離れて暮らす母の事を思うと胸が痛みます。
一緒に暮らせれば解決する?
そうでもありません。
いろんな事情が複雑に絡まっています。
人はみんながそんな思いを経験しているのです。
子供を産み育てていくなかで親のありがたみを知ります。
子育て中は大変で、まだ若く元気な親に助けてもらいながら生活しています。
子供が巣立ち、はっと❗見回すと……
老いた親の存在に気づくのです。
それが45歳くらいをまわってから。
50を過ぎると親は80前。
今の80歳は昔と比べたらとても元気な方がおおいのです。
しかし、老いは待ったなしです。
私自身も更年期などで体調が思わしくなく、なかなかしんどいわけです。
自分が若いときは親も若い。
自分が老いれば親はもっと老いている。
当たり前ですね。
ふと、母が私の年代の時はどうだったかと記憶をたどると……
母は自分の親の介護に私の叔父や叔母と一緒に和歌山と神戸、東京と行き来していました。
交代で和歌山に帰省していました。
そういう年代なんです。
しかし、和歌山には叔父夫婦がいてくれたから離れて暮らす母や叔父叔母は助かった部分もあります。
兄嫁に感謝していました。
私は親の事で誰にも相談はできません。兄弟姉妹がいません。
母が入院して緊急に手術をすることになり、するかしないかを私が決断しないといけないときに思い知らされたのです。
不安で不安で。
署名する時に手が震えて……
意識がない母
一人で決断
そこに兄がいたら……
姉がいたら……
せめて電話でもできたら……
いない……
こんな思いはもういやです。
お陰で母はこの一年入院せずにいてくれます。
月に何回も帰省したいけど……
なかなか思いはあってもできません。
今は私の娘が顔を出してくれます。息子も私の孫をつれて顔を出してくれます。
ありがたいです。
私も将来は子供に世話になるのでしょう。
なるべく健康で穏やかなお年寄りにならないと。
お若いかたに伝えたい。
いつまでもあると思うな親と金。
お金は働いたら得ることが出来ますが、親の代わりはありません。
私は私がいまできることをするのです。
介護する私が元気でなければダメですね🎵
一緒に暮らせれば解決する?
そうでもありません。
いろんな事情が複雑に絡まっています。
人はみんながそんな思いを経験しているのです。
子供を産み育てていくなかで親のありがたみを知ります。
子育て中は大変で、まだ若く元気な親に助けてもらいながら生活しています。
子供が巣立ち、はっと❗見回すと……
老いた親の存在に気づくのです。
それが45歳くらいをまわってから。
50を過ぎると親は80前。
今の80歳は昔と比べたらとても元気な方がおおいのです。
しかし、老いは待ったなしです。
私自身も更年期などで体調が思わしくなく、なかなかしんどいわけです。
自分が若いときは親も若い。
自分が老いれば親はもっと老いている。
当たり前ですね。
ふと、母が私の年代の時はどうだったかと記憶をたどると……
母は自分の親の介護に私の叔父や叔母と一緒に和歌山と神戸、東京と行き来していました。
交代で和歌山に帰省していました。
そういう年代なんです。
しかし、和歌山には叔父夫婦がいてくれたから離れて暮らす母や叔父叔母は助かった部分もあります。
兄嫁に感謝していました。
私は親の事で誰にも相談はできません。兄弟姉妹がいません。
母が入院して緊急に手術をすることになり、するかしないかを私が決断しないといけないときに思い知らされたのです。
不安で不安で。
署名する時に手が震えて……
意識がない母
一人で決断
そこに兄がいたら……
姉がいたら……
せめて電話でもできたら……
いない……
こんな思いはもういやです。
お陰で母はこの一年入院せずにいてくれます。
月に何回も帰省したいけど……
なかなか思いはあってもできません。
今は私の娘が顔を出してくれます。息子も私の孫をつれて顔を出してくれます。
ありがたいです。
私も将来は子供に世話になるのでしょう。
なるべく健康で穏やかなお年寄りにならないと。
お若いかたに伝えたい。
いつまでもあると思うな親と金。
お金は働いたら得ることが出来ますが、親の代わりはありません。
私は私がいまできることをするのです。
介護する私が元気でなければダメですね🎵