蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

一生、同じ処に棲むという暮らし

2015-03-18 | お付き合い

田舎の親戚の法事に出席した。

そこで、感じたことは、
男性たちが話す話題と、女性たちの話す話題の違い。

わたしは、女性テーブルにいたのだが、話すことがなかった。
ここで、一言、言いたい!と思っても口をつぐむ。(立場上)

隣の男性陣での話題は、さらっとした、企業の話、業界や組織などの社会系のものだったので、聞きやすかった。
この春から社会人1年生がいたので、配属先や寮のこと、
そこから、ゴルフやら、なんやらかんやら、社会の先輩たちに囲まれ、話題が盛り上がっていた。
もちろん、わたしは口を挟まない。

いろいろと、しがらみが、あって、話す内容が限られる。
で、出された料理の感想や、食材についてなどを述べるに留まる。
その他は、若い人とは、デズニーランドやら、デズニーシーのことやら、地下鉄のことやら、
なせか東京タワーやスカイツリー、あべのハルカスやら・・・
当たり差し障りのないことばかり。
農協のバス旅行で行ったとか、仕事で修学旅行で行った、とか、たわいもないけれど、悪くない話題だ。


年齢の高い女性たちの話は、半径5キロ以内のことばかり。
だが、濃厚に密度高く、人生が詰まっている。
同じテーブルにいた、法事の主催者の家に生まれ、同じ町内に嫁いだ年配女性は、
生まれた家と、嫁いだ家は、なんと、2キロ~3キロぐらいしか離れていない。
主催者の女性は、もっとすごい。
生まれてからずっと今も同じ家。
(今春、社会人になる息子さんが、赴任先の東京から、定年まで帰ってこないのではないかと心配されている)

生まれた環境と、嫁いだ環境の地理的距離の近さたるや・・・
半径5キロなんてものではなく、駅直結型の傘いらずのマンションみたいなものだ。

スゴイとしか言いようがない。

地元の寺院仏閣を改修するにあたって、地元住民、各世帯あたり、大きなお金を徴収される。
よく皆さん、まじめに、支払うなあと感心する。
地域に根ざす古くからの同じ宗教だから、問題がないのだろう。

その地にある家に嫁ぐと、家の宗教のみならず、地域の宗教にも大きく左右される。
わあ。
宗教の非難はもちろん、感想も述べたりしたら、あとでなにを言われるかも知れない。
なので、ひたすら、「この西京漬けは、おいしい」とか、「生麩が入っていてコンビネーションが絶妙」だとか、
どうでもいいことばかりを言って、時間稼ぎをしている。
なんといっても、その地域に住んでいないので、住民ではない。
住民ではないが、よそ者のような、よそ者でないような。

あえて、問題を発生させるようなことは言わず、
地下鉄の値上げがどうとか、そういうことを言っているほうが良い。(ただし、若い人には)
年配の人は、地下鉄なんか乗らないので、やはり、春野菜のてんぷらの話題などを選ぶ。
あるいは、足が痛いときの、座り方を指導してもらったりもする。

事なきを得ることが大事。
地域には地域の文化がある。
そおっと、壊れないよう、次の人にそのまま渡す。
次世代へのバトンタッチは、繊細で微妙である。

さて、今や軸足が二つある、うちのイエは、どうなるのだろう・・・。

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