蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

思ひ出、ちょろちょろ

2012-11-13 | 思い出

さあ、今から、早足、更新、時間内で終われるか?
どきどき。

と、とたんに、キーを打つ指が止まった。
なんと、気ままな指であろうか・・・。

読者数、限定。
わたしは、それでもいい。
多くの、不特定多数の方々が訪れてくれるようなブログでは決してない。
そんな、わかりきっていることを、わざわざ文字を使って表現する意味は、まったくない。
有名人、特にアイドルやタレントさんのブログなら、どんなにつまらない内容でも、閲覧数はすごい。
経済の専門家や、その他、その道のプロのブログも、参考になる。(ニュースしか読んでいないけれど)

自分の好きなことだけ書く。
お、指がだんだん、動き始めた。

さ、内容に移ろう。
(この時点では、まだ、考えていない・・・助走時間、長いなあ。
せっかく前倒しでスタートしたのに意味がない)

今日のイントロ、長かった。しかも、無意味。

ここのところ、わたしは、家族やら、家庭やらに関する内容が減っている。
日常生活の、つまらん内容は、書く。
はやい話が、なんの問題も抱えていない。ストレスがない。
機嫌のいい赤ちゃんみたいなものだ。

わたしが、赤ん坊の頃は、お花畑に、ちょこんと座らせていたら、機嫌よく、にこにこと、おとなしくしていたらしい。
いつまでも、じっと、ずっと、お花畑にいたそうだ。
この幼少期のエピソードは、わたしは、じつは気に入っている。
いかにも、わたしらしい、と自分では思っている。
たんに、ハイハイできないので、こりゃ、しめたもの、と母親に、手抜きで置かれて、ほられて、放置されているだけか?

アクの強い、わたしの母は、田舎生まれの田舎育ち、田舎が大好きな、田舎モンである。
よく、近所の野山やら、道なき道の険しい遠い山々やらに、連れて行かれた。
ちょっと小高い原っぱなんかも、好きだったようだ。
そういう自然の風景、幼い記憶が蘇る。
近所の子供達と、小川で遊んだり、野山に遠征に行ったりした。
わたしが、いちばん、小さかったので、
年長の近所のお姉ちゃんの小指をしっかりつかんで、付いていったような記憶がある。
(これは、シッカリモノの後をちょろちょろ着いていく、今もそういう傾向がある)

田んぼや、川原、あぜ道、そういうところで、つくしを採ったり、田舎モン街道まっしぐらの、幼い日々を過ごした。
(「田舎モン街道まっしぐら」は、この場合、適切な表現ではないが、あえて、入れておく。
ああ、めんどうだ、こんな、説明)

家の畑や小さな池や鶏小屋、納屋、農具小屋、わたしの原点は、田舎の自然。
庭の草花で、おままごと用のご飯の「ふりかけ」を作ったり、押し花や染色をしたり。
家と地続きの畑から毎日、野菜を採って、祖母が、食事を用意してくれた。
野いちごや、いちじく、ぐみの実も、庭になっていた。
木や地面から、むしって、ぱくり、むしゃりと食べる。
産地直送、直食だ。
採る人と、運ぶ人、食べる人が同一人物で、しかも、同時。
流通、手間、時間、ゼロ。シンプル。

ま、田舎モンなんですね、わたし。

 

 

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