蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、花咲く時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

神聖な人と、タメ口で、ムダ口

2017-07-13 | 暮らし
パリでは、JAZZの会、ブログ村から飛び出したメンバーさんが、楽しい時間を過ごされた様子。
写真はリアルに語ってくれます。

それと、今日あたりから、アクセス数は下がる予感。きゅ〜ん、急降下。
いつもの数。
いつもの顔。それでいい。


さて、我が家のお隣さん。
今日は法事なのか?
美しい音楽のようなお経の後、お坊さんが親鸞の導きを語っておられる。
カチャカチャ、今、お茶が出されている模様。
夏で、お互いに窓が開いているから、隣家の音がよく聞こえる。
お隣さん、今日とは別口で、月に何度か、年配の方々が集まって、定例で宗教がらみの勉強会もやっているようだが、そこでは、なにやら経典(教典?)読み合わせ。
そこからは、「神は、、、」なんて聞こえてくるから、宗教の多様化、デパートだ。
仏さんと神さん、仲良し、こよし。
日本人は、草木や大自然、台所、トイレにまで神が宿るなんて考えもあるぐらいだから、なんでもありなんだろう。
しかし、お隣りさんの読み合わせの寄り集まりは、日本の神様ではないかんじだったが。
不思議だけど、儀式としての宗教と、教え、マインドとしての宗教が、別々なのかなあと、解釈。
宗教は、教えや信仰心を実践で示すように思うが、見事に分離。
まあ、それも平成の世の中も終わろうとしている現在には、シンボリックな具象なんじゃなかろうか。
と、まるで他人事。隣に住んでいても他人なので。

ちらちら断片的に、お坊さんと奥さんの話声。
奥さんは、わたしより年上だが、お坊さんにタメ口。
お坊さんの方が明らかに若いから、まあいいのか、というようなものだが、仏様の使者にタメ口は、どうもしっくりしない。
しかし、お隣さんには、お隣さんのルールがあるから。他人事。
世間話に花が咲き、お坊さんが話を合わせている。聖職者も、なめられたものだ。
所詮、他人事。
なにしろ、宗教が複数あるんだから、信じることは一つではない、ということを体現している。
昨今は、こんなのですよ〜と、姑に伝えたい気がするが、伝えたところでガチガチの考え方が柔軟になるわけでもない。
今更、意味なし。

真理や信じることが、一つではない、複数あるなんて、実に興味深い。
二枚舌のようなイメージ。
あるいは表裏一体。

柔軟と言えば聞こえは良いが、いろいろあるなあと、ミニミニ社会見学。
若い人々は何を指針に子育てするのだろう。
おばあちゃんの知恵袋的な悩み相談Q&Aと、クックパッドがあれば、とりあえずは、どうにかなりそうだけれど。

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