蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

自分も人から見ると、ヘンな人

2017-08-05 | 日々のこと
「毎日、暑いですね〜」と、全く知らない初老の女性が電車の隣の席から声をかけてくる。
「暑いですね〜」と返事するものの、それ以上は答えないわたし。

ホームに行くエレベーターの中では、これまた見知らぬご年配女性が、「奥さんは若いからいいけど、わたしは、しんどい、しんどい」と話しかけてくる。
「(しんどいのは)おんなじですよ〜」と、短い返事をするわたし。
わたしの母より年上らしい、90歳というその女性は、いかに今がしんどいか、訴えてくる。
いちいち話に乗っていると大変なので、そっと離れる。

ボランティアのお話相手になるには、わたしは、いささか忙しい。
それに、最近わかったことだが、老齢の人で、少し(アタマが)おかしい人がいる。
アカの他人のわたしでもそう感じるのだから、閉ざされた家庭内では明るみに出ないだけで、結構、病状は進んでいる可能性もある。
過去に、まともに話相手になり、ヘンな人だという事が後にわかり、かなり困ったこともある。

子供たちが、見知らぬ大人に、ついて行ってはいけないように、大人も、見ず知らずお年寄りには、近づいては大変かも知れない。
しかしながら、多世代、老若男女、子供やお年寄りと暮らす、明るい社会を理想とするのに、こんなことを言っていては、掲げられる理想とかけ離れている。

だが、自分で防御しないと、巻きこまれて消耗するのは自分である。
無視、知らんぷりもよくないが、無防備に介入すると、ひどい目に遭うこともある。
(最近、車椅子の女性に暴言を吐かれ、健常者のわたしが、いたく傷ついた経緯あり)


社会でいろんな人に出会うが、わたしも見知らぬ人に、にこにこ話しかけることもある。
そんな時、相手に怪訝な顔をされたからと気分を害する必要はない。
逆に自分が見知らぬ他人に話しかけられた時のことを想定してみると、よくわかる。
わたしって、ヘンな人に見えるの?とショックだろうが、他人は自己防御しているに過ぎないのだ。
わたしがヘンなのではなく、見知らぬ他人は自己防衛、プロテクトしているのだ。

住民全員が知り合いという、田舎の閉ざされたコミュニティと、片や、そうではない、流出入、人の出入りがある、どこの誰かもわからない社会。
ある意味、暑苦しくなく、風通しは良いものの、ちょっと殺伐として、人の気配がしない、温もりが感じられない。
どっちも、どっち。
両方の良いとこ取りが、できないものだろうか。
緩やかでも機能しているルール、つながりのある街、、、
なんだか市政スローガンのようになってしまっているが。
挨拶が自然に出来たら良いと考えるものの、なにしろ中にはヘンなのが混じっている。
身内にはヘンと映らないが、他人には、ヘンな自分かも知れない。
自覚と距離バランスを保って、生活して行きたいものだ。

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