**ももくり日記**

なんでもない日常が大切で・・・

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こっちも

2012-11-20 | にちじょう
しばらく更新していないと、ブログの見てくれが悪くなる。
ちえっ。

久々のインプット。どなたが立ち寄ってくれてるのかわからないけれど、
もしよろしければ、現在の日記にも来てみてね。

ももくり日記


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それから

2011-07-13 | にちじょう

1か月たった。家のこと、体が動かなくて、後回しにしていたことがひとつずつかたづけていった。
体が重くてどうにもならなかったのに、ひょいひょい動ける。もう息切れもしない。動いていないと、
自分を責めてしまいそうで。自宅勤務に切り替え、仕事と家事と・・そんな感じで夏が始まった。
そして、あとちょっと。あとちょっとの猶予をもう少し頑張る事に。あらふぉー妊娠騒動第2弾。
子供・・いなきゃいないでいいや。は、もう少し後ろにおいておくことにして。
以前のあらふぉー子作りとは違う意思が、オットと私に芽生えたのも確かだ。

妊娠が中断された途端に、私の血圧は速攻正常に戻り、下半身の苦痛がウソのようにラクになり、
不必要に出血もせず、お乳がはることもなく、体は数か月ぶりにバカみたいにラクになってしまった。
まるで何もなかったかのように。そうなると、いかに自分が異常な状態をおしていたのかがよくわかった。
つわりからお腹が大きくなる間で、私はそれに慣れてしまっていたのだ。それが切なかった。
もっともっとケアが必要だったと思う。
相変わらず気持ち同様、私の体もセルフィッシュだったわけだ。母体として不完全だった。
もし次にChanceがあるならばと、リスクをひとつでも減らして、体を整えて、高齢出産に臨む気でいる。


家に連れて帰れた我が子は、毎日、寝室で猫たちとお留守番している。
1日の始まりと終わりはいつも家族と一緒である。庭の花をいつも飾っている。
オットが入院中、めそめそしてる私に持ってきた本は、「じゃらん」だった。
ここに載ってる温泉に全部行くぞ。そう彼は言った。たくさん笑ってたくさん出かけよう。俺たちが
幸せじゃないと、彼女は戻ってきてくれないから。そう彼は言った。全部なんて行けるわけないのに。
オットはいつもバカみたいに前を向いている。

彼が絶対大丈夫って事はおそらく絶対大丈夫なのだ。と。私も少しずつだけど、そう思ってきている。
子作りがどうでもよくなった時、筋腫が発見されてもういいと落ち込んでいた時も彼は大丈夫。
絶対妊娠できるとそう言ってくれた。
妊娠してからあれこれ不安を口にする私に、絶対大丈夫。ちなみにこの子は、女の子だから。彼はそう言っていた。
私が常々ネガティブに「絶対」を使うのに対し、彼の「絶対」は全て、ポジティブなのである。
信じる力が、やはり何かにつながるのだとしたら、私に何より足りないのは、自分を信じる気持ちだと思う。

にゃん5匹が相変わらず元気なのが救いだ。退院してきた日、泣きながらみんなを、ぎゅうぎゅう抱きしめる私に、
猫たちは静かに私のそばにいてくれた。入院中もとてもいい子でいてくれたし、
帰ってきたその夜から、5匹が私のそばを離れる事はない。こんなに暑くなった今でも。
不思議なことにやっぱり猫たちは全てを見抜いている。そんな感じ。
仕事も変わらず続けている。いつもと変わらない夏。のようで、それはいつもと全く違う夏。

あの時、38歳の誕生日を病院で迎えた。
父から初めてメールをもらった。誕生日とは毎年その日を節目に人が生き直す機会を得る日だと、
そう書き出しがあり、
人生において辛い出来事というのは、本当の意味で本人にしかわからないもので、
たとえ連れ合い、家族・友人であってもその慰めの言葉は救いにも癒しにもならない。
言葉は実に空虚である。そのことを知りながらもそれを発する人は、君に
なんとかその思いを伝えたいと発するのである。と。だから敢えて、私にがんばれ。と父はそう言った。
乗り越えて欲しいと願うと。
近年、本当に思うようにいかない人生であったと思う。それも自分が今まで生きてきた結果であり、
私は今年の誕生日を境に生き直す。を考えて今を生きている。

幸い私はその後、外出先で赤ちゃんを見ても、特に心乱れ泣くことはない。
外にいるたくさんの赤ちゃんは、生まれるべくして生まれてきたよその子で、私の子ではないからだ。
長いこと大人ふたりで生きてきたので、元々子供が視界に入る習慣がないのと、子連れ世界とは別のところにいるのと、
様々な持ち物は比べるものでない事をもう中年の私は知っている。
私だって本当なら今頃・・そういう風には全く思わなかった。私の子は生まれなかった。それだけだ。
まだたまに思い出しては泣いたりもするけれど、前と同じように仕事に戻り、休日はオットと外出しながら、
いつもの日常の中で、のんびり元気を取り戻している。
お腹の子が、私をしっかり更生していってくれたのを無駄にしないよう、健康的な生活を心がけて。


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別れ

2011-07-13 | にちじょう
今年の記念日週間はうんとSpecialになるはずだった。
安定期に入った私のお腹は、筋腫のせいで、平均プラス2か月くらいの大きさになっていたものの、
細胞分裂も無事終わり、人間にヴァージョンアップした我が子。強いな~。元気だね~。
まだはっきりとではなかったけれど、じっと寝ていると、下腹にぞわぞわんと存在を感じるようになった。
それと同時に、オットがお腹に口を寄せて話しかける回数も激増していた。
生理現象って人と比べる事ができないものだ。もちろん妊娠症状もさまざま。
ハイリスクな私は、そもそも普通じゃないのは覚悟していたし、お腹が重い、腰が痛い、足つりそう。
なぁんてぶつぶつ言いながらも、その、ぞわぞわんに合わせて、実感と自信が増してきたところ
であった。仕事を続けながらの毎日だったけど、私なりに大事にしてきたつもりだった。
お腹がこんな出ていても堂々としていられるのは、妊娠の時だけだよなぁ。一生ニンプでいたいくらい。
一生キューピーでいい。と笑っていた。

確かにお腹は張りやすかったのだと思う。触ると筋腫がごろんと大きくなってるのがわかったし、張り自体が
悪いものなのか普通より固いのか、素人では判断つきにくい。
どうしても寝る時間が不足する生活だし、動いては横になりながら、特にどこか痛いわけでもないし出血もないけど、
1週早めに病院へ行って、そのあと水天宮で安産祈願しよう~。そうオットと話していた金曜の夜。

そして土曜の朝の突然の破水だった。止めようがなかった。
ちびちびとか、どばっと出血があったわけじゃないし、
お腹に激痛が走ったわけでもない。本当に「ぱつん」と音がして、
それはなんの痛みもなく突然始まった。
大量に破水した時点で、私は、あ。だめだ。とすぐに確信した。
羊水なしでは妊娠継続は不可能。
それくらいわかる。それでも何とか何とか・・と願った。
オットが速攻病院に連れて行ってくれたが、主治医の判断でも、やはりどうにもならなかった。
皮肉な事に、懸念していた筋腫が直接原因というよりは、炎症によって羊膜が破れてしまうなどという、
実に稀なケースでのあっけない「終わり」であった。感染炎症なんて、抵抗力の問題だと思うが、
もともと膜が弱かったか、胎児の問題か。いずれにしても原因は特定されなかった。


その週末が、親子3人で過ごす最後の週末になった。個室に移りオットとふたり、思う存分泣いた。
ぞわぞわんが止まる瞬間を私は病院のBedで迎えた。その間、お腹の子にずっと語りかけ、
子守唄を歌った。こんな風にゆっくり慈しむ時間が今なのか・・・と思いながら。
筋腫手術なんて怖いしーもう少しだけ考える猶予をくれと思っていた矢先に来てくれた子であった。
私の体が、生活態度が悪いせいで苦しませてしまった。
順調に育ってくれていたから、安定期に入れば、あとは生むだけだと思っていた自分。
お互いにいろんな事を悔いて泣いた。今更子供が欲しいと必死こいて、やっと授かったというのに、
なんとかなってる。子供は生まれたきゃ育つだなんて、どこまで自分勝手な発想だったんだろう。
何より私が守らなきゃいけなかった命なのに。


院長は言った。
「予測できないアクシデントは妊娠につきものであり、気持ちを切り替えて次に賭けるのが懸命です。
母体はいいことも悪いことも記憶しますから。前を向いて夫婦で楽しくいい時間を過ごす事が、
何よりこの死を無駄にしない事、母体がマイナスに向かない事につながる。
これはボクの経験談です。大丈夫です。次もあります。」

正直、医師のだめなものはだめ。次に賭ける。
その冷静な言葉に、冷たいようだが落ち着きを取り戻せた。
でも、この子はこの子でしかなく、そのChanceをだめにしたのだという事実がのしかかる。
仕事なんて辞めて、もっときちんと睡眠をとっていたら、検診日を待たずに病院に行っていたら・・
後悔しても何もかもがもう遅い。
オットは、大丈夫。必ずまた会える。と前向きに励ましてくれたけど、私はだめだった。
これから時間を経てどちらを信じるかは、私たちの自由でいいのだし、オットがまたあの子に会えると
思っているのなら、それでいいと思う。

しかし。まさか自分の人生で、子供を見送る事になるなんて思わなかった。
私の人生に起こっていることとは到底思えなかった。次に火葬場に行くのは、「親」のためだと思っていた。
さまざまな痛みは、子供の苦しみを考えたら耐えられた。当然の痛みであった。
週数で失う悲しみに差はないとしても、私自身に限定すれば、年齢のこともあったし、
ごく初期の細胞分裂のあたりでの流産なら、そっか。細胞が弱かったか。と思ったと思う。
ごく初期に心拍が万が一消えても、あ。だめだったのだな。と、悲しくてもまだ何とか折り合いがついたと思う。
でもこの子は、人間になっていた。ようやく待ち望んだ安定期だった。
かといって、もっと育ってしまっていたら、もはや正気ではいられなかった気がする。

どうにも申し訳ない気持ちでしかない。自分を責めるな。は常套句だが、
私は気の済むまで自分を責めた。
それなのに子供に会えた時、私が真っ先に感じたのは、謝罪よりも先に母性だったと思う。
第一声「かわいい。」私は、そう言ったのだ。なんてかわいいんだろう。今まで経験したことのない気持ちだった。
オットにそっくりな女の子であった。その存在そのものが間違いなくふたりの合作であった。
これほど愛しい存在もないもんだな。と体で感じていた。生きて生む事は叶わなかったけど、
自分たちの子供を持つってこういう事なのかと。
何をおいても、全力で守ってあげたかった。
お腹にいる間はエイリアンのように思っていたし、
どちらかと言うと、不安がつきもので実に思うようにならない体を抱えて、
なんとか日常を過ごす事ばかり考えていた。
やっとつわりが終わってこれからという時・・・
それでも短い間だったけど、私はこれでもかと幸せだったのだ。


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番外;つわり編

2011-03-01 | おもふこと
<つわり編>
まず私が妊娠して、ほっとしたのはオットだろう。仕事が差し迫っていようが、40を目の前にして魂抜けかけに疲れていようが、
もう「今夜、卵みたい。」と不定期に私から告げられなくて済む。(大笑)
共働きがゆっくりできるとしたら、週末や長い休み。平日のMakingLoveなどよっぽどの余裕がない限り、
したいなんて絶対思えない。それが現実。家はいつも私がGoならGoなのであんまり障害もなかったけれど。

自分からお願いするなどもってのほかという受け身の妻には、この卵日を告げる事すら、ものすごい抵抗があるはずだ。
断られ本気で傷ついたり、また断る事ができずに苦戦する夫達もいるはずだ。
体がどうにもならなくて妻に泣かれ責められた日には、無力感でいっぱいになるはずだ。それが男。
または妻が自分勝手に思えて、夫婦関係がぎくしゃくする場合もあろう。

不妊問題って、実際想像以上に、家庭内で恐ろしい局面や修羅場が繰り広げられているはずだ。
うん。絶対そう。

結果的に、家は不妊枠に入らなかったわけだけど、今ネットで検索すれば本当に自分は大丈夫なのか。という
不安になるような記述がいっぱいある。だからやっぱりあんまり情報は収集する必要はないと思う。
色々心配で検索してしまうと、迷い込む。

妊娠してからもそうするようにした。
自分が体の声を聞いていれば、なんとなくどうするべきかは、女には備わっている気がする。
興味半分で、妹から「たまごクラブ」を借りてきたが、もはや開いておらず。
そもそも、高齢筋腫もち、標準体重超えである私に、マニュアルなどないのである。
つわりも3カ月の今がピークと言うが、完全にピークは妊娠2カ月であった。生理が遅れたあたりからあれよあれよ。
これもこの前、母に聞いたら、同じタイミングだったので、そこは似たのかも。と思ったくらい。

で、これでまずひと安心♬でかしたでかした。と思ったオットには、そこからさらなる試練が待っていた。
大体オットの理解度なんて、てきとーに生でやったら子供ができる。子供ができたら、妻はにっこり聖母になる。
・・・大間違いだ。

欲しくて作ったって、妊娠初期の妻のイライラ度は増すばかり。この時期のケンカはたびたび常軌を逸した。
地震のニュースを見て泣きとおしだったように、今までを振り返ったり、大切なものは何かということを考えたり、
なんていうか、心のお掃除をしないとこれから母になるという準備もできないって事だと思うのだ。
男に理解してもらおうなんて思わない。

さて「つわり」の話。

陽性が出てすぐ、強烈な飢餓感が、日に5回も6回も襲ってきた。異常事態。
最近、めっきり消化しないな~と胃薬飲んだり、デフォルト1日2食の不健康さが嘘のよう。
そしてそれに動かされ、キッチンへ入り、ありとあらゆるものを調理し食べた。
地震後、自宅勤務だったので、きっちり3回4回5回・・・・
それが肉ではなく野菜ばかりだった。今まで取り足りなかった栄養を今取るぜ。そんなイメージ。
食べたいと思うものが明確だった。災害後のさびしい冷蔵庫はきれいに空っぽに。まだ混乱の
スーパーへ買い出しに行き、野菜を中心に食べたいものを買い集め、ついでに和菓子や洋菓子など甘いものも買うが、
スイーツは全く食べる気にならないのであった。
毎日二日酔いのような、だるくて眠くて、気持ち悪い。寝込むほどではないが、かなりの不快感。
お腹にガスはたまるのか、嘘みたいにお腹がぽんぽこりんになり、乳もぐーんと張って痛くて不快。
そしてとにかくのどが渇くので、出勤がそろそろ始まったオットに、「ヤクルト。ジョワ。オレンジジュース。」と買い物を頼む。
普段飲まない味付きのドリンクばかり。しかもヤクルトジョワなんて、思い出したのすら不思議。
子供の時以来の欲求ではないか。
水も足りない中、自販機で水を買い求め、この頃は、お米だけは毎日炊いた。納豆が食べたかったが、
もちろんない。大好きなパスタ・・全然だめ。

