぐに手を出してしまう人だった。
それで会社の上司を殴り転勤を余儀なくされたこともあった。
そのために8回も転校した。
冗談じゃないといつも思っていた。
やがて父の暴力は外から内へと変わり、
犠牲者がよその人から身内になった。
母が一番殴られた。
全身あざだらけになった。
上の弟もやられていた。
丁度反抗期だったから、父は弟の態度が事あるごとに気に入らないと殴った。
同じく反抗期の私も殴られた。
もうこんな家庭ガマンできなかった。
父が弟の頭をガラスでかち割り大怪我を負わせたとき、
私は大声で叫んでいた。
「出て行け!!2度と顔を見せるな!!」と。
父は出て行った。
そして2度と家の敷居をまたぐことなく、
7年の別居を経て、2年前に離婚した。
それより1年ほど前に、
借金を抱えたまま上の弟は失踪し、
今でもどこにいるのかわからない。

こうして見ると、どこからどう見ても
幸せとは言えない家庭に私は生まれ、育った。
恨んだことも数え切れないほど、ある。
よその幸せな家庭を見ていると、
嫉妬と羨望の感情が今になってもわくことがある。
それでも、これまで私自身が幸せだと思えてきたことはゼロではない。
夢が2度も実現できたのも、
大好きな、大切な人と出会うことができたのも、
母が私をこの世に生んでくれたからできた。
家族のことは今でも消化しきれない気持ちがあるけれど、
それでも私は生んでくれた母に感謝したい。

ありがとう。
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