随所随縁

所に随(したが)い、縁に随い、時に随い、想いに随い、書き留めていきたい。

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モンゴルについて(3)

2007-06-21 22:26:36 | Weblog
今回のモンゴル行きの目的のひとつが「植林」であることから、昼はただただ広い草原で植林、夜はホテルぐらしになってしまい、「モンゴルそのもの」に触れる機会が少なかったのが残念でした。モンゴルの人たちが何を食べ、何を考え、どのように暮らしているのか、などをもっと知りたかったです。

それでも、今回のスケジュールの中で、たった半日ですが、「モンゴル『環境・教育・経済』フォーラム」が行われ、私にとっては非常に有益でした。講師はモンゴル中央銀行取締役や、モンゴル国環境省副大臣といった方でしたが、2~3時間の講義でどれだけモンゴルが理解できたかはアヤシイところですが。

特に(私にとって)おもしろかったのが「経済」で、テーマは(1)資本主義化の経緯と方法 (2)現在のモンゴルの経済状況 でした。

まず(1)について、
急激な近代化や、共産主義から資本主義への移行、といった急激な社会の変化には、当然大きな混乱が発生するものですが、モンゴルもその混乱の時期を乗り越えてきたことが分かりました。共産主義の時代(~1990年)には、ソ連・東欧人の「アドバイザー」が2万人以上(総人口の1%)もいて、ソ連・東欧の援助の総額がGDPの30%を占めていたわけですが、1991年の民主主義移行でこれらが全てなくなってしまい、1991(?1993?)年には完全にインフラがストップし、職場から自宅に帰れず凍死する人もいて、ほとんど内戦状態に陥ったそうです。GDPの「成長率」が1%なのか2%なのかで大騒ぎになる日本にいると、「30%減」というのは想像を絶するところです。

全てが国有の共産主義から民営化(資本主義化)するために、モンゴルでは3段階に分け、10数年をかけたそうです。第1段階は1991年の「国営企業の民営化」で、全国民(?)に、200$相当の投資バウチャーを無償で配布(!)し、好きな国営企業に投資させることにしたそうです。第2段階は1994年の「現金の民営化」で、そのバウチャーを現金と交換できるようにした、ということです(???)。第3段階が「土地の民営化」で、これは(なんと)申請すれば、都会であれば0.07ha、地方であれば0.15haが貰える(!)というものでした。・・・ここまでについて、私としてはまじめに講義を聞いてきちんとメモしたつもりですが、聞き間違いもあるかもしれませんので内容の正確さについてはあまり保証できません。。。

なんというか、シンプルかつ大胆、そして「計画経済的な民営化」のプロセスですが、それでも2006年時点でGDPにおける「民営化のシェア」は78%あまり、ということですから、民営化の移行は順調に進んでいるということなのでしょう。

そして(2)ですが、
平均的な「モンゴル人像」というのが紹介されました。「都会人」だと「市内のマンション、小さな夏の別荘と車を持っている」で、「地方の人」だと「ゲルに住み、200頭以上の家畜を持ち、車かバイクを持っている」ということでした。当然ながら貧富の格差は南米なみに広がっているようですが、世界一の炭坑と世界二位の銅山を有するなど、資源が豊富であり、失業率も減少傾向、2006年は経済成長率8.6%、国家財政、貿易ともに黒字ということでした。人口が200万人あまりで、「小回り」がきくこともあるでしょうし、国民の7割が若年者という「若さ」のせいかもしれませんが、モンゴルの将来は明るいのではないかと思われます。
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モンゴルについて(2)

2007-06-19 00:04:51 | Weblog
今回ご縁があって参加することになった、モンゴルの植樹事業ですが、目的はいくつかあります。ひとつ目が、森林を増やすことにより、地球温暖化や砂漠化を抑えることができるわけですが、その植樹活動を通して、日本人の「思いやりの心」、他者のことを考える、大切にする心をモンゴルにも伝えたいというものです。ふたつ目が、この植樹した苗木の管理を現地の方にお願いすることで、雇用を創出するとともに、実際に木を育てることで、地球環境を思いやる心をモンゴルの地に広めていきたい、というものです。そういうわけで、この森の名は「OMOIYARIの森」と名付けられました。

実際に植樹を行ったのは、モンゴルの中央県でウランバートル市内からバスで1時間半あまり、本当に何もない草原でした。まあ、実際には送電線やマイクロの鉄塔などがありましたが。それでも日本に比べると、まさに別天地といえるところでした。その大草原のまっただ中に600m×80mの土地を区切り、周りに柵を作って家畜等の侵入を防ぎ、そこに3000本あまりの苗木を植えました。やがて苗木が育って森になったとき、上空から見ると「OMOIYARI」の字が浮かびあがるように植樹されました。なんとも壮大な話ですが、近頃は、「Googleマップ」等で全世界の衛星写真や航空写真がパソコンで見られる時代ですから、何年か後に、この「OMOIYARIの森」をチェックすることを楽しみにしています。

植樹した木は「ポプラ」で、乾燥にも強いらしく、ウランバートル市内にも沢山のポプラが街路樹として植えられていました。ちょうど今の季節、ポプラの綿毛が雪のように風に舞っていました。モンゴルの方々の協力により、すでに植樹場所に穴が掘られており、穴の脇に苗木が置かれていたので、実際の植樹作業は、穴の中に苗木をセットして土をかけ、水を撒くだけでした。ただし、水は井戸が1ヶ所しかないため、全ての苗木に水をやるのは、200mくらいのバケツリレーを行いました。

植樹作業には80名近くが参加したため、2日目の午前中には作業が終わり、午後には記念式典が行われました。式典はモンゴルの環境省副大臣や中央県の県知事などが招かれ、お約束のテープカットや除幕式などがありましたが、最後に、モンゴル側からのお礼として、馬が一頭プレゼントされたのには驚きました。その名は(もちろん)「OMOIYARI号」。当然日本に持って帰れないので、森を管理する方々に管理をお願いしてきたわけですが。

植樹作業中にも、周りを見渡せば家畜の群がゆっくりと通り過ぎ、時間がゆったりと流れているのを感じました。我々と、この森と送電線を除くと、チンギスハーンの時代から、この大地はこのままの眺めだったのかなと思いました。(次回へ続く)
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モンゴルについて(1)

2007-06-16 00:19:50 | Weblog
モンゴルといえば、チンギス・ハーンをすぐに連想するほどの歴史好きですが、それだけに、現在のモンゴルについては、地理の授業で教わるような知識しかありませんでした。また、気軽に旅行できるところでもなさそうで、自分には縁のない国だと思っていました。ところが縁があって、モンゴルにおける植樹事業に参加することになりました。

モンゴルといえば、遊牧民の国になるのですが、2000年以上前に発明された「遊牧」という生活スタイル、草原を家畜と一緒に移動しながらゲルと呼ばれるテントで暮らす生活スタイルをつい最近まで、あるいは現在も守り続けているそうです。こてこての農耕民族を先祖にもつわれわれからすると、なかなか想像ができない生活スタイルといえます。それでいて、20世紀の初めに、共産主義国家として独立し、冷戦終了後に民主主義、資本主義国家に変わって今に至る、ということで、この遊牧と資本主義のギャップもイメージがつきません。チンギス・ハーン、遙かなる草原、遊牧、ゲル、朝青龍関・・と断片的なイメージばかりでなかなかひとつにまとまらない、そんな国でした。

成田空港からモンゴル航空のジェット機にて5時間ほどでチンギス・ハーン国際空港につき、そこからバスでウランバートル市内のチンギス・ハーンホテルに向かいました。モンゴルの歴史上において、チンギス・ハーンは超有名ですが、共産主義の時代には、兄貴分であるソ連に気を遣って(チンギス・ハーンの時代に現在のロシア=ソ連あたりを征服・支配したため)タブーとされていたそうです。その反動なのか、資本主義国になってからは、どこもかしこもチンギス・ハーンの肖像や名前が溢れていました。そういうわけで、この日の夜は、チンギスハーンホテルのレストラン・ハーンで、「チンギス」というウオッカを飲みました。

ウランバートル市内は、コンクリートのビルが並ぶ近代的な都市ですが、少し郊外にいくと、敷地の周りを板塀で囲って、そこにちょこんとゲルがあるのが微笑ましい感じでした。高層ビル・マンションはあまりなく、ゲルやら一戸建てやら長屋やらが延々と並んでいましたが、どう見てもそれぞれの建物に電気・上下水道などが行き渡っているようには見えず、かといっていわゆるスラム街でもなく、不思議な町並みでした。
 
今のモンゴルは、最も過ごしやすい時期だと思われます。日差しは強いですが、高原のせいか、湿気もなく、風も爽やかで、Tシャツ1枚で過ごすことができます。緯度も高いので白夜とはいかないまでも、夜の9時過ぎまで明るくなっています。

街中を歩く人々は、もちろん我々日本人と同じ顔つきで、服装も同じですが、街の看板や表示が全てキリル文字(ロシア等で使っているアルファベット)なのが、多少の違和感というか、外国にいる、という感じがしました。モンゴルはロシアと中国に挟まれた国で、人種的には中国(や日本)に近いのですが、文化的にはロシア(ソ連)の影響の強さを感じました。
 
市街地を出ると、もうあとは全て「草原」でしたが、それはいわゆる「草原」とは全く違うものでした。草原といえば、草が生い茂り、風になびいたり、あるいは芝生のようにふかふかした場所を思い浮かべますが、モンゴルの「草原」は、赤茶けた土の上に、1~2cm程の丈の草がまばらに生えているだけで、近づいて見ればほとんど「砂漠」でした。ただ、同じような草の密度で果てしなく続いているので、見渡す限り茶色と緑の中間の色が続く風景になります。草原とはいうものの、薄皮一枚の草原で、ちょっとした気候の変動などでバランスが崩れると、黄砂が舞う本当の「砂漠」になってしまいそうな危うさを感じました。(次回へ続く)
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未開封のジャズCDについて。

2007-03-25 20:50:21 | 音楽など

昨日、今日のような荒れた天気の日には、外に出ようという気が起こらず、家で仕事などをしていましたが、ふとジャズのCDを聴く気になりました。私のCDコレクションは、ほとんど10年以上前に買ったものばかりですが、何故か未開封のCDが2枚あったので、さっそく聴きながらこのブログを書くことにします。

1枚目は「特選JAZZシリーズ-28 BigBandJazz」。カウント・ベイシーやデューク・エリントンなどのビッグバンドの名曲が12曲も入ってなんと980円!というCDで、「\953」なるシールが貼ってありました。どこかの駅構内で買ったものだろうか?今ではこの手のCDは100円ショップでも売っており、ずいぶん「名曲」の価値も下がったものですが、ジャズの入門編としては良いのかもしれません。
解説書も入っており、冒頭に「・・・・・11人から上の編成をビッグ・バンドという。編成はトランペットが4人、トロンボーンが3人、サックスが5人、リズムが4人というのが標準である。・・・・」 ・・・・わかりやすい!
内容は、カウント・ベイシー楽団が4曲、ジーン・クルーパ楽団が3曲、ディジー・ガレスピー楽団が2曲、デューク・エリントン楽団が3曲という構成ですが、どうもこのようなCDは、「特選」というにはビミョーな選曲が多く、やはり値段相応なのかと思ってしまいます。有名な曲としては「エイプリル・イン・パリ(カウント・ベイシー)」と「A列車で行こう(デューク・エリントン)」でしたが、後者はわずか34秒の「曲」で、おかずの美味しいところだけをつまみ食いするつもりが、ツマや添え物でおなかいっぱいにさせられた感じでした。

2枚目は、「Miles Davis Super Hits」でこちらは「$9.99」のシール。ジャケット表紙には
FEATURES:
SO WHAT
SOMEDAY MY PRINCE WILL COME
SUMMERTIME
とあり、この3曲なら「SUPER HIT」の名に恥じないのかもしれません。その他の曲は「抱き合わせ」かと思いきや、私が10数年前にたった一度だけ「生マイルス」を見て、そして聴いた時の曲、C.ローパーの「Time After Time」とM.ジャクソンの「Human Nature」の2曲が入っていたのはうれしい誤算でした。もしかしたら、この2曲を見て衝動買いしたのかもしれません。古典的なスタンダードを吹いても、M.ジャクソンを吹いても、さすがはマイルス、切々と心にしみます。こちらは私個人としては「当たり」でした。長いこと未開封ですみません。

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今週のNEWSWEEK誌より~こんなにあるあるニセ科学

2007-03-05 00:40:03 | Weblog



今週のNEWSWEEK(日本版)の表紙は「こんなにあるあるニセ科学~ダイエットから脳、水、空気までトンデモ理論の最新事情」でした。データ捏造事件を承けてのことだと思いますが、アメリカでも相当「ニセ科学」が蔓延しているようです。

