蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

不愉快との付き合い方

2018-01-17 | 日々のこと
退屈である。
突然、退屈になった。
いつも見に行く別SNSの日記をアップする顔ぶれが固定化され、動きがなく、面白くない。

中ではアクセス数の多い日記がある。
わたしは、直接リアルを知っている人なのだが、、、
お孫さんのバレエの発表会の動画を日記に貼り付けてある。
三頭身なので、ゆるキャラの動きで可愛い。
(※ちなみに、「三頭身」は、多少のデフォルメ表現)
歌舞伎役者の子供の初舞台のようなものか。
歌舞伎は伝統芸能で、子孫は引き継がなければならない宿命を背負っているが、バレエは自由選択だ。
しかも三頭身なら、バレエとは言い難い。
あれでも振り付けや指導は大変だっただろう。
しかし、猿やイルカに芸を躾けるほうが大変だと思う。

立派な舞台での晴れの発表会なのだが、なぜ、あのような動画をアップするのか、深層心理を推測するにも、いたって単純、明解。
目の中に入れても痛くない、可愛い孫の、最も可愛い三頭身時代の動画を皆んなに見てほしい、と願う、ばばごころ。
誰にでもある、微笑ましい楽し嬉しい気持ちである。
わたしとの違いがあるとすると、それを不特定多数の趣味仲間に公開するか、しないか。
皆さんは、「可愛い、可愛い」と多くのコメントを寄せていた。
可愛いことは可愛いが、三頭身が一生懸命やっているところが可愛いのだ。
どうせなら、笑える瞬間をとらえた動画のほうが面白いのだが。

しかし、わたしは、そうとうひねくれている。
猿やイルカの練習を重ねたショーは、有料で観客の目を楽しませてくれる。
お遊戯も保護者家族を楽しませてくれる。
教育指導、成長プログラムの過程での、保育園や幼稚園の学芸会ならいざ知らず、
そしてシルクドソレイユや上海雑技団の高度な技ならいざ知らず、大枚を投じてお稽古させ、立派な会場、広い舞台で踊る、三頭身のバレエ、、、
その、熱すぎる趣味に、拒絶反応に近いものを感じた。
こういうお金のニオイ、わたしは大嫌いなのだ。
(どこぞの国の、全員、顔だけ異様に、にこやかな笑顔の、音楽舞踏団の小型・三頭身版にも見えないでもない)

好きでお金を投じる人がいて、かたや、嫌いな人がいて、、、人それぞれ自由であり、誰に文句を言われる筋合いもない。
同好の人々が寄り集まり、お互いを褒め合うのは、精神衛生上、非常に結構なことである。
ただし、広く制限を設けずに公開すると、届いてこない不快な声も必ずあるだろう。
そんなことをいちいち考えて気にしていたら、楽しむこともできない。

なので、わたしはお金のニオイのする三頭身への趣味投資に関する感想は、直接、ご本人には伝えない。
何にお金を使おうが本人の自由であり、邪魔する権利はない。

嫉妬ではない。
1兆円、資産があっても、わたしはしない。
嗜好の違いである。
周りの祖母趣味仲間の皆さんに、多くの同調賛同コメントを寄せられ、悦に入っておられることだろう。
人は人。それぞれの価値観や嗜好は個々に独立して存在することを認めている。
誰にも好き嫌いはある。
が、内容に関しては、わたしの趣味に合わない。

見ても見なかったことにして、なにもなかったことにしておくのが、わたし流。
自分を不快にさせるものには近付かない。

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