ミルパパの読書日記

大手メディアで長年、科学記者。リタイアした現在はなかなか言うことを聞かない大型犬の相手をしながら読書にふける。

「重力波は歌う」 ジャンナ・レヴィン 米国の女性物理学者による重力波探求のルポ 

2016年09月19日 | 読書日記
「重力波は歌う」 ジャンナ・レヴィン



「重力波の直接観測に成功」「アインシュタイン最後の予言を検証」ーーアインシュタイン博士による一般相対性理論の発表からちょうど100年に当たる今年2月、新聞の1面に大見出しで重力波観測の記事が載ったことをご記憶の方も多いだろう。長年、科学記者をしていた評者も「えっ」と驚いた。そしてすぐに大先生は本当に世間を驚かすのがお好きな人なんだなあ、と先生がいたずらっぽく舌を出して笑う有名な写真を思いだした。

 筆者のジャンナ・レヴィン氏は東海岸にあるコロンビア大学の天文学・物理学の教授。宇宙物理学者としてだけでなく、作家としても活躍している方らしい。裏表紙に出ている写真を見るとそれほどお年を召していないように見える。

 新聞の書評が取り上げていたので、手に取ってみたが、読んでみて正直面食らった。重力波プロジェクトの解説本と思って読み始めたが、米国の重力波探査計画をめぐる数十年にわたる研究者の友情や協力、対立、反目、暗闘を詳しく描き込んだ科学ノンフィクションだったからだ。

 レヴィン氏の他の著作にはまだ接していないが、専門知識を武器にこうしたノンフィクションを手がけてきた作家なのかもしれない。登場する研究者はほとんどが氏よりかなり年配の男性研究者だけに、取材対象の研究者は比較的若い女性研究者に、やや気を許して取材に応じたのかもしれない。

 筆者が米国で科学記者をしていたのは1990年代前半だった。SSCと呼ばれる超伝導超大型粒子加速器の建設計画をめぐって、ワシントンで大論争が繰り広げられていた。連邦議会の科学技術小委員会(下院の方だったと思う)で、推進、反対の専門家(物理学の泰斗ばかり)を公聴人として呼び、まったく物理学の何たるかの知識もないような議員たち(失礼!)が、要領を得ないものの、時にやたら厳しい質問を投げかけていたことを思い出す。議員にとって最大のポイントは「巨費のかかる基礎科学がいったいぜんたい何の役に立つのか」ということに尽き、推進派は「新たな素粒子が発見されることで、引いては医学の研究や進歩に寄与する」とか、「科学技術でも世界一の米国は計画を着実に進める欧州に遅れを取るわけには絶対にいかない」「こうした巨大科学が推進されると他の科学分野には予算が回らなくなってしまう」とか、素人目にはわかりやすいが、やや焦点を外した感のある白熱した議論を展開していた。

 推進派の最大の後ろ盾だったのは加速器建設に必要な巨大トンネルの掘削が始まっていたテキサス州選出の有力議員たち。「米国も議員はやはり地元利益優先なんだな」と妙に感心した。基礎科学分野では最大のテーマだったのでテキサス州まで出張し、巨大トンネルの掘削現場も実地に見学した。幾多の科学者が加わり、日本から来た研究者も多くいた。数人にインタビューしたがプロジェクトの先行きを心配している人ばかりだった。

 テキサス州が地元だった共和党のブッシュ政権(父の方)からクリントン政権(夫の方)へ政権交代したこともあり、計画は最終的に中止された。全長80㌔を超える巨大トンネルの4分の1ほどはすでに掘り進められ、全体の2割近い約20億ドル(約2000億円)がすでに支出されていた。「米国はこんな巨大計画でも途中で止めてしまうのか」と、計画が決まると惰性に流れがちな日本との違いを実感した。

 余談が長くなった。そのころSSCの背後で重力波検出計画が動いていたことはまったく知らなかった。こちらももちろん、ビッグサイエンスと呼ばれる巨大科学だがスケールはずっと小さい。予算比でいうと十分の1くらいだろうか。それでも米国西北部のワシントン州ハンフォードと南部のルイジアナ州リヴィングストンの2カ所に一辺が4キロというL字形の検出器を設け、総事業費は10億ドル(約1000億円)を超えるという。プロジェクトの名前はレーザー干渉型重力波観測施設の頭文字を取って、LIGO(ライゴ)と呼ばれている。

 この観測装置で、ブラックホール同士の衝突から出ると予想される重力波を検出するのが計画の目的だ。ブラックホールからは光が出ないので、衝突は望遠鏡ではまったく観測できない。

 2つの巨大なブラックホールが衝突、合体して起きる膨大なエネルギーは純然たる重力現象として観測される。これを専門家は重力波と呼んでいる。専門家によると、このエネルギーは太陽10億個分の1兆倍を超えるという途方もないエネルギーを生み出すが、ブラックホールの衝突が起きているのは地球から見ると10億光年も先のあたりだという。地球で観測できるとしても、この「宇宙の響き(重力波の伝わる時空のきわめて微細なゆがみ)」は地球3個分の長さが何と原子核1個分だけ変化するに等しい、きわめてきわめて微弱なものだという。


 重力波検出にかける研究者の思いや筆者が懸命の取材を重ねた重力波計画をめぐる研究者の間の友情、対立、反目、暗闘などに興味のある方は本書をじっくりとお読みいただきたい。研究者としてはなかなかの取材力で、取材相手の研究者に「ここまでは書かないでしょうね」などと言わせているのは取材者としての気迫や気概が十分だ。一方、専門家同士だと同じ研究者サークルの中にいると思い、気を許しているところがあるので、暗闘や反目を赤裸々に書いて、今後の活動に支障が出ないのかと少し気になるが、賢明な筆者はそんなこと先刻ご承知だろう。

