蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

卒業宣言

2012-05-19 | 暮らし

とあるブログ。
すごく、わたしのツボ。
わたしと、すこし似ているところがある。
でも、そのブロガーさんは、読書家で、もう、それだけで尊敬してしまう。


そのブロガーさんが、主婦の仕事は、達成感や喜びがない、と、嘆いておられた。
その主婦業の内容(業務)をあれこれ考え、わたしは、自分で自己診断してみた。


家事(あれこれ、あれこれ、あれこれ、いっぱい)、ほとんどしてない。
でも、病人も死人も、いまのところ、出ていない。

育児、完全に終了。
今では、全員、飛び立ってしまって、青空のはるかかなたの向こう。手も届かない。


親戚、付き合い。
冠婚葬祭以外は、していない。

近所付き合い。
隣人が亡くなったり、結婚したり、出産したり、離婚や出戻ったりしても、全然知らない。
同じ町内会の、離れた場所の住民に、偶然、居合わせたバスの中で、おしゃべりしていて、知る。


なので、
「わたしは、こんなにやっている。
なのに、感謝も見返りもない」、という、自己嫌悪に陥りようがない。


陥る自己嫌悪があるとすると
「わたしは、こんなに、なにもやっていない」
と。



昨夜、夫が、卵を20個ばかり持って帰ってきた。
広い場所で、思いっきり運動させているニワトリから生まれた卵だとかで、
とても美味しいそうだ。
(その日、わたしも卵を10個買っていたので、ダブったが、まあいい)


夫がこう言った。
「スロー(=わたし)と、いっしょやな。
なんの制限もないところで、思いっきり自由に好きなことしている」


・・・

ということは、わたしは、美味しいということだ。

・・・・


なんでも善意に、自分に都合のいいように解釈するのが、わたしの美点だ。(「欠点」でもある)
いつも、自分は、ひねくれモノだと言っているが、基本的には楽天家なので。


人に感謝されるようなことは、人生において、まったくといっていいほど、していない。
他人に迷惑も、かけていない。(ただし家族以外は)
なので、ストレスもたまらない。(ただし家族以外は)



そんなかんじで、
夫と、昨夜は、白ワイン、シェリー酒、レモンのお酒を飲んだ。
夫は食べるものがなくなり、大きな紙袋から、おつまみを取り出した。
夫が、今日、持って行く、仕事仲間の皆さんのために用意した、袋詰めのおつまみだったが、
袋には、小袋が個別包装されて入っていて、それなら、大丈夫だと、
どの袋も、大袋を開け、小袋をせっせせっせと賞味させていただいた。


そのおつまみを食べる前は、わたしが腕をふるった料理には、
「なにかが、足りない」と一言コメント(いちゃもん)をつけ、わたしをむっとさせた。
が、わたしは、なぜか、昨夜は、虫の居所が、いたって良く、
「あ、っそ~。(珍しく)ニンニクは、入れたけどね~」
ぐらいの反応で収まっていた。


翌日に持って行くおつまみを、前日に、どの袋も開けて、食べちゃっていいのかな~
などと、少し思ったが、
どんどん食べて、気が付くと、夫は泥酔、昏睡していた。
なんと、いともカンタンに。


そういえば、あれこれ、飲んでいたからなあ。


わたしの手料理よりも、おつまみお菓子で、いたってご機嫌よくなった夫。

こんなことだから、わたしは、一向に料理の腕が上がらないし、
家事も、サボるだけサボって、非主婦の烙印を自分で押し、今日に至ってしまっている。


おそらく、わたしは独身男性ぐらいの家事しか、してない。
なので、感謝される、認められる、などということなんぞとは、無縁、いや、正反対。

上娘は、結婚披露宴では、(たぶん)かなり無理をし、両親への手紙の朗読や、エンディングロールで、
ここぞ、という、盛り上がり、しんみり、お涙頂戴の、大切な、見せ所で、
「おかあさん、自由さを教えてくれてありがとう。
おかあさんの独特な価値観が好きです」
なんて、読み上げて、会場は、なぜか、どっと受けていた。


わたしって、いつも、笑われている。


我が家の「家族・被害者の会」は、これじゃあ、やってられん、と、
自分たちで、独自の新しい価値観を見出してくれたのだろう。


にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ人気ブログランキングへ


けったいなお母さんで、ごめんね。
皆さん、それぞれに、頑張ってください。


母を卒業した母(=スロー)からの、皆へのメッセージです。




最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
すばらしい! (ちやこ)
2012-05-19 11:50:43
自由であることは「ひがんだり」「すねたり」
「自己嫌悪」に陥ったりすることからも「自由である」のだとあらためて思いました。

自由であるためには、ある程度の自立が求められるものですが、スローさんは「精神的依存」から解放されていることで、それを成し遂げているのでしょうね。

私はあなたがうらやましいです、つくづくと。
あなたの周囲にはきっと自由の風が吹いているのでしょう。
その風はきっと軽くて、拭いているかいないか分からないほどだけれども、気付いたらくだらないごみや埃がきっちり飛ばされているのですね。

あなたのような生き方は、どうやったら得られるのか、興味を感じます。
ご両親の教育でしょうか、お育ちでしょうか、
それとも天然的にそういう資質をお持ちだったのでしょうか・・・・

私は自意識が過剰で、あなたのように軽く自由になれません。
自由の風は当然、自意識なんてものも吹き飛ばして行くのでしょうね。

ああ、うらやましい!!!
生まれつきの天然です (スロー)
2012-05-20 00:01:01
深い洞察、ありがとうございます。

わたしが、明日、ボケても、誰一人、気が付かないと思います。
もっとも近くにいる家族でさえ。
いつも、ボケたことばかり、言っているので、正気とボケの違いがわからないでしょう。

これは、最近ではなく、子供の頃から、そして、大人になって、若い頃も、年を重ねた今も。
作為や狙い、策略のない、無防備な単なる天然です。

アタマにもうひとつの宇宙があり、そこでは自由なのですが、現実の世界では単なる落ちこぼれです。

でも、アタマの中の小宇宙は、わたしを救ってくれ、落ちこぼれなんかじゃなく、無邪気な自由人。
行ったり来たりしているうちに、
どっちがアタマの中のわたしで、どっちが現実のわたしか、見分けがつかなくなることもあるかも知れません。


わたしも、うらやましい人がいます。
それは、自分のことがわかってない、自分の無知を知らない、幸せな人です。
わたしには、そんな人には、なれません。
自分は無知だということを、よく知っているからです。
でも、知ってしまったものは、仕方がないです。

この天然は、一種の持病なので、一生、天然と向き合っていなければならないんです。
ああ、それって、ちょっと哀しい・・・です。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。