mimi-fuku通信

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「マイルス・デイヴィスとは誰か」平凡新書 ~mimifukuの読み方。 

2008-03-12 22:44:19 | 文芸・思想・書物


 「マイルス・デイヴィスとは誰か」
      小川隆夫、平野啓一郎共著
        2007年9月10日初版発行

マイルス・デイヴィスとは誰か (平凡社新書 392)
小川 隆夫/平野 啓一郎
平凡社

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  <著作の中の象徴的段落。> 

 黒人であったマイルス・デイビスの願いは、白人に黒人の音楽を認めさせることによって、黒人に認められたいとの想いがあった。

 音楽に対する姿勢は、自分とは全く違うスタイルの音楽で大成功を手にした、黒人歌手のマイケル・ジャクソンや、黒人でありながらも、伝説を作り上げた不世出のギタリスト、ジミー・ヘンドリックスの音楽観にも、ライバル意識を燃やし、「俺の方が音楽は優れているのに、なぜ彼らは俺よりも遥かに人気があるのか?」との疑問を持ち続け、その時代にあった別のアプローチを考えるタイプのアーティストであった。

 目指す音楽の方向性に合わせて頻繁にメンバーを入れ替え、帝王に君臨しながらも、メンバーとして参加した他の若手演奏家とのプレイを通して、新しいスタイルの音楽を学び、新しい可能性に触発されることを楽しめるタイプの人物であった。

 マイルスのスタイルは、新しいスタイルを模索しながらも、それを突き詰めていくことはせずに、完成する手前で次へ次へと変化させる手法を採っている。
 それは、自分が提唱したスタイルや方法論を他人が取り入れることで、自らのスタイルの役割を終え(古典化)、次の新しいスタイルに移行することがマイルスの存在証明でもあった。

 マイルスにとって考案されたシステムが固定化されることによって、変化したくてもどんどんと緻密に分節化され、身動きが取れない状態になることを嫌った。
 それは、音楽の進化とは反する、マンネリ化を生み出すからだ。
 マイルスにとってのマンネリ化は、そのスタイルを踏襲したり、歪めたり、を繰り返すだけのつまらないプロセスに過ぎない。

 しかし、スタイルの変更(革新性)とはあくまでも、拘束(形式)からの解体と、再構築(新たな形式)を秩序を持って行うこと であって、無秩序への移行ではない。
 マイルスにとって、無秩序な音楽(フリーへの傾倒)とは、混沌に過ぎず、やりたいようにやると言った音楽は否定すべきものだった。

 つまり、マイルスにとっての進化は秩序の模索であリ続けた。

 ジャズの演奏様式が持つ、近づきがたいイメージ(複雑で、真似をしたくてもできない音楽)を払拭するかのように現れた、ロックの持つ大衆性(シンプルで覚えやすいコード進行=誰もが参加できる音楽)をも謙虚に取り入れる懐の深さを持ち、次なる進展を模索し続けた。

 マイルス・バンドに入ることで成長した数々の演奏家達のその後の成功は、環境の中で揉まれることによって、参加できたことの自信を促し、参加したことによる世間の評価(認知されることによる仕事の依頼)も同時に得ることができたからであろう。

 多くの成功者にとって、成功することは同時に、過去に築いたものを維持していく事が常套手段であるが、マイルスにとっての成功とは、進化する創造性だった。

 マイルスの憧れる、チャーリー・パーカーや、ディジー・ガレスピーのようなスタイルを真似する技術が不足していることを悟ったマイルスは、別のアプローチを試みることによって、その後の変化する音楽の探求が始まった。
 つまり、他人と同じものを目指すことの愚かしさをマイルス自身が熟知していたからと言えるだろう。

 
 <マイルスの変化する音楽>
 ビパップ →クール →ハード・パップ →モード →複雑なコード・チェンジ 
 エレクトリックの導入 →フュージョン ~多様性(ファンクやポップへの傾倒。)


 <mimifukuの読み方。>

 マイルス・デイビスと言えば音楽ファン誰もが知っているビッグ・ネームと思っているのはどうやらジャズ・ファンだけのようです。
 最近の、「なんでも鑑定団」にマイルスの書いた絵が出た時に、”この人誰?”って島田紳助さんの言いようには、ガッカリ。
 ジャズの帝王も、一般の人にはただの人なのかも、
 ・・・カラヤンやビートルズと同じ評価のできるお方なのに。

 この本の題名って変でしょ?
 「マイルス・デイヴィスとは誰か」なんて、マイルス本人に決まっている。
 「マイルス・デイヴィスとは何者か」の方が、語呂がいい?
 って思う人は、この本を読むのは辛いかも?

 「マイルス・ディヴィスとは誰か」の意味は、
 「マイルスの絶え間ない進化をもたらしたのは誰か」、あるいは
 「マイルスの音楽の源流は誰のものか」の略とmimifukuは、解釈します。

 本の内容は、彼が影響を受けた演奏家と、彼が育てた演奏家、21人を通して、彼の音楽の変遷をたどるものです。

 口の悪い人に言わせると、「マイルスの創造力の多くはパクリだ。」そうです。
 マイルスの屈指の名盤<ラウンド・アバウト・ミッドナイト>のライナー・ノーツの中で、ギル・エバンス(ビルではないですよ)が、「確かに、ラウンド・ミッドナイトのアレンジは私のものだ。」と言及しています。

 細かい部分は省略しますが、ある日、マイルスがぶらりとギルのアパートに立ち寄り、いつものように気ままにコーヒーを飲みながら雑誌を読んでいたので、ギルは、あるシンガー用にアレンジを頼まれたラウンド・ミッドナイトのピアノ・フレーズを弾き始めると、突然マイルスが、「そのアレンジを、俺のレコーディングに使ってもいいか?」と尋ねるので、「OK!」を出したそうです。

 後日、ギルがレコーディングに立ち会ったそうですが、マイルスに譜面を渡してもいないのに完璧にアレンジ覚えていて、ギルのイメージ通りの指示をメンバーにだし、仕上がったのが、ジャズ史上に輝くあの名演です。

 それ以来、マイルスから頻繁にレコーディングの折、お呼びがかかったと回想しています。
 「マイルスは一度もアレンジ料を払ってはくれなかったし、クレジット(名前の表記)もしてくれなかったけどね。」だそうですが。
 もちろん、「でも、マイルスは、その後いろいろな面で私をバック・アップしてくれたし、レコード会社に推薦もしてくれた。お金がなくて、ピアノを手放したときは、すぐさま代わりのピアノをプレゼントしてくれた。マイルスは友情に厚いんだ。」

 このように書くと、マイルスを知らない人にとって、マイルスのクリエーターとしての資質に疑問を感じる方もおられると思いますが、マイルスを知るジャズ・ファンにとって、彼こそ間違いなく、<ジャズ史上最高のクリエーター>であることに異論を唱える人はいないでしょう。

 「天才とは、過去の栄光にすがらず、絶えず進化を求め挑戦すること。」
 マイルスの変化は、ピカソの変化にも匹敵するアーティステックなものでした。


ブログ内の関連記事へのリンク。
http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/e/6c3500e42e750966b3b5f958679afa1b 
 

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