そのうち自宅勤務も終わり、出勤すると昼間はパンしか食べられない。スタバのコーヒーはカフェインあろうと飲んだ。
そして、飢餓感は変わらないのに、今度は帰ってきても食べたいものがなにひとつなくなった。
作ってる途中で、違う!とやめたり、吐きはしなかったけれど、夜の不快感はさらに格別!
食べ物を見て気持ち悪いなんて思う事が、私にとっては異常事態。大好きなグルメ番組やランキングすらイヤ。
お米も見たくもなくなった。肉は最初から食べてないが、この頃からチキンだけは少しずつ取るように。
そしてこの不快感を救ったのは、プチトマ、オレンジとグレフルといちごであった・・
かんきつ系は超典型的。今度は今までたばこで
失われたビタミンと言うビタミンを体が欲しているとしか思えない指令である。
大体、私は果物を常備しないのだ。野菜室にフルーツが入るのは季節の始めくらいだから。

結婚して、こんなにフルーツ食ってる妻を見たのは、(それも真夜中でも構わず)初めてであろう。

ジャンクとかお肉とかお菓子とかいかなかった。
週末は、オットがいるせいか気もラクで、オーガニックのビュッフェ行ったり、こってりラーメン食べたり、
結構楽しめる。が、平日の夜は、仕事の疲れもあろうが、食材を見るだけで不快であった。
そして夜はうんうん・・と寝付きが悪く、疲れが取れない。そんな感じ。

いつまで続くのか・・と思うけれど、そろそろ終わるのではと思っている。
久々にポテチを食べたし、アイスなども食べられるように。食べ物を見ても平気になってきた。
初期に食べづわりで体重増やし、そのあと食欲は減ったのに、減りもしない体重。
もういっか。(あきらめ)
これから調整大変そうだなぁ。とりあえず子は母の栄養をエイリアンのように取っていくわけだから、
もう普通に食べていればいいのだとは思うけれど。

安定期に入ったらもう少し色々楽しめるのではないかと思っている。

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あらふぉー妊娠騒動記2

2011-03-01 | おもふこと
<病院へ>
37歳も半年過ぎて、新しい年を迎えようとしていた。
総合的に、何かがおかしい・・・と思い始めていた。
オットも私も、基本健康だと思っていたし、年をとったと言っても、不摂生夫婦だとしても、
まだ40前だし、何か問題があるようには思えないんだけどって事で病院へ。
(私の周囲限定比)平均的に、この年にしてはこんなにしてるのに(笑)する元気があるのに!
とわけのわからない自信。

でね、私って、割とドクハラ受けやすいんだけど・・・
病院で実は子供が欲しいんです。この半年ばかし頑張ってます。と、ワーキングあらふぉー妻が行く。
たいていの医者は、「なんだよ今更?」って顔をした。被害者妄想じゃなくて、これほんと。
特に私なんて、結婚して11年だからね。医学的に言ったら、高齢だしね。つまり、
今まで何してたの?って話ですよ。結婚してて仕事してて、作ろうと今まで思っていなかった?
ピル飲んでた?へびーすもーかー?で、解禁してもできない?
卵も年取るからね。って平気で言う。ま、手段はあるよ。排卵促進剤とかね。卵の殻柔らかくなるよ。
そこから、西洋ホルモン名称オンパレード。
あらふぉー妻の妊娠に関して、そんな先生多いと思う。ほんとに。
大丈夫ですよ。いそぎましょーとかポジティブに励ましてくれた先生・・いなかったなぁ・・。

近所の病院A:筋腫が6センチになっとると診断。しかも位置が悪いと言う。
 「着床の妨げになってる。切ったほうがいい。家族と相談してこの同意書書いてきて。」
もう2度と来るか。と思った。基礎体温表も見てくれなかった。
ちなみに切らなくても妊娠する可能性は0じゃないけど、この位置だと多くの確率で流産するね。と言い切った。
しかも働いてるって言ってるのに、手術スケジュールもごり押しだった。いやな感じがした。
そりゃ、こっちも欲しいと切実に言ってるのだから、欲しいのなら先にじゃまものは切るという急ぎの
最善の方法を、告げてくれたのはありがたい。
だけど、私にはその時事実を受け止める度量はなかった。ドックで疑いがあった時、
放置したのは自分だし、今まで大丈夫だって思ってたものが、そっか。私のせいなんだ。って思ったし、
この半年無駄な努力をしたもんだ。と思ってしまった。

