蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、花咲く時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

人生の大先輩たち

2016-11-06 | 
姑は、人生の区切り、区切りで、自分の感じたことをわたしによく話した。

まず、わたしと知り合った頃。
姑は、今のわたしより9歳若い、51歳。
今、思えば、ピチピチの若いおばあちゃんである。

長男(わたしの夫)の結婚がひと段落したあと、姑はしばらくは、自分のお手柄(イエの嫁としての義務を果たした、跡取り安定への役目を終えたこと)に酔いしれていた。
喜びと共に快い疲労感、達成感に満ちていたことだろう。
堰を切ったように、婚家の歴史や親戚のこと、家にまつわることをわたしに話した。
時には関連物を見せたり、現場に案内したり。
聞き手としては、よくまあこれだけ話があるなあ状態。
真面目で素直な聴講生だった。

その時期と前後して、使うのはもったいない、と、ストックしていた贈答品を「生活を楽しまなければ」と切り替え、使い始めた。
人生、残りのほうが短いから、使わず、ためておいても意味がない、と。
当時は冠婚葬祭のお返しは、ほとんどモノだったので、お付き合いの派手な婚家にはどっさり、お返しの食器だのタオルだのが、ズラリ整然と仕舞われていた。

婚姻による新メンバー追加、さらに次々と出産ラッシュを迎え、落ち着いた頃には、年金の話。
わたしは、まったく興味がなく、上の空。
まるで関心がなく、どうでもよく、全然話を聞いていないのに、おとなしく相槌だけ打っていた。
アタマを素通りする話題に対して、べつにストレスはなかった。

やがて、知人や親戚の男性陣が定年を迎えると、
「立派な肩書き、地位、役職の人も、リタイアしたら、ただの人」
そればかりを、親戚の特定のある人を実例に、見出したセオリーの如く、呪文を唱えるかのように言っていた。
よほど、なにか、肩書きで嫌な目に遭わされたことでもあるのだろうか?
あるいは、置かれた状況が変わると、今までの価値観がころりと変化することに、驚いたと見られる。
戦前と前後をまたいで生きてきた世代には、劇的な価値観の変化に対応させられるが、あんまりわかっていない人々もいるようだ。

そのまた次は、自分の健康のこと。
健康なくして、なにもなし。
若い人たちの足を引っ張ってはいけないと。

やがて、我々は、子供たちの成長につれ、あまり姑の家には、正月、盆暮れ、彼岸、法事などの節目にしか行かなくなった。
イベントとして食事会などで、外での交流もあった。
舅と姑は、夫婦いい旅時代で充実期だった。


舅は晩年、何ヶ月か入院したあと、自宅療養した。
家で舅を看取った直後は、未亡人だと見られる世間(近所)の目に、姑は嘆きを感じた。
夫を亡くした自分は、みじめ、気の毒、などと思われている、と、姑が勝手に作り上げた目(思い込み)であると、わたしは見なしている。
若くして未亡人ならいざ知らず、70歳をとおに超してからの未亡人、男性より女性のほうが長寿なんだから、別によくあることである。
わたしは、その「世間の目」発想が、とても不思議だなあと感じていた。

姑にとって「自分が思うこと=世間が思うこと」という方程式が成り立っている。
世間にアンケート調査し、集計結果がたとえそうであったとしても、自分の、ごく身の回りの限られた人が、アンケート結果と違っていたら?
自分の思いと、アンケート結果が違っていたら?
そういう、自分の考えと別の方向にある、余計なことは、参考にはせず、雑音は音としてしか認識せず、脳やこころには到達しない。
試行錯誤や検証などは、一切しない、一直線。
ブレなくて、わかりやすい思考性である。
思考の省エネと言える。
揺るぎない信念というものだろう。
ガチガチの思い込みとも捉えられる。

夫を亡くした後、しばらくは悲しみに暮れるが、少なからずの妻たちは、やたらエネルギッシュになる。
御飯作りにもしばられず、黄金の解放期。
一気に、水を得た魚。
時間、お金、カラダ、自由を手に入れた。

その頃は、わたしも自分のことで色々忙しく、当時の姑のことはさほど記憶にない。
つまり、姑は、楽しい満ち足りた時は、あまりわたしに話さない、ということかも知れない。
辛かったことや、悔しかったこと、悪口雑言、自慢話は、しても。
わたしに話すことが、姑の一種のストレスの発散口になっていたかも知れないが、わたしは、べつに自分のことではないので、どこ吹く風。
聞くだけなんて楽だったし、べつに嫌ではなかった。

しかし、80歳も過ぎると、外出も億劫になり、同級生たちとの食事会も参加が一人減り、二人減り。
別になんの趣味に明け暮れるでもなし、一種の、健康オタクのようにわたしには映った。
本人曰く、
「旅行も存分にしたし、十分楽しんだ」。
(舅は旅行好きだったので、お供をしたが、後半は、お抱えの介護人)

姑も母も同じことを言う。
「行ける間に旅行しときなさいよ」

自分がしたくても出来なかったから、同じように後悔させないように、人に勧めるケースと、
自分は出来なかったから、当然、人にも禁止するケースがある。
あるいは、自分がやってきて良かったから、人に勧めるケースもある。

「若いうちに、出来ることはしときなさいよ」とも勧める。


人生の大先輩たち。
軌跡を辿ると「教訓」が点在している。
取り入れるか、取り入れないかは、また別ではあるが。

自分が無の時には、どんな話も興味深く聞くことができた。
お世話になっていたし、感謝もしていたし、話の内容にも、なにもストレスを感じるものはなかった。
が、こちらが自立し、自分なりの考えも形づくられてくると、聞き捨てならん!という内容も出てきた。
しかも、世の中の動きや、反対意見を言っても、馬耳東風。
わたしが賛同できない考えを一方的に押し付け、人の意見は聞く耳を持たない。
多くの老人は、そんなものらしいが、姑と話すこと自体にストレスを感じるようになった。

価値観は違うのは当たり前。
同じ価値観を持ち、一族が同じ方向を向いて、団結、集結し、一族繁栄に邁進するのが理想だが、舅が最後の実質的家父長。
夫も跡取りなので、家父長だが、舅はこの世を去り、姑は席不在、夫が、「皆、ついて来い」と引っ張っても、誰も着いていかない。
息子が最たる例。離脱。
妻も、明治時代なら無言で着いて行っただろうけれど、昭和も終わり、平成もすでに30年近くが過ぎようとしている。
強いリーダーシップがあれば?と仮定しても、もはや時代の波には逆らえない。
あえて逆行したい、女大学を地で行く、昔の美徳をふりかざす妻なら、やれば良い。
そうでない妻に、同一価値観の強要、価値観の合わない行動を強制するのは、関係性を崩壊させる効力があるだけ。

しかしながら、「旧い」「新しい」の問題だけではなく、わたしの性格や考え方にも問題があるようだ。

わたしは、長きに渡り、夫と向き合わなかったツケが、今頃、回ってきている。
自業自得である。

多くの夫婦は、夫がリタイアした後の夫婦の人生を再点検、見直すようだ。
わたしの場合はまだ夫はリタイアしていないので、見直すにも、状況的に少しチグハグになっている。
だが、リタイアを先どりして、気持ちは前倒しだ。

かつては、縦のチカラ関係ばかりに縛られ、上の言うことだけを考えなく聞いていればそれでよかったが、上がなくなった後は、夫婦のあり方を見つめ直すことになる。
なぜなら、夫は、ベルトコンベア式に、ポストが空いたから、はい、次どうぞ、と、家父長にはなっていないからである。
だが、夫にはその認識がないことには驚かされる。
また、子供のように、母親に甘えるように甘えられると、苛立ちを通り越して、ぞっとする。(我々は、相性が悪い)
が、事態をことあるごとに姑に力を借り、夫に説明してこず、放置していた責任は、わたしにある。
自分育てに忙しく、夫を育てる余裕はなかった。
やがて、わたしは姑から自立した。
が、姑が不在だからと、母親代わりに夫に頼られるのは御免被りたい。

並列の友だち夫婦も、よかろう。
ただし、リーダーはいない。
しかも、嵐※の中では即、転覆する小舟である。
まったく、精神的には頼りにならない。
小舟が転覆しないよう、船客同士、仲良くしないと、お互いの命がかかっている。

人生の先輩たちは、ナビゲートしてくれたものの、手を離す時期になっても、我々は、あまりうまく育たなかった。
精神的に、自分の足で立てなかった。
イエの、時代の流れによる移り変わりもある。
大きな諍いがなかっただけ、マシか。


未来は、次世代以降の人々に任せる。
こんな前の時代を生きた先代たちがいたことを知ってもらうだけでも、随分違うように思う。

わたしの書くものは、すべて遺書である。
どうせ家族は読まないだろうけれど。



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