ミルパパの読書日記

大手メディアで長年、科学記者。リタイアした現在はなかなか言うことを聞かない大型犬の相手をしながら読書にふける。

ヒトはどこまで進化するのか エドワード・O・ウィルソン 人間存在の意味を問う大胆きわまりない書

2016年10月24日 | 読書日記
「ヒトはどこまで進化するのか」 エドワード・O・ウィルソン 小林由香利訳



 何となく軽い気持ちで読み始めたのだが、「社会生物学論争」で20世紀後半に世界的大論争を巻き起こしたウィルソン教授の書と気がついて少し肝を冷やした。

 ウィルソン氏は1929年生まれの87歳。ハーバード大教授を長く務めた著名な生物学者だ。1975年に発表した「社会生物学」という大著で、生物学者を中心に非難の嵐を巻き起こしたことで有名だ。もともとはアリの生態を研究する研究者だったが、その後、動物の本能的な行動研究を進化に結びつけて考える進化生物学の理論的展開の方に大きく踏み出した。

 社会生物学では動物の社会行動を統一的に説明できる理論をまとめ、いろいろな動物群で観察される行動を分析する。ウィルソン氏はこの手法をもとに、人間の社会行動をも説明しようとした。人間以外の動物についての研究成果が人間の行動の理解についても示唆するところがあると述べられていたことから、「生物学者の傲慢だ」「生物学決定論だ」と批判派の厳しい非難にさらされた。

 一部には誤解もあったのだと思うが、ファシスト、ナチスの「優生学」に通じる、などと激烈な批判にさらされ、講演の場で反対意見の若手にバケツの水を浴びせられるいやがらせにも遭った。それでも頑として自説を曲げず、「社会生物学」発表から40年近く経って、これまでの理論の集大成ともいえる書物を書くわけだから精神的な強靱さは大変なものである。

 「ヒトはどこまで進化するのか」という表題はややわかりにくい。原題は「人間存在の意味」となっていて、本書は原題を忠実になぞる形で書かれている。

 第Ⅰ部は「人間が存在する意味」、第Ⅱ部は「知の統合」、そして第Ⅲ部は「アザーワールド」と名付けられている。第Ⅲ部の扉には「人間存在の意味を理解するには人類という種を大局的に捉えるのが一番だ。そのためには、人類を想像しうる他の生命体と比較し、太陽系外に存在するかもしれない生命体とさえ推論によって比較するべきである」と書かれている。人間を未知の知的なET(地球外生物)と比較するのにはちょっとびっくりしてしまうが、これが真面目きわまりない筆者の立場だ。

 「人間の原型の系統がホモ・サピエンス(注・現生人類)に進化を遂げたのは、人類ならではのチャンスとまれに見る幸運が重なった結果だった」。そうならない可能性は非常に大きかったのだという。ウィルソン氏は「ほ乳類の地質学的平均寿命(この言葉は初めて聞いた)はおよそ50万年なので、もしホモ・サピエンス誕生に寄与した偶然が連続するという大変な幸運が起きていなければ、次に人類レベルの種が実現するまでにさらに一億年を要したかもしれない」と冷たく言い放つ。

 われわれの祖先にあたるサルがヒトとチンパンジーに別れた分岐は約6百万年前と考えられており、そこから現在のヒトに進化する道のり自体が相当な偶然と幸運に左右されたと指摘しているわけだ。

 こうしたくだりを読んで、首尾良く人類が誕生し、われわれ一人一人がこの世に生を受けたことにほっと安心するのか、背筋に冷たいものが走って悪寒を感じるかはひとえに読者の判断に任されている。ぞっとするタイプなら最初からこうした書物を読むべきではないだろう。

 第Ⅳ部「心の偶像」の⒔章は「宗教」を真正面から論じている。評者は無神論に近いと思っているが、どんな宗教であれ、宗教の敬虔な信者はとくにこの章を読むべきではない、と強く思う。

 「大宗教が生まれるきっかけは不滅の神を信じる気持ちーーもしくは神々を信じる気持ちだ。(中略)大宗教は文明に対して計り知れない奉仕をしている。聖職者が監督する教会は共同体の暮らしの中枢だ。ほかのすべてが駄目になったとき、地上で神が宿るこうした神聖な場所が、世俗の暮らしの不正や悲劇に対する究極の避難所となる」。その一方で、ウィルソン氏は「悲しいことに、大宗教は絶え間ない無用の苦難の原因ともなる。現実の世界におけるほとんどの社会問題を解決するには現実を把握する必要があるが、大宗教はそれを阻む」と突き放す。

 「特定の創世神話とその神話の賜物である奇跡の物語を受け入れることは、信仰と呼ばれる。信仰は生物学的には生存と繁殖向上のための進化の仕組みと理解することができる」。

 「反乱や内戦やテロは相変わらず蔓延している。そこで起きる大量殺戮のおもな原動力は同族意識であり、他者を殺そうとするような同族意識の柱となる原理は、宗派に分かれた宗教であり、中でも異なる神話の信奉者同士の対立である」。宗教に関する覚めきった、冷静きわまりない認識だと思う。

