ひとり井戸端会議

主に政治・社会・法に関する話題を自分の視点から考察していきます。

哀れな井戸知事の発想

2008年11月13日 | 国政事情考察
井戸・兵庫知事「関東大震災起きればチャンスになる」(朝日新聞) - goo ニュース

 兵庫県の井戸敏三知事は11日、和歌山市で開かれた近畿ブロック知事会議で、関西経済の活性化を論じる中で、「関東大震災はチャンス」などと述べた。首都圏の災害時における関西の補完機能の重要性を指摘した内容だったが、他都市の被害を歓迎するように取られかねない発言に、参加した各知事からは「不適切だ」との声が上がった。
 井戸知事は11日夜、神戸市内で記者会見し、発言の真意について「東京一極集中へのリスクの高まりと、リスクへの備えを(事前に)引き受けるのが関西のチャンスになるという意味だ」と説明。「言葉づかいが適切でなかったことは反省しなければならない」と述べたが、発言は撤回しなかった。



 今回の井戸発言を、滋賀県の某女性知事は「本当に大震災から立ち直って、今も財政的にも苦労している井戸知事だからこそ、公の場でも許される発言」と述べて庇ったそうだが、私からすれば、未曾有の大震災を経験した県の知事だからこそ、このような発言を公の場でするのは不適切であると思う。

 もちろん、知事の発言のコンテクストもきちんと理解しないで一部のみを取り上げて批判すれば、それは柳沢元大臣の「産む機械」発言と同じような言葉狩りになりかねないので、その点への配慮は必要だが、発言はどう考えても「他都市の被害を歓迎するように取られかねない」。

 少なくとも私は次のように感じた。

 関西は、東京には、天災でも起きないかと祈るような、それこそ神頼みでもしなければ、ずっと追いつくことができないのである。自力で東京を抜くのは無理だから、あわよくば地震でも起こって一発逆転でも図りたいものだ、と。井戸知事の心の中には、ルサンチマンが潜んでいるのではないか。



 以前、井戸知事は石原慎太郎東京都知事が阪神大震災をめぐって、自衛隊派遣を要請する「首長の判断が遅かったから2000人余が亡くなった」と語ったことに、「失礼な発言だ」と反論していたはずだが、このときの気持ちはどこにいったのだろう。むしろ、今は知事の発言のほうが被災者の方に対し「失礼」である。

 井戸知事は今回の「舌禍」について、「チャンスとはきっかけという意味だ。東京一極集中のリスクを踏まえ、関西が第二首都機能を引き受けることが大事だと、これまでの考えを述べただけ」と発言の真意を釈明したというが、それならばどうして紛らわしい「チャンス」などという言葉を使ったのだろうか。素直にこのように最初から言っていれば、今回のような失態は招かなかったはずだ。

 今回の「失言」が、たとえ私が邪推したような意図に基づいていたものではないにせよ、未だに震災から立ち直れてない人も多々いる中、一番の被害を被った県のトップがこのようなことを言えば、被災者の人が普通に考えてどうこれを受け止めるのか分からないようでは、石原発言を批判する資格すらない。

 紛らわしい発言をし、徒に人々を翻弄したところで、知事自身にも何のメリットもあるまいに。これは橋下知事にも言えることだが、政治家は言葉が命なのである。一私人のような軽い気持ちで発言すると、このような事態になる。自身がどのような地位にあり、自分の発言にどのような影響力(=重み)があるのか、きちんと認識できていないといけない。釈明に後に追われる姿はみっともないしね。

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