ニセ科学の例として、

(1)「低脂肪食品を食べると健康で長生できる」
(2)「マイナスイオンが体に良い」
(3)「赤ちゃんにモーツァルトを聞かせると頭が良くなる」
(4)「サプリメント食品は体に良い」
(5)「筆跡で性格などを判断できる」

などがあげられています。
アメリカでも(1)・(2)・(4)あたりは、「セレブのCM」や専門用語を駆使して、それこそ文字通り「手を変え品を変え」この手の商品が売られているようです。手を変え品を変えるあたりが、効果が無いことを証明しているともいえますし、どう見てもアヤシイと思われる商品でも必ず買う人がいる、ということを証明しているともいえます。
(1)について、確かに脂肪が多い食生活より少ない食生活の方が体に良さそうですし、(3)も、雑音や騒音を聞かせるよりはモーツァルト(あるいは自分の好きな音楽)の方が情操上良いかと思います。(5)も「字は人なり」と昔から言われてきましたし、どれも歴史上、経験上の知恵として理解されていることだといえます。
問題は、(1)~(5)について「科学的に実証されていない」ということに尽きるようです。これらのエセ科学の商品・主張を科学的に実証した人に100万ドルを贈る基金があるそうですが(!)未だに獲得者はいないとのこと。

結局のところ、この手の話は「科学的に証明する」ことはできないのではないかと思っています。科学的に証明されているかのようなCMを流したり、研究者が、「これらの効果は科学的に確認できない」と発表すると大騒ぎになるのは、「なんでも科学的に証明できる」ということがベースにあり、「科学的に証明できないものはニセモノ」となってしまうからだと思われます。もちろん、学問や技術などは、「科学的な証明」を積み重ねた「科学」の世界なのですが、もうひとつ、「非科学」の世界があるのではないかと感じています。

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「アレキサンダー」について

2007-01-27 23:41:47 | 映画・ドラマ

正月に録画しておいた、映画「アレキサンダー」を見ました。アレキサンダー大王と呼ばれた人の生涯を描いたもので、監督はオリバー・ストーン、主演はコリン・ファレル、そしてアレキサンダー大王の母親役がアンジェリーナ・ジョリー、ということでいわゆる「ハリウッド大作」となります。

アレキサンダー大王は、紀元前300年ころ、10年あまりで現在のイラン・イラク・シリア・トルコ・ギリシャ・エジプトに相当する大帝国を築きあげた英雄ですが、マザコン・両性愛者としても知られています。世界史の教科書などでよく出てくる、「イッソスの戦いのモザイク画」の肖像が有名ですが、「大王」というわりに、やさしい感じの顔立ちに見えました。対するペルシャのダレイオス3世は映画のシーンとそっくり(逆です)。

映画は、アレキサンダー大王を中心として、

(1)父親(フィリッポス2世:こちらはいかにも荒くれ大王といった風貌)との関係
(2)母親(前半以外はほとんど存在感がなくなってしまいますが)との関係
(3)恋人(男)との関係
(4)部下(ほとんどが父親に仕えていた部下)との関係

がからみあって進行しており、ハリウッド大作らしく映像もすばらしかったのですが、アレキサンダー大王自身のカリスマ性や「なぜ10年あまりであれだけの戦争に勝ち、広大な帝国を作ることが出来たのか」については、やや物足りない感じがしました。

(1)について、外見はいかにも「野蛮な王様」ですが、息子にギリシャ神話を教えたり、当時世界最高の哲学者、アリストテレスを家庭教師につけたり、と外見とは裏腹にインテリで「よい父親」ぶりを発揮しています。しかし、母親から、「おまえはゼウス神の息子」と言われ続けたせいもあるのでしょうが、なんとなく父子ともにしっくりいかない雰囲気が出ていました。多分、史実もそのような感じではなかったかと思います。

(2)について、A・ジョリーは、「マザコンの息子の母」という役柄にぴったりフィットしていたように思います。また、(3)について、「生身のアレキサンダー大王」を描こうとしてストーリーにちりばめたのだと思われます。母親の影響が強すぎたのでしょうか、アレキサンダー大王の女性関係といえば、「ギリシャとアジアの融合」を目指し、率先してアジア人の女性と結婚した、というエピソードくらいしか残っていません。(3)あたりは、脚本上の彩りなのかもしれません。

一番興味があったのは、最後に(4)についてで、アレキサンダー大王の即位後は、ほとんど故郷を飛び出して遠征につぐ遠征、というより軍隊を連れて世界の果てまで放浪していたようなものです。よく部下がついてきたと思いますし(最後には従軍を拒否されますが)、あれだけの広大な領域を「帝国」としてまとめあげた秘訣、というかモトは何なのか、という疑問が残っています。

残念ながら、映画ではそのへんのところまでは分からなかったのですが、日頃、文献や古びた画像でしか見ることができない「歴史」を映像で見ることができ、楽しみましたし、考えさせられました。
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松本~札幌便存続の署名運動について

2007-01-21 23:36:14 | 信州・松本

私の住む松本市には、長野県で唯一の空港、信州まつもと空港があります。第三種空港と呼ばれる、地方自治体管轄の空港で、大阪(伊丹)、札幌(新千歳)、福岡便が就航しています。”日本で一番(標高が)高い空港”というのが”売り”です。私の自宅からも、松本空港を飛び立つ飛行機を見ることでできますが、安曇野、北アルプスを背景に飛び立つ飛行機の姿は絵になると思っています。

しかし、昨年末に突如、松本~札幌便が運休になるとの発表があり、地元としてはショックを受けています。何しろ、松本発着便の中で、唯一のジェット化路線であり、一番利用客が多い札幌便が運休→廃止になってしまったら、福岡便や大阪便も・・・となり、まつもと空港も・・・となりかねません。そこで、松本青年会議所では、存続のための署名活動をしよう、ということになりました。

なんといっても空港は、観光面、ビジネス面の双方にとっても貴重なインフラストラクチャーであり、地域の発展には欠かせない存在でもあります。松本青年会議所でも、毎年、空港の活性化を検討する委員会を設けて活動しているほどです。その中でいろいろな話を聞くと、札幌便についても、いろいろと背景があるようです。

(1)現在の札幌便は、MD-87という、かなり旧式?のジェット機を使用しているため、整備や交換用の部品が不足しており、部品が手配できずに欠航などということもあった。
(2)しかし、まつもと空港の滑走路は短すぎ、新型のジェット機の離発着は難しい(らしい)。
(3)地元との協定により、空港の離発着時間が制限されている。
(4)まつもと空港には駐機場の設備がないため、離陸するにはにはどこかから機体を持ってこなくてはならない。また、着陸後はどこかへ機体を持って行かなくてはならない。
(5)(3)、(4)のため、一日一便、しかもビジネスや観光に中途半端な時間帯になってしまう。
(6)上記の事情があり、まつもと空港を活用したツアーが少ない。
(7)上記の事情等もあり、札幌便の利用率は63%になっている(ただし、採算ラインといわれる60%は上回っていますが・・・)

などとなっており、単に航空会社を責めるわけにもいかず、われわれ地元(や自治体)の方にも課題があるようです。
まあ、上記の課題は、おいおい解決していかなくてはならないのですが、運休→廃止してしまっては元も子もなくなってしまいます。

というわけで、署名運動を開始したわけですが、本日私も運動に参加しました。ショッピングモールで署名を呼びかけたわけですが、この署名運動は、新聞・テレビ等で採り上げていただいたせいか、多くの市民の皆さんにも内容は理解していただきましたし、多くの署名をいただくことができました。ありがとうございました。さらに、外国の方の署名をいただいたり、「息子が(あるいは兄弟が)北海道にいるので、廃止になると困る」などという話を聞いたりすると、空港を通じてのグローバルな「つながり」を感じました。

一日署名をお願いし続けて、肉体的には疲れを感じませんでしたが、精神的にはかなり疲れました。やはり無視されたり署名を断られると相当凹みますし、次の一歩が踏み出せなくなります。街頭でビラやティッシュを配っている人たちもこういう苦労をしているんだなぁと(勝手ながら)思いますし、私自身、通りかかったらビラやティッシュはとりあえず受け取ろうと思ったりしました。

署名運動は今月末まで。目標は10万人です。もし、「まつもと空港札幌便存続の署名運動」を見掛けましたら、ご協力をお願い致します。また、松本青年会議所のホームページより、署名の書式をダウンロードしていただき、当会議所までFAXで送っていただければと思います。

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農協祭の展示販売にいってきました。

2006-10-29 22:12:30 | 仕事・ひと

この時期、各地の農協では、「農協祭」が行われます。「収穫祭」という位置づけになるのですが、農協の組合員やその家族の方々にとっては、一年に一度のお祭りとなります。町内の夏祭りや、学校などの文化祭もそうですが、これだけ娯楽が多い時代になっても、やはり「お祭り」には、独特の雰囲気があります。

お祭りは、地域ごとにそれぞれ個性がありますが、ステージでは歌や踊りやアトラクションがあり、出店が並び・・というのは共通しています。ただ、お祭り会場で、田植機などの展示販売があったり、大きなカボチャや山芋などを販売したりしているのは、さすがに農協祭、という感じです。私の勤める会社では、婦人服などを扱っているため、婦人服を持ち込んで展示販売しています。

本来なら、洋品店とか、ブティックとかで売るような商品もあるのですが、やはりお祭りですから、屋外でテントの下に並べ、「はい、こちら半額だよ!奥さん見ていって!」などと連呼したりしています。それに向かいのテントは魚屋さんで、荒巻鮭やわかめやなどを景気よくさばいて売っていたりするので、こちらも上品に構えているわけにもいきません。

お客さんも、「服を買っても着る機会がないから・・」とか「ジャケットやベストはタンスに腐るほど持ってるから・・」などと言いながらも、結構衝動買いしてくれたりするのは、やはりお祭りだからでしょう。しかし、売る側としては、売れれば現金になりますが、売れなければ商品を持ち帰らなくてはならないのですから必死です。お客さんの好みがどんなものかを素早く見極め、好みに合った商品をお薦めしなくてはなりません。さらにお祭り期間中だけの短期決戦ですから、持ち込んだ商品だけの勝負になります。「これの色違いはないの?」とか「これ、いいんだけどサイズが合わないのよね」と言われても、「じゃあ取り寄せます」などというわけにはいきません。なんとか、替わりのものを選んでいただけるよう、文字通り「手を替え品を替え」しなくてはなりません。

また、黙っていても買ってもらえませんから、商品にちょっと興味を持たれたら、すかさず寄っていって、「これ良いデザインでしょ、ちょっと着てみて下さい」などと言ってミラーをサッと差し出すくらいの対応が必要です。これで「売り上げ」に一歩近づくわけですが、たまに「私がこんなの(年輩向けの服を)着るわけないでしょ!お母さんが着る服を選んでいるの!」などと一喝されることもあり、なかなか商売はキビシイです。

そんなこんなで一日過ぎると、さすがに疲れます。また、周りはお祭りだというのに、屋台巡りもできず、イベントやアトラクションも見られないのが「売る側」の宿命とはいうものの、ちょっと残念な気がします。
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「理念と経営」について

2006-10-10 23:22:36 | 仕事・ひと

本日は、「理念と経営」というタイトルの講演会に出席してきました。場所は松本大学。講師は田舞徳太郎氏。
講師は、実際に起業し、そして一度は倒産の経験をされているということもあり、おっしゃる言葉には納得させられるものがありました。

まず、「経営」には2通りある、という話になりました。
それは「理念の経営」=プロフェッショナルの経営と、「迷いの経営」=アマチュアの経営の2つであり、
「理念の経営」は、マクロ経済が不況でも「知恵と創造と涙」で利益を出す経営のことで、

(1)経営者が、会社のビジョン・使命・目的を明確にもっており、
(2)その上で、現実・現物(商品)・現場・現金をきっちり把握し、
(3)ビジョン達成のための明確な方法論を持っている、

ということになります。
私の勤める会社は典型的な「不況業種」ですが、それを言い訳にしていたのではないかと反省してしまいました。

「迷いの経営」は、当然、上記の逆に相当しており、

(1)ビジョン・使命・目的が明確でないため、
(2)ちょっと儲かりそうだと、あっちこっちに手を出して、(行き当たりばったり)成功したり失敗したりで
(3)どのようにすれば利益がでるのか、分からなくなってしまう。(確かな方法論がない)

ということになります。
これも確かにそうで、たまたまヒット商品があっても、在庫を抱え込んでしまったり、2匹目のドジョウをねらって失敗したりで、結局儲かっているのか損しているのか分からなくなってしまうことはよくあります。

次は、「企業経営と人生経営」について。
ある意味で、企業経営は、経営者・幹部・社員の人生経営の集合体と見なすことができます。そのため、自分自身の人生の経営(朝起きてから寝るまでをどう過ごしたか)についても考える必要がある、ということになります。その場合に重要なことは、やはり、企業経営と同じく、自分自身のビジョンを明確に持つということになりますが、もう一つ「長い目で見る」ことを強調されていました。

成功している人、肩で風を切って歩いている人を見ると、ついつい羨んで、「それにひきかえ自分は・・・」などと思いがちですが、人生山あり谷あり、人の何倍も成功している人は、その陰で何倍も苦労し、涙を流しているものだ、長い目でみて、人生死ぬ前に差し引きして「少し黒字」になれば良いではないか、ということです。まあ、いったんは倒産経験があって、今、成功している講師の言うことですから、正しいと思います。

「人生長い目で見て・・・」という点について、昔の中国の思想家である荀子の言葉を引用されていました。
「それ学は通のために非ざるなり。窮して困しまず、憂ひて意衰えざるがためなり。禍福終始を知って惑わざるがためなり。」
(なぜ人が学ぶかといえば、出世とか利益のためではなく、苦しい立場に追い込まれてもどうしてよいか分からなくなったり、意欲を失わないようにするためであり、そして禍も幸せも、ずっと続くものではなく、必ず終わりがあるということを理解して、それに備えられるようにするためです。)
・・・言わんとすることは分かるのですが、何かと惑っている自分を見ると、もう少し学ばないといけないようです。
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日本青年会議所全国会員大会に参加(2)

2006-10-08 23:04:40 | Weblog

日本青年会議所(JC)が主催する、全国会員大会の2日目は、大会式典および今年JCを卒業する会員の卒業式が行われます。
どうやら、私の所属する松本JCの伝統のようですが、松本JCの卒業生のために、この式典の一番良い席を確保する「席取り」をしました。まあ、ただ早く起きて会場に行き、順番待ちをするだけですが。そういうわけで今朝は4:00に起き、というより昨夜から続いて4:00まで飲み、会場へ向かいました。そして東北の冷たい風が吹き付ける中、2時間近く並び続けたこともあり、最前列・中央の席を確保することができました。

一段落したので、式典が始まるまで1時間あまり休もうと、となりのファミリーレストランに行くと、同じようなJCメンバーでごった返していました。このかきいれどきに、店員は厨房1名とレジ1名のみ。料理を出すどころか、注文とりさえも出来ない有様で、このようなビジネスチャンスを逃すとは非常にもったいないと思いました。続いてとなりのインターネット喫茶へ行きましたが、こちらもJCメンバーでいっぱい。しかもこちらの店は会員制らしく、みな、会員証の申込用紙に記入していました。もう二度と来ないであろう「会員」をこんなに集めてどうするのか、と思いました。式典会場の隣なのだから、JCメンバーであれば、本日にかぎり会員登録不要で最初の30分は無料、くらいのことをしてくれれば良いのに、郡山のイメージアップにつながるのに、と人ごとながら残念に思いました。

式典会場に入ると、広いこと、そして隙間なく椅子が並べられて、入場者は7~8千人くらいでしょうか、これほど多くの人がぎっしりといるのにまず、びっくりしました。式典も、オーケストラの演奏あり、オペラ歌手や平原綾香さんの歌があり、何もかもが豪華・荘厳な仕掛けで、さすがは「全国大会」という感じでした。続いて行われた「卒業式」では、今年JCを卒業する(40歳)予定の方が、ステージ上にぎっしりと並び、卒業生への贈り物として、郡山の小学生の合唱団による合唱があり、卒業生代表の答辞があり、と、その雰囲気は、まさに学校の卒業式を思い出させました。地域の発展のために、長年無償で(というより会費を払って)ボランティア活動に取り組んでこられた人たちばかりであり、卒業生にとっては、学校の卒業式と同様、忘れられない一日になったのではないかと思います。

昨日の朝4時に起きてから、一睡もせずに過ごした「全国大会」もようやく終わり、またバスに乗って帰路につきました。途中、高速道路が暴風雨で通行止め、という区間もあり、8時間あまりのバスの旅となりました。帰宅したのは夜の12時前。初参加ということもあり、かなり疲れましたが、印象に残る大会となりました。来年の全国大会は北海道の帯広、そして私が「卒業生」として参加する(であろう)大会の会場は沖縄の那覇・・・・・これまたながーい「全国大会」になりそうです・・・
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