実にあっという間の進化である。
現代人の生活にとって、コンピュータは欠くことのできない存在になった。携帯からデスクトップPCまでCPUを持つ様々なデバイスがでているが、我々の生活と仕事に実に奥深く浸透している。こうやってブログを書きながらも、それを実感する。
私が初めてコンピュータを買ったのは確か80年代の半ばで、日立のPCだった。BASICというコンピュータ言語が使えて、ワードプロセッサ(ワードパーフェクト)は走ったが、それ以外はあまり役に立つ機能はなかった。ソフトがないばかりか、メモリーやディスク容量も今では考えも及ばないほど小さかった。
Macのラップトップを初めて手に入れたのは、90年代前半だったと思う。そのコンパクトさは画期的だった。ワープロができた。表計算ができた。スライドや論文の図が描けるようになった。それまで、ロットリングやシールでできたアルファベットや数字を使って作っていた図が、貧弱なソフトを使ってコンピュータでできるようになった。でも、まだまだ物足りなかった。何かが足りないといつも欲求不満のままだった。
インターネットが90年代から始まって、Eメールをどこへ行ってもできることが、必要になってきた。モデムをいくつも試した。旅行中は電話回線を使ってログインした。わたしは90年代前半から後半までMacの熱狂的なユーザーだった。しかし、PCの汎用性、そして廉価性についに負けて、PCに乗り換えた。Windows98の出たころだったと思う。インターネット接続や講演の際プロジェクターとの接続が最優先的課題だった。そのころ、明らかにPCがMacに勝っていた。安心感、安定感があった。
だが今私はMacユーザーにまた戻ろうとしている。今のMac製品は、わたしがコンピュータに望んでいた機能がほぼすべてある。初めてPCを買ったあのときから考えると、嘘のようである。あっという間の進化だった。
私の周りにApple製品が溢れてきた。そして、そのすばらしさに感嘆するばかりだ。すべては、Steve Jobs氏の先見性であり、彼の執拗なまでのこだわりだ。彼の目指したものに私は共感する。今、彼のLegacyだけが残っている。Appleがこれを受け継いでいってほしいと願うのは私だけではないはずだ。
現代人の生活にとって、コンピュータは欠くことのできない存在になった。携帯からデスクトップPCまでCPUを持つ様々なデバイスがでているが、我々の生活と仕事に実に奥深く浸透している。こうやってブログを書きながらも、それを実感する。
私が初めてコンピュータを買ったのは確か80年代の半ばで、日立のPCだった。BASICというコンピュータ言語が使えて、ワードプロセッサ(ワードパーフェクト)は走ったが、それ以外はあまり役に立つ機能はなかった。ソフトがないばかりか、メモリーやディスク容量も今では考えも及ばないほど小さかった。
Macのラップトップを初めて手に入れたのは、90年代前半だったと思う。そのコンパクトさは画期的だった。ワープロができた。表計算ができた。スライドや論文の図が描けるようになった。それまで、ロットリングやシールでできたアルファベットや数字を使って作っていた図が、貧弱なソフトを使ってコンピュータでできるようになった。でも、まだまだ物足りなかった。何かが足りないといつも欲求不満のままだった。
インターネットが90年代から始まって、Eメールをどこへ行ってもできることが、必要になってきた。モデムをいくつも試した。旅行中は電話回線を使ってログインした。わたしは90年代前半から後半までMacの熱狂的なユーザーだった。しかし、PCの汎用性、そして廉価性についに負けて、PCに乗り換えた。Windows98の出たころだったと思う。インターネット接続や講演の際プロジェクターとの接続が最優先的課題だった。そのころ、明らかにPCがMacに勝っていた。安心感、安定感があった。
だが今私はMacユーザーにまた戻ろうとしている。今のMac製品は、わたしがコンピュータに望んでいた機能がほぼすべてある。初めてPCを買ったあのときから考えると、嘘のようである。あっという間の進化だった。
私の周りにApple製品が溢れてきた。そして、そのすばらしさに感嘆するばかりだ。すべては、Steve Jobs氏の先見性であり、彼の執拗なまでのこだわりだ。彼の目指したものに私は共感する。今、彼のLegacyだけが残っている。Appleがこれを受け継いでいってほしいと願うのは私だけではないはずだ。










