先週の月曜日(2010年5月10日)。
新宿周辺の裏通りを歩いていると突然の雨。
カバンの中の折り畳み傘を開くと小気味良い雨音が響いた。
~10数年前に名古屋の丸善で購入したもの。
降り始めのやや大粒の雨に、
“雨音の弾く音”を久しぶりに感じた。
今では殆ど街中で見る事はできない、
“和傘の雨音は格別”であったと、
(温泉街に住む)地元の人に聞いた事がある。
また何かの本で、
“フォックス社のヒッコリーの雨傘”の雨音は、
「格別なモノだ。」と読んだ事がある。
そんな話を出張中の顧客との会話の中に織り込んだ。
今では世界中に音が溢れている。
自動車の音や携帯電話の音など街中では、
無音な空間を探すことさえ困難だ。
それは戦後生まれの者にとって日常的な習慣として定着。
現代人は、
“音楽を楽しむ”ことはあっても、
“音を楽しむ”ことを求めない。
傘の歴史を紐解くと今から1500年前頃に日本に伝わったとされている。
私の知る限りでは徳川美術館が所蔵する国宝『源氏物語絵巻:蓬生』
図版→ http://www.tokugawa-art-museum.jp/artifact/room6/01.html
に描かれている和傘に現代様式の原型を求める事ができる。
以前に日本の伝統文化である茶道の話題の中で、
“茶の湯の沸く音を心静かに楽しむ”と記述した。
後で調べてみると“茶の沸く(煮える)音は六つ”に分かれるのだそうだ。
<釜の六音=魚目、蚯音、岸波、遠浪、松風、無音。>
~または魚眼、蟹眼、雀舌、小涛、大涛、無声とも言う。
魚目(ぎょもく)は茶経:微かに声あり一沸となす。
松風(まつかぜ)は松樹に抜ける風の音。
以上:原色茶道大事典(淡交社)に記載。
茶席に招かれた人達が心をひとつに同じ音を楽しむ。
無駄な言葉を排し自然が生み出す音に耳を傾ける日本的な精神文化。
禅の教えである“無の境地”に“一心(不乱)”が含まれ、
“一心とは邪念を排除し無に入る道理を持つ”とされる。
初音(はつね)とは、
鶯(うぐいす)や時鳥(ほととぎす)のその年の初めての鳴き声を尊んだ言葉とされ、
徳川美術館が所蔵する『国宝:初音の調度』でも表わされている。
図版→ http://www.tokugawa-art-museum.jp/artifact/room5/07.html
また名のある武家屋敷には鶯の声を聴くための箱も珍重された。
近代の日本人が自宅に庭を求めた大きな理由は、
庭の木々に寄り付く“小鳥達の鳴き声”かも知れない。
自然には、
風の音があり、水の音があり、火(雷)の音がある。
自然には、
耳を澄まさなけば聴こえない音が沢山ある。
日本人は、
虫の音や鳥のさえずりを好んで詩歌にした。
音を好む文化は傘に弾く雨音にさえ工夫(材質や張り)を施した。
さらに、
湯の煮だつ釜の製法にさえ工夫が施されたかもしれない。
現代社会の使い捨て文化に潤いがないと感じる理由は、
日本文化の源流だった風流や粋(いき)の文化(精神)を、
日本人が捨て去ったからなのだろう。
粋人達は求める道具(モノ)にお金を惜しまずつぎ込み、
粋人達の道具(モノ)に対するこだわりは職人魂を刺激した。
~それが技術革新の源泉であることに私は疑いを持たない。
音を楽しむ文化は精神修行の場にも通じる。
たまには心を静かにし、
一心に音に耳を傾けたいものだ。
<ブログ内:関連記事>
5)『粋(いき)と野暮(やぼ)』を学習し『日本人気質』を探求する。
→ http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/e/500a0fa9ad7b12bd8220d7529e6cc56c
4)『九鬼周造著:いきの構造』を読み『粋(いき)な行動』を学ぶ。
→ http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/e/5fcc2e1fe15aef11caf2928e01154f03
3)白洲次郎の伊達(だて)と白洲正子の粋(すい)を観る。
→ http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/e/379e8178c29d7983d922f9effa5c827e
2)『粋(すい)と粋(いき)と通(つう)』:粋人と通人の意味を考える。
→ http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/e/16fde21d9a7cd5d0336e06b0227ac1ea
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます