蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、花咲く時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

まだ帰らないの?

2017-08-27 | 華のスロー人
長女一家が、新居にお引っ越し。
ピカピカさらっぴんの家は、気持ちいい。
しかしながら、子供が小さいうちは、綺麗な家は諦めて、子供中心の、叱らなくてもいい家、家具にしたらいい、というわたしの主義主張とは、真っ向から反対の、ライフスタイル。

子育て時代は、エネルギー全てを子育てに捧げるという、わたしの時代(そもそも姑の主義)と、今の若い世代とは、考え方が違うのだろう。

子供たちが、最も汚し盛り、わんぱく盛りの時期に新築するなんて、わたしには考えが及ばない。

まあ、反対を押し切って敢行したのだから、今となれば、応援するしかない。
が、どこかに、くすぶるものがある。

彼女たちは、自立している。
経済も独立世帯であるし、幼い手のかかる子育て真っ最中の生活も、イクメンと協力して頑張っているので、親の出る幕はない。
文句を言う筋合いもない。

これが、経済援助でもしているのであれば、発言権も発生する。
カネは出すが、口は出さない、なんてのは理想で、口は出さないが、カネも出さない、そういうスタンスに(結果的に)なっている。
支援を要請して泣きついてくるならいざ知らず、自分たちで頑張っているので、外野がとやかく言う権利はない状態に追い込まれた。
口を出されたくないから、カネも出させなかったと見られる。

自立しない子供が多い中、けっこうなことと言えばけっこうだ。
カネは出さぬが、口を出す、という親も中にはいるだろう。
そんな親にはなりたくない。

この自立スタンスは、人生ステージとしては、今はこちらが支援する側だが、将来は逆転する。
我々が年老いた頃、子供たちに泣きついていかないよう、釘を刺されているようなものだ。
お互い、独立採算制。
子供に、自分の老後に必要な額を計算してお金を使えと言われる。
将来は、多額なお金の援助は無理、と警告されている。
姑は、口を開けば「将来は、お小遣い、ちょうだいね」だったが。

べったり依存し合うのは、もちろん避けるべきだが、最悪の場合は、持ちつ持たれつ、協力する。
できる限り、お互い、自立の道を確保したい。

しかし、
出来過ぎた話だと感じる人もおられるだろう。

わたしは、自立していないまま、今日まで来てしまったので、反省の意味もある。
親にしてもらいすぎた結果、自立できない夫婦になってしまっている。
今更、修復しようにも不可能。
せめて、子供世代との関わり方を通して、依存しない自立した生き方を身近で見て学習し、自分たちがいかに依存してきたかを自覚し、正しい依存しない状態に近づけていきたい。
まさに、「負うた子に教えられ」というものである。
こんな自立していない夫婦から、なぜ、あんなしっかりした子供が育ったのだろう。
まさに、反面教師そのものだったに違いない。

甘やかしすぎ過保護の方法は良くないけど、その中には、愛情や優しさが、ぎゅーっと詰まっているので、その部分に接した理屈抜きの経験は、性格や人格形成に影響はあると思う。
人が人を育てる。
人は家族に愛情を持っているに決まっている、と思うが、そうでもない人もいるようだ。
自分の置かれた場所に、感謝せねば。

それと、親世代と子世代のバランスが大事。
経済的、社会的に、あまり開きがあると、バランスを崩す。
おばあちゃんであるわたしの、自分の家に帰って居場所がないと、娘一家の中で孤独感に苛まれるだろう。
ちょっと顔を出して、「ありがとう、さ、帰るわ」と、さっさと気持ちよく帰りたいものだ。

昨夜は4歳の上孫に、「まだ帰らないの?」と言われた。
が、まさに帰る時間だった。
ついでに言うと、わたしだけでなく、次女も一緒に訪問していたが。
「そういう時は、ほうきを逆さにして立てるんやで」と孫に教えておいた。(もちろん、冗談)

しっかり者の孫に、将来のわたしの行く末、縮図を見た。
依存し合わない体制は、かなり気合いを入れて維持しないと、手を抜くと崩壊しそうである。
その頃には、身体だけでなく、アタマも楽園になっているだろうけれど。

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