蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、花咲く時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

ガラが悪い熟年女性に、キレられた

2016-10-19 | 日々のこと
さきほど、電車のホームの階から、車いす女性とエレベーターに乗り合わせ、その車いすの熟年女性に口汚くののしられた。
私が降り際に「開く」ボタンを押して降りたところ、
「放ったらかしかよ、開けとけよ!」
と背後から大きな怒鳴り声が聞こえた。

さらに改札の所でも、
「車椅子やのに、開けとけよ、アホ!」

どうやら私を追いかけて悪態をついているようだが、私はそんな悪いことをしたという自覚が、とんとない。
普通にエレベーターを降り際に「開く」を押して先に降りたのが、それがいけなかったようだ。
その人の介添え、介護を私がしなければならなかったということか。
響くダミ声がいつまでも頭にこびりつき、あとあと、ずっと気分が悪い思いをした。

自身の車いすの不幸を、アカの他人に当たりちらし、当然の義務のように介添えをアカの他人に押し付けるその人は、大の大人の女性でありながら、あのガラの悪い話し方には、ゾッとした。
あんなに自分の思いを喋ることができるなら、エレベーター内で、「私は車いすなので、最後まで、私が降りるまで開けておいてください。すみませんが、私が降りてから、後に降りてください」と頼めばよいのではないかと思ったりした。
私が「開」のボタンを押したとはいえ、先に降りて、配慮が足りないと反省すべき点があり、彼女にしてみると、そこまでハッキリ子供に教えるように諭すように口に出して示さなければわからないのか、という苛立ちはあるだろうが、あんな言い方をされると、胸に黒い重いものがへばりついた。
先に降りた私の行動は、悪気がないとはいえ、常識として、なんの問題意識も持たず、何も気づかず、自己チューで感心しない。健常人ゆえの無知、無配慮。
その悪気のなさが、あの車いすの女性をムカツかせたと想像する。
もし、私の関係者に車いすの人がいたなら、もう少し考えていたことだろう。
だが、車いすをジャマ扱いしたり、邪険にする人もいて、それに比べると、そこまで私はひどくない。

しかし、あの女性、介添え人なしで、一人で電車に乗っているのだし、自立しているから大丈夫と思って、深く考えず、私は先に降りた。
現に、エレベーターから改札口までは30メートルぐらいあるが、エレベーターから降りて改札口まで普通に歩いていた私と、エレベーターに取り残された彼女は、同時に改札口に到着していた。
しかも、改札をわたしよりも先に通過した。
彼女は、さっさとエレベーターから降り、早くに移動できるのだ。
それぐらいの、健常人と同じ速さを維持できる、あるいはそれ以上の、いたって素早い行動ができる人だった。

先に降りられて、ものすごく不快で大変な目をしたにも関わらず、1分か、2分後には、もう行動はクリアしている。立派なものである。

ただし、あの、ガラの悪い言葉による、マイナス感情の発信!
「世の中、おまえみたいな無神経なヤツがいるから、私は、不快なんだ!」というかんじで、思いっきり自分の感情をぶつけ、不快感を言葉でアピール。
ヘイトスピーチのような音声だった。
あれぐらいインパクトのあるセリフ、音調でないと効果が弱いのだろう。
「悪気のなさ」「自覚のなさ」「無意識」「無関心」「無配慮」が、彼女をキレさせるキーポイントだと推測する。

車いすの人を労らなければいけないのは、重々わかる。
罵声を浴びせられた時は、真っ黒な気持ちが続いていたが、今は少し収まっている。

彼女の気持ちを理解しようとすると、レディーファーストを無視された女性の気分か?
あるいは、電車内、若者が座る優待席の前に立つ、重い荷物をどっさり担いだ、足の悪いお年寄り?
私の気持ちを理解してもらうには、ヤ○ザの足をうっかり踏んでしまって「このやろー、なにさらしとんじゃ、なめとったらあかんぞ〜、ごぅらあ、ぼけ〜、かす〜、おら〜、おら〜」と凄まれ、ビクビクびびって恐怖のどん底の気の弱い人。

あのタイプの女性が近隣に住んでいたら、間違いなく私はストレスで病気になるだろう。
職場や自治会、学校関係で交流を余儀なくさせられたら、、、と思うと、ゾッとする。
幸いにして、今まで、そういう人とは接点がなく、本当に良かった。

弱い立場の人を思い遣るのは、人として大切なことである。
虐げるなど、とんでもない。
うっかり自分の、自覚なくとっている行動が、弱い立場の人を傷つけていることがある。
それがわかったので、これからは、車いすの人には近寄らないようにしようと思う。
(→この、最後の行の感想はNG。
これでは、学習効果としては、倫理委員会には不合格)
模範解答としては、
「今後、車いすの人には彼らの目線で物事を見て、暖かい手を差し伸べ、少しでも役に立てるよう、気を配ろう」
が、大人の優等生としての、まとめ、総論だろう。

「みなさん、間違っても車いすの人より先に降りてはいけません。
ちゃんと降りるのを見守ってから降りましょう。
最低限の社会のルールです」
(なにを今更、そんなこともわからなかったの?とネットの向こうからの冷たい目)


彼女の行動は、他の車いすの人々の代弁者としての意義があったのかも知れない。
胸がすく思いがした、(数々の世間の人の心ない行為で傷ついた)車いすの人々がいることだろう。

自分の世界だけに生きる、のほほんとした人間に、がつんとカツを入れる役割をした。
説明なしに、いきなり、ひっぱ叩かれたか、こん棒で殴られたようなかんじ。
痛いっ! なんで?
痛い理由を理解するのは、痛みが治るにつれ同時進行で、考えたり、振り返ったりする手順になっている。
先に説明、理解、誘導があり、その後に模範行動を引き出すほうが、平和的で望ましい。
が、そんな悠長なプロセスを辿っていると、キレた女性は自分の思いを伝えられないまま、当事者たちは散り散りバラバラ、各自の家路についていることだろう。

冷静になって考えてみると、世の中にはいろんな人がいて、微妙な力、バランスで均衡が保たれている。
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