 評者が驚いたのは2つあるLIGOの大規模な観測施設のひとつがワシントン州ハンフォードに建設されていたことだ。第2次大戦中、極秘で原爆が開発されたマンハッタン計画をご存じの方なら、ハンフォードと聞いて、長崎に落とされたプルトニウム原爆の材料をつくった場所だと思い出されるだろう。評者は原爆投下50年にあたる1995年ごろ、ニューメキシコ州にある国立ロスアラモス研究所、最初の原爆実験が行われたニューメキシコ州アラモゴルドの砂漠の核実験場、ワシントン州ハンフォードのプルトニウム生産炉などマンハッタン計画の関連施設を取材して回ったことがある。

 ハンフォードはワシントン州の内陸部にある。今も放射能汚染が続いているため、厳重な管理がされ、除染作業も続いている。ハンフォード炉と呼ばれるプルトニウム生産炉は今も残っていて近づくことが規制されている。取材の許可を得てハンフォードに入ったが、案内してくれた米エネルギー省の現地スタッフはマンハッタン計画が始まった1940年代始め、この付近にいた数百人(数千人?)が政府の命令で突然、強制疎開させられたことを教えてくれた。プルトニウム生産を行うため、地域を流れる大きな川の近くに原子炉が建設された。今では到底考えられないことだが、原子炉を冷却した水はそのまま川に流され、秋に遡上してきた鮭が強い放射能の影響で、すべて死んで大量に川に浮かんだという。極秘計画だったため、立ち退いた人々にはまったく何も知らされていなかった。プルトニウム生産炉で働いた人たちや近隣の人たちにも健康被害が続出したというが、真相はいまだに明らかにされていない。

 もちろん本書にこうしたくだりはない。強制収用したきわめて広大な土地をもてあましたエネルギー省が土地活用策の一環として、その一角にLIGOを建設した、とあるだけだ。評者が見たハンフォードはただの巨大な核のゴミ捨て場だった。ぎょっとしたのは原子力潜水艦の胴体にあたる原子炉部分だけが切り出され、地面に堀った巨大なくぼみに、いくつも打ち捨てられていた荒涼とした風景だった。同行したスタッフに「見てもいいが写真は絶対にだめだ」と強く念を押された。平和なLIGOプロジェクトのおかげで、ハンフォードも少しはよみがえることができたのだろうか。

 気付いた点をもうひとつ。日本では政治家の証言を記録する手段として活用されているオーラル・プロジェクト(専門家が取材対象に質問し、その証言をテープなど記録に残す)が米国では科学者に対して活用されていることだった。

 本書ではLIGOプロジェクトに重要な関わりを持ちながら、すでに鬼籍に入った研究者の証言が数多く引用されている。この大部分が、西海岸にあるカリフォルニア工科大が進めている「カリフォルニア工科大アーカイブズ口述歴史プロジェクト」の成果を利用したものだ。どのような形で記録が残されているのかはわからないが、特別な許可を得た研究者は研究者が残した口述テープを聞くことなどができるようだ。

 米国では自然科学の研究成果をめぐる先陣争いやプロジェクトへの貢献度などをめぐって研究者の間で激しい争いが起き、時には裁判に発展することも珍しくない(今や米国だけではなさそうだが)。カリフォルニア工科大では科学史やプロジェクトの記録としてだけでなく、口述記録の保存で、必要に応じて紛争の解決にも利用しているのだと思う。他の大学でも行われているかもしれないが、日本では個人はともかく、大学や研究機関が組織として実施しているとは聞いたことがない。これは評者の邪推だが、カリフォルニア工科大は自然科学系のノーベル賞受賞者を輩出していることでも有名なので、こうした栄誉を受けることに、疑念や疑問が生じにくいよう、あえて記録を取っているのかもしれない。

 蛇足をもうひとつ。LIGO計画に対する貢献度などで研究者の言い分がまったく異なる場合を筆者は「Rashomon Effect」(羅生門効果」と表現している。本書の翻訳では「藪の中」となっているが、芥川龍之介の「藪の中」を下敷きにした黒澤明監督の「羅生門」がこんな形で英語になっていたとは夢にも思わなかった。

 先陣争いなど米国の研究者の熾烈きわまりない競争に関心をお持ちの向きには本書を強くおすすめしたい。そうでなければ重力波の解説書などを先に読み、必要な知識を得てからでも遅くはないと思う。本書を読みながら、評者はアインシュタイン博士が長く米国での研究拠点にしていた、東海岸にあるプリンストン大の売店に、舌を出した博士のお茶目なポスターと一緒に、「E=MC²」と書いたトラのぬいぐるみがいっぱい置いてあったことを思い出した。アインシュタイン博士の理論は物理学研究者にとって永遠のロマンなのかもしれない。

 翻訳はよくこなれているし、適切な訳注があるのも読みやすい。訳者による解説、独自の参考文献リストがついているのも親切だ。筆者による情報源に関する注も丁寧で、わかりやすい。ただ「重力波は歌う」という邦題はちょっとわかりにくい。重力波の響き(ゆらぎの音)を歌になぞらえたのだろうが、原題のようにブラックホール・ブルースとした方がわかりやすかったような気がする。


 

 

 
 

 


 

 



 

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