聖書の学び

 このブログでは、主・イエス様の教えを知りたい人の為に書いてます。

新川さんの神様からの召命

2012-03-22 21:54:26 | 偉人

最近、私は、仕事の関係で、朝早く起きる事が多くなった。
すると、まだ太陽の光はないなかで街頭の明かりが煌々と光、6時くらいには、幹線道路には、車の列ができていた。
ところで一年前の震災当時は、私の住んでいる町は一日くらい全ての電気が、消え去った。
乾電池は、売り切れコンビニには、食料がない状態で、贅沢してたんだなと考えさせられました。
さて、今日私はある教会で、出会った新川という人をとおして主イエス様から教えて頂いた事を書こうと思います。
彼の父親は、乱暴な方で、新川さんは、幼少の頃から、父親の事を父親として見れないどころかいつかはやっつけてやろと思っていたのだそうです。
そんな家庭環境で育った新川さん必然的に悪の道に入りました。あらゆる悪事をしていたようですが、主イエス様のめぐみでしょうか?
刑務所に入る事はなく、高校も偏差値が一番低い誰でも入れると言われている高校に何か入りました。
そんなどうしようもない人生を送っていた新川さん。ですが、主イエス様の導きで変えられます。
 彼は、カミナリ族当時の暴走族に、高校1年の時から入り、あらゆる悪事をして遊んでばかりいました。少年院に入りそうになったことも6度あったのだそうですが、高校卒業できました。

しかし、そのような人生を歩んできた新川さんを雇ってくれるような企業は、ありませんでした。
 しかしいとこの家が京都で宇治茶の問屋で、高校の頃からアルバイトでそこにいっていたのだそうで、そこで務める事になりました。
 彼は、そこでも店の金を毎日2000~3000円くすねてパチンコ、タバコ町では、女ばかり見るふしだらな生活を送っていました。あるとき隣りのコンニャク屋に、アルバイトの方が来られました。新川さんは、きれいな女の人がいいと思っていたらきたのは、おばさんでした。 

 当時新川さんは、おばさんは大嫌いだっそうで、早くやめるように嫌がらせをし、相手が話しかけても口をきかなかったのだそうですが、そのおばさんは、いつも愛いあふれ優しい人でした。
 ある時そのおばさんがコンニャクを誤って落とした時、正直にお店にお金を払い自分の財布の中から金を出す姿をみて、感心したのだそうです。 

 この時から主・イエス様の導きが新川さんにあったのかもしれません。 そんな中で、おばさんが、聖書と塩狩峠と言う実話の小説をもらう。 そしてこの主人公の 長野 信夫が結婚前にもかかわらず列車事故の時に自分の身を投げ出す姿に感銘をうけ、どのようにすれば、このように人の為に生きれるかをおばさんに聞くおばさんは、主・イエス様をしんじなさいといわれ、改心したのだそうです。 

その後彼は日本聖書神学校で学び台湾にいったのだそうです。
今から30年前の話で2年の手伝いの後に、台湾語を覚え、日本の帰国し、今度は宣教師の下で英語を学び、そんな中主・イエス様から、中国宣教の道を与えられて、日本で中国語を学びそして中国留学10ヶ月その時周りには早稲田、学習院、同志社などの大学出の人がいた中、彼は、ダニエル書を見て、ダニエルが学者よりも、すぐれた知恵を得られているのをみて、神にいのったのだそうです。 私に中国宣教のための知恵を与えてください。 
そして、彼は口述、筆記試験において、首席で卒業しました。 中学でしか、勉強せず、高校は、暴走族で遊んで暮らしていた彼が、首席で卒業したのです。 
 今でもかれは、北朝鮮、中国の人の為に活動をなされています。
  主・イエス様は、この新川さんを通しておっしゃりたいことは、信仰と希望と愛の中で信じる人には誰でも希望があるとおっしゃりたいのだとおもいます。
私達には、自由が与えられています。
善を行う自由もあれば、悪を行うこともあります。
 ボンヘッファーはナスチにより処刑されても義をとおした、偉大なキリスト教学者ですが、彼はこのようにいいます。
われわれは、個人的な希望や思想をわれわれに与えられる使命に従属せしめることが生活の意味であり、偉大さであると考えてきた。
 上に属するものに対して、恐怖ではなく、使命の中に職業を職業の中に召命を・・。
しかし、ドイツはナチスにより使命のために服従し恣意、あるがままの自分から理性により己れを解放してきたドイツ人、
その心を悪用され、ホンヘッファー自身も処刑されてしまうのですが、ボンヘッファーは、このようにいいます。
 自由ある責任とは責任ある行為がなす自由な信仰による冒険を求め、罪を犯す者となる人間に赦しと慰めとを約束したもう神に基づくものであるといいます。
 新川さんは、中国や北朝鮮で、大変な目にあってきたとおもいますが、彼は、その自由な責任において、信仰の冒険をもとめ、今も来るべき天国を見て歩んでいるのだおもいます。
聖書では、神独り子をお与えになった程に世を愛するといいます。ヨハネの福音書3:16
 また、私は復活であり命である私を信じる者は死んでも生きるのだともいいます。 ヨハネの福音書11:25主・イエス様の十字架を信じる人はすくわれ、永遠の命への冒険へといざなわれます。

 


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