会社の近所の病院B:(基礎体温表見て)「うーん排卵はしてるし、タイミング合ってるし、このまましばらく続けてみて。
この年だと、1年だめだったら不妊とするから。あと2.3周してみてよ。
妊娠してからも、最悪筋腫取る手術できるからね。病院紹介するよ。」
は?そうなの?
妊娠相談と言っても、これくらい先生によって診断って違うのであーる。全然違うでしょ?

私の筋腫は後ろにあったらしく超音波で見つけにくかったらしいんだけど、
Aに行く前にさらっと行った女医のところでは、筋腫は問題ないと診断が出ているのだから、ますます混乱。
誤診か?

年末にこのふたつの診断を受け、オットと恒例温泉旅行へ行きながら、これからの人生を
考えた事は、今も忘れない。
当然、私の体が一番だし、子供がいなくても、お前と猫がいれば今のままでも十分だとオットは言ってくれたが、
ホントにこれで子供無しで、猫達を見送って、また猫が増えたりするかも知れないけれど、ずーっとふたりなのか。
一体、私達どういう結婚をしたんだっけか。どういう風になろうとしていたんだっけか。家族ってなんだっけ?
子供なんて好きじゃないし、メンドクサイし大変だし、
でも私達は子供いらないと決めてきたわけじゃないのだ。
私はそんな風に思っていた。

ま、当然いい方にすがりたくなるのがニンゲンだ。年末年始だし、ばたばたしてるし、
結局、このままにして、年が明けてあったかくなったら考えようということにした。

男の方は、毎日入れ替え制ゆえに60でも70でもパパになることは可能なわけだ。
女は違う。この世に生を受けた時に持っている卵細胞の数はそこで確定してしまっている。
新しく生まれる卵ってないのだ。
それを初潮から毎月1個ずつ、卵にして排出している。初潮から数十年の時を経て、卵は条件が下がる
一方というわけ。胃が荒れたり細胞が加齢すんのと一緒。
卵の質をよくするには、このサプリだとか、このドリンクってのもいっぱい見たけど、
そんなのもう手遅れって感じがして何も手を出さなかった。
冷えを解消する漢方だけ処方してもらったが、やっぱり真面目には飲まなかった。

私はネガティバーの超現実主義だ。ポジティブに日々の努力とかできない。
確かに日々の積み重ねは、とっても大事なんだけど、
積み重ねてもだめなものはだめとわかっているからだ。やるとなるとベストを尽くしがちなので、
もうこの年になると自分を追い込むより逃げる方がよしと思うようになった。
全てはなるようにしかならないし、500個の卵と5億の精子のたったひとつが、この世に生を受けるってのは、
もうなんつーか、私ごときがどうこうできる問題じゃないって思うでしょ。細胞だもん。

今、ここまで生きてきた経験値が血となり肉となっている。努力次第でつかみたいものは手に入れてきた。
この年になって何がOKで何がだめか自分で大体決めてしまえるのだ。
だからこの問題だけはどうにもならなくて、なぜなの?負のループに入り、体もそうなっていってしまう気がする。
あれこれ考えてると、ますますうまくいかないの。なぜなの?ってだめなもんはだめなだけ。


<まじで?>
そんなわけで、やっぱ先に筋腫取っておいた方がいいのかなぁ・・と思いつつ、
手術なんてした事ないし、何がいやって、この手術、まず数ヶ月生理を止めるのだ。その事による更年期障害も
考えないといけないの。すごいイヤなので、様子見てタイミングだけは外さずに数カ月たった。
筋腫の大きさから言って、貧血やら生理がひどいはずだって先生は言うけど、むしろ年取って最近
楽になったし、貧血なんて無縁。血濃いし。

ま、今度のタイミングでもだめなら、手術も怖いしやめて、あきらめよう。
だって6月に38だもの。もう昔で言ったらありえないマルコウだし、やっぱじゃっかん1.2年
遅かったって感じよねぇ。残念だけど仕方ない。と思った。
オットには悪いけれど、もうギブギブ。

ところが、それがビンゴだった。

振り返ると、排卵検査薬も使わず、体温もはからず、日数だけでタイミングを取った。
てきとーだったけど、ま、今月も合ってたみたいだよーって言ってたちょうど翌週、確定申告の時に少量出血。
この時は本当に落ち込んだ。なぜって・・日程から言って100%不正出血だから。
まぢか・・生理だとしたら早すぎ!ついに自前更年期か?と思ったら1日で出血ぴたりとまる。
今思えば、これがいわゆる私達の間で都市伝説化してた、「着床出血」ってやつだった。
「今着地しました~」と教えてくれたのである。

それでも、もしかして・・とも思わず、PMSとの違い・・わからんかった。
眠いだるいはいつものデフォだったし、ただちょっと違かったのは息切れがすごかった。
たばこそんな吸ってないのに、まとめて5本吸った時くらい、
2Fへ行くだけで息があがる。ちょっと動いたくらいで、運動後の乳酸たまったような手足つんつん。
それも筋腫がでかくなってて、これが貧血ってやつなのかも・・それとも太った?とかね。
また病院行かなきゃなぁ・・めんどくさいなーって。

大体タイミング合ってても、筋腫がじゃまして着地できないんだろうって思ってたし。
もうこの頃には、もしかしたら卵や精子にも本当は問題あんじゃない?くらい思ってたから。
うん。思っていた方がラクだったから。
当然もくもくパチンコも行ってたし、陽性でる前の晩までばーりばりたばこ吸ってた。
むしろ陽性反応出るまでの間、検査薬前にぷっかーっと一服してた。
で、陽性に動揺して、もう1本吸ったから。それで観念した。
今は早く検知できるものがあるので4週初期でめでたく禁煙とした。

そんなもんだよね。エゴよ。全てはエゴなの。そして急にたばこが吸えなくてストレスMAX。
そしてあの大地震がきて、体のすべてが気持ち悪くなって、最悪の体調にたばこの存在など忘れ去った。
いずれにしても、私の体の中で恐ろしいスピードで細胞分裂が始まった頃、
この世の終わりくらい、自分がしんどかった。
それでも、私がいくらしんどくても、
500と3億くらい?の中のひとつが合体したのだから、もうそれだけで強いし、母体の状態なんか
関係なく、それは生命誕生までの道を律義に進むのであった。もちろん待ったなしで。
もし私のBed(子宮)の状態が悪くても、もうどうにもならないの。ごめんね。ってところだが、
それが私だし、今まで生きてきた私の体だ。
オットの子供なので、私を食い破ってでも、大きく成長するだろうと思っている。

それでもその後、
あらふぉー妊娠は、受精から着床、そして子宮内に袋ができてもまだ安心できなかった。
ようやく、粒の中に心臓が動き始め、おお。生きてる。妊娠したんだ。それくらいの実感であった。
とりわけ気をつけた事・・ない。たばこと酒は当然さよならだったけれど、
食べたいと指令が出るものを食べ、寝て、怒って泣いて笑って、好きなようにした。
お腹に話しかけもまだしていないし、まだ数センチのこの子のためにも的な事は何もしていない。
この子は、ここに宿った時点でもうひとりの別の人間だと思っている。もう十分、私でないものが
ここ数カ月私を支配したってくらい、すごい力だった。でも、これから数ヶ月だけ、私と胎盤とへその緒で繋がるのである。
それが妊娠の醍醐味かも知れない。楽しみなのである。

私のツワリ編は次回へ>



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