なんとなく

日常の思うところを綴っております

昔の思い出

2017-04-29 | 日記
ブログの更新をしないと、と気になっていたのですが、長い間ご無沙汰をしてしまいました。

丘陵地帯にある淡い緑をつけた木々が、日本人のあいまいさを表すかのようで、またこの季節がやってきたのだとしみじみとした気持ちになりました。
この緑は、亡くなった祖母が好きだった色だからです。
祖母との間で後悔することは、もっとその時代のことを、戦時中の話などを含めて直に聞いておけばよかったということです。

そんな後悔を塗り替えてくれるようなことが実現するとは、本当にありがたいことです。
北朝鮮のミサイル問題に関連して、避難場所についての話になり、戦時中の防空壕については今の意見よりも私の方が詳しいのだと、防空壕を掘った話になり、それが空襲時に間にあわず、完成した隣家は防空壕の中で皆亡くなってしまったのだという周知の話でも、改めて体験談として伺うと、有事の際の予想不可能な出来事を身近に感じさせられます。

国際政治学者の緒方貞子氏が学生時代に、当時で最初の政治学の講義をなさり、興味本位で聴講に行ったこと、美智子様が寮生活において皆のおやつの買出しに行ってくださったこと、渡辺和子氏は雙葉の頃から同窓だったこと、高木仙右衛門(浦上四番崩れの中心人物)と曾孫さんのこと(曾孫さんは私が一時期お世話になった方)杉原千畝氏のこと等々、興味の尽きない話を目前の人と一緒に追体験するように毎回聞かせていただいております。

多少記憶がおぼつかなく、この間も日本料理屋さんで食べている最中に、パスタを食べに行くって言わなかった?と言われ、ちゃんとメールで連絡していることですし、パスタ屋なんて一言もいっていないのにな、なんてこともあります。

まだ生まれたての父を背負って東京の空襲下を懸命に逃れ走るたくましい祖母の若かりし姿が一層鮮明になった気がいたしました。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

再び「沈黙」について

2017-04-05 | 日記
この間「ハッピーイースター」なるお菓子屋さんの看板をみました。
ついにクリスマス、ハロウィーンと並んで、最後の砦であるキリスト教の最大のお祭りのイースターまで金儲けの機会に利用されることになってしまいました。
日本人のたくましい商売根性を称えるべきなのでしょうか、復活祭はそもそもクリスマス商戦のようには日本の風土には馴染みにくいなどと深読みするのは誤っていたようです。

遠藤周作の小説「沈黙」の評価は肯定的なものと否定的なものとに分かれています。
時を経て、スコセッシ監督の映画上映を機として高い評価をキリスト教高位聖職者や神学者から得ることになったにしても、従来の否定的見解は尚存在していて、その中には考えさせられるものがありました。


従来のキリスト教では、踏み絵を踏まないでみごと殉教するような強い人間を称えがちでした。これに対して、「沈黙」の世界ではそれを踏んでもなお神の救いにあずかる道を描いています。
それは一歩誤れば、単に転びを肯定するのみならず、すすんで賛美することになりかねず、それでは「世の光」「地の塩」となるようなキリスト教の本質的使命の崩壊を生むのではないかというものです。

次になぜフェレイラは踏み絵を踏んだのでしょうか。
彼は「今こそ、神は語った」と叫んで踏み絵を踏み、ロドリゴは「踏むがいい」という神の言葉を聞いて踏んだのです。

この神の言葉という大義名分こそ、転びを義とする根拠となるのです。したがって、この作品の最も特異な点は神が沈黙したということではなくて、神が沈黙を破ったというところにあるのです。

操正しき者が苦しみ、節度なき者が栄える地上の現実に対して、人類は常に煩悶してきました。「神も仏もあるものか」等々の叫びに対し、天は答えず、神は黙するという痛みを古今東西を問わず、沢山の作品が取り扱ってきました。

この人間心理の弱点をついて、ご利益宗教が広まるのも珍しいことではありません。

フェレイラ・ロドリゴが、眼前に苦しむ民の姿を見て、「踏むがいい」という神の言葉なしに、いっさいの裁きを主のみ旨に委ねつつ踏み出したのならば、そこには人間に徹底した司祭の姿があったでしょう。
沈黙こそは神の最高のかたらいであり、その神の沈黙を聞き得る耳を地上にあたえるために、ロゴスは人となって地上に来たりたもうたのです。

この作品の残念な点は、神が「沈黙」を破った点にあるのです。

他にも、
ナザレのイエスが、十字架の上で壮絶な最後を遂げようとした時、天の父なる神が「沈黙」を破って、「そんなに苦しまなくてもよい、奇跡の力を使って十字架から降りなさい」と言ったとは、聖書のどこにも書いてありません。
キリストの場合でさえも、拷問にまさる究極の苦しみ、つまり、神にも見捨てられたという絶望の彼方にしか、復活の栄光は輝き出なかったとすれば、信者の殉教を見た神父の懊悩に、神が沈黙で応えるのは当たり前ではありませんか。

神が人間の弱さに同情して、暗黙裡に「踏み絵を踏みなさい、転んでもいいよ」と言っているのだという解釈は、結局、そうでない神は受け入れられない、と言っているのと同じではないでしょうか。

スコセッシ版のハリウッド映画に見る遠藤の世界には、聖書の神、ナザレのイエスの天の父なる神はいませんでした。いるのは日本の神々の神、森羅万象に秘められた力に「人間が勝手に名を貼り付けた神」であって、森羅万象を無から創造した「生ける神」、モーゼに「私は在りて、在る者なり」と「自分の側から名乗りを上げた神」はいませんでした。

このような説得力のある魅力的な批判論に対して、私なりに反論を試みるのは気が引けると同時に、それ以上に大変光栄なことであります。なぜならこのような批判がなければ私自身深い考えに及び至らなかったと思われるからです。

フェレイラ・ロドリゴの踏み絵は正当視できるでしょうか。
フェレイラ・ロドリゴに神は沈黙を破って語りたもうたのでしょうか。

まず踏み絵を踏むことはイコール棄教なのかという問題があります。

幕府の査察はキリスト教信者かどうかを確かめるためキリストや聖母子像を彫った踏み絵を利用したのです。それは踏んだらキリスト教信者ではないか、或いは信者であったとしても棄教したものとするといった極めて表面的外観的手段です。
踏み絵を踏むことはただ幕府の権威にのみすがる査察を免れるためだけのもので、表面的には棄教のように見えても実際は聖母子像に足を置いただけで、棄教したわけではないのです。

踏み絵を踏むことを拒んで殉教する信者のいわゆる「赤い殉教」の他方では、踏み絵を踏んで転びの苦汁を味わいつつも、生き続けