蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、花咲く時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

北風と闘う、陽だまり睡魔

2017-11-06 | 日々のこと
わたしのブログ。
アップしない日は、閲覧数がガクンと極端に落ち込む。
閲覧数同様に、わたしの首もガクンと、うな垂れ落ちるのだが、逆に考えると、アップした日は、閲覧数が上がる、ということだ。
(小学生にでもわかる算数)

友達は相変わらず、いないし、いなくても全く平気だし、むしろ友達は煩わしいと感じているぐらいだ。
こういうわたしに、友達が出来るとすると、それは、友達ではなく、連帯を求めない、個、単体である。
単体ばかりが集まって集合体を構成すると、ある意味、不気味なような、へんな安心感のようなものがある。

例えば、おひとり様限定ツアー。
おひとり様が参加条件なので、全員おひとり様で、でも、ゾロゾロ。
これは、不思議な図である。
おひとり様団体ツアー。
おひとり様なのか、団体なのか、ミステリアスな旅か?
(実態は、普通のパック旅行)

例えば、日曜日、朝のモーニングショー。
朝の討論会。
井戸端会議より、ずっと面白い。
わたしが知らない情報を元に、各専門家がコメント、意見を述べる。
友人とディスカッションするより、濃い。
ただし、テレビの出演者が言っているからと鵜呑みにすべからず。
ちょっと情報通の一人の個人が言っているのに過ぎない。
意外と、安酒場の隣のおっちゃんの言っている事のほうが、まともだったりすることもある。
が、まぐれ当たりの、当てずっぽうのことが多い。
基本知識もない、ろくすっぽ調べもしない、情報採集にも偏りがあるだろう。
信用はできないが、感覚発言も、ひとつの意見である。


さて、友達なんか要らないわ、というスタンスのわたしだが、家族は割と大切にしている。
ただ、大切にする想いが、あまり行動に現れない。
目に見えない。
なので、孫たちからは、除け者にされている。
全く人気がない。オファーがない。
不人気ぶりは、皆んなでお出かけした時に、顕著に如実に露呈される。
いつも、その現実に直面する度に、わたしのこころに、冷たい風がヒューと吹き、何度、この風に当たっても、慣れることはなく、寒く冷たく、寂しさで打ち震えている。

と、ここまで書いて、可哀想すぎて、気の毒すぎるわたしに、笑いがこみ上げてくる。
にやけながら書いているのは事実だが、疎外感に打ちひしがれているのも事実だ。

「三つ子の魂百まで」で、幼い孫たちのわたしに対する想いは、直感に基づくもので、一生続くかも知れない。
あんなに除け者にしていたおばあちゃんが、実は孫のために、爪に火を点してお金を貯めていたりするのかも知れない。
ベタ可愛がりしないのは、スポイルしすぎて甘やかして堕落させないための愛の鞭かも知れない。
が、少なくとも、今の孫たちにはそんなことは、一切知らないし、感じていない。
しかし、親が「おばあちゃんを大事にしなさい」と言って聞かせていたら、大事にしているのかも知れない。
今は、現状から見ると、言われていなさそうだ。

とは言うものの、親に言って聞かされていようが、そうでなかろうが、孫が寄って来ないのは現実である。
普通、おばあちゃんは、孫をぎゅーっと抱きしめて、美味しい出来たて料理や、手作りお菓子、運動会のおにぎり&お弁当をたっぷり作って来て、孫たちを喜ばせるのではないのか?
(わたしの姑が、そうしてくれたように)

まあ、していないのだから、見返りがなくて当然だ。
オヤツも、お土産も、プレゼントも、孫たちの気を引くようなことは何もしていない。(いまどきの子供は、生活水準が高いし)

なので、北風ビュービュー、零下マイナス10度でも、自分のしたことを鏡で見て、ブーメランのように返ってくるのを感じるだけ。

で、いまさらながら、それもちょっとわたしが寒すぎるので、安易な策を練った。
一番下の孫なら、まだ間に合う。
食糧は母乳のみ。
何もまるでわかっていないので、今から愛情作戦に出て、ベタベタしようと企んでいる。
たまたま上二人は、男の子、一番下は女の子なので、接する態度が違っていても、言い訳する余地はあるだろう。
しかし、見返りを求めるベタベタは、やはり、悪かも知れない。
被害者は、一番下の孫かも。
そうなっては、お互いのためにも、周りにもよくない。

友達が要らない志向は、孫に対しても同一線上になければならない。
が、人間だもの。
いい加減。
都合のいい時だけ、相田みつをの言葉を借りる。
と、適当にだらだら書いているうちに、だんだん今度は睡魔が襲ってきた。

陽だまりの午後、こっくりこっくり居眠り。
極上の幸せを享受している。

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