痛い(州´゜◆゜)>イタタ ★☆★☆日記

私は思う。日々の疑問を共に考えてみよう。

パンは一つだから、大勢でも一つの体

2017-06-18 20:56:31 | 日記
今日の第二朗読ですね。


わたしたちが神を賛美する賛美の杯

は、キリストの血にあずかることでは

ないか。

わたしたちが裂くパンは、キリストの

体にあずかることではないか。

パンは一つだから、わたしたちは大勢

でも一つの体です。皆が一つのパンを

分けて食べるからです。

一コリント10・16、17


わたしたちは一つの同じパンをいただ

いていますね。このパンは同じ一つの

パンであり、わたしたちはそのパンを

分けあって食べているのですね。


だれのパンはどうこうと言うこともな

く、同じパンですから、同じ恵みを受

け、同じ救いを受け、同じ天国へと招

かれていますね。


それは、ごく一部の地域でのことでは

なく、この同じパンは国境を越えて、

この地球に住んでいるすべての人々に

与えられた生きたパンでもあるので

しょう。


このパンは食べたら、消えてなくなっ

てしまうものではなく、わたしたちの

うちに永遠に生き続ける永遠のいのち

の糧でもあるわけですね。


確かに、パンは食べるとなくなります

し、ぶどう酒も飲むとなくなります

ね。

けれど、わたしたちの血と肉になると

言えばよく分かるように思います。


わたしたちが今日いただいたパンは世

界中で食べられた同じパンであり、わ

たしたちが大勢でも、同じ一つのパン

を食することにより、一つの体に結ば

れているということでしょう。


わたしたちの理解を越えて、わたした

ちの霊魂はすでに神の霊の内に混ざり

合わされているようにも思うのです。


切ることのできない霊魂の交わり。

神の愛に招き入れられた幸い。


言葉では言い尽くし難い、至福の喜び

なのかもしれませんね。


パンを裂くこと、これがミサの始ま

り。今も行われている厳粛かつ愛の交

わり。


わたしたちはキリストにおいて、一つの体であるなら、もはやそこに分け隔てがありませんようにと、心から祈りを捧げるわたしでした。○🍷💟🌠✨
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