 この章の最後で氏は宗教に関する自身の結論ともいえる考えを述べる。

 「スイスの心理学者カール・ユングがかつて言ったように、問題の中には、解明不可能でともかく『卒業』するしかないものもある。(中略)問題があるのは、神の本質でもなければ、神の存在ですらない。人間の存在の生物学的起源と人間の心の本性にこそ問題があり、それこそが人間を生物圏の進化の頂点に押し上げた。この現実の世界で生きるには、自分自身を悪魔と部族の神々から解放するに越したことはない」。

 いかなる宗教であれ、宗教にとらわれていては前進はない、宗教を「卒業しよう」と説いているのだろうか。

 表現はさほど過激だとは思わないが、宗教者やその敬虔な信者からみればきわめて激越で承服しがたい内容の主張で見事に貫かれている。国によっては禁書に指定されたり、出版がそもそも認められなかったりするような内容だと思う。

 第Ⅴ部「人間の未来」を構成し、全体の最終章にあたる15章「宇宙で孤独に、自由に」でも氏の持論が展開されている。本書は、パリの出版社がムハンマドの風刺画を掲載し、これをイスラム教への冒涜と受け止めたイスラム過激派が編集部を襲撃した「シャルリ・エブド」事件が起きる前に書かれたはずだが、氏は、事件をまるで予見するかのように、そうした過激分子を挑発しているかのようにこう書いている。

 「特定の信仰の中心的教義に異を唱えることを冒涜的だと非難するのは、万国共通の慣行となってきた。(中略)ゆくゆくは福音派の教会で歴史上の人物としてのイエスに関するセミナーを開催し、死の危険を冒さずにイスラム教の開祖ムハンマドの肖像を出版することさえ可能になるかもしれない」。

 氏がいかに地上に存在する無数の宗教から遠ざかった、極北とも言えるべき位置にいるかがよくわかる。強いめまいを感じる読者を尻目に、最後に、氏は近代科学の誕生以来、ほとんど別世界に生きてきたといっても言い過ぎではない自然科学と人文科学との融合を夢見る。

 「確かに自然科学と人文科学とでは、研究の対象も仕組みも根本的に違っている。それでも本来は互いを補うために生まれ、人間の脳の同じ創造プロセスから生じている。自然科学の発見し分析する力に人文科学の内省的創造性が加われば、人間の存在は高められ、どこまでも実り多く興味深い意味を持つものになるはずだ」。少しわかりにくい表現だが、いずれ自然科学と人文科学は一体化して融合していくべきだと考えているのだろう。

 一切の妥協を許さぬ氏の主張のラディカルさには驚くが、それだけに周りの生物学者たちとの間に激しい論争を巻き起こしてきたのもうなづける気がした。社会生物学論争について調べていて、「パンダの親指」などわかりやすい科学啓蒙書で知られる古生物学者の故スティーブン・J・グールド博士が、ウィルソン氏の厳しい批判者であることも知った。グールド博士の著書は愛読してきただけに、こうした事実を知って、やや複雑な気持ちになった。

 日本の行動生態学者である長谷川眞理子氏が巻末に寄せた解説が社会生物学論争についても触れて、簡潔でわかりやすい。この中で長谷川氏は「このような論争にもかかわらず、ヒトと動物の行動や心理を解明する科学はさらにどんどん進歩し、脳の仕組みや遺伝子のレベルと結びつける研究も飛躍的に進展しています。私が思うに、ウィルソンの社会生物学は時期尚早だったのではないでしょうか。1975年当時は、理論が先走っていて、実際に行動と脳の仕組みや遺伝子とを結びつけるデータはまだわずかでした」と先見性に言及し、基本的には支持する姿勢を打ち出している。長谷川氏の解説はウィルソン氏の位置づけも含め、なかなかわかりやすいので、本書を読む前に先に読まれるのもいいように思う。

 ウィルソン氏の主張の当否について論じるのはまったく評者の手に余る。だが、そのラディカルさも、氏自身が、聖書の天地創造説をそのまま信じ、いまだに高校の生物の授業で進化論を教えない高校も少なくないアメリカ南部アラバマ州出身と知ると妙に納得がいく(これは南部では比較的よく見られ、アラバマ州だけのことではない)。氏はアメリカ東部の名門、ハーバード大で長く研究活動を続けてきた。自然科学に対するアプローチを考えても、さほどにアメリカ国内の分断は深く険しい。

 内容の理解が難しい割りに訳文は読みやすい。進化生物学に関する議論は門外漢にはちょっと難解に思えるが、解説者の適切なチェックが入っているので、比較的安心して読める。大いなる知的冒険をするには大変楽しい一冊だと思うが、内容に関しては結構怖いところがあるような気もする。

 長谷川氏が解説の冒頭に、「本書はとくに、高校生などの若い諸君を対象に書かれたものです」とあって、そのくだりにはちょっと驚いた。日本ではどれだけの高校生が読むのだろうか。

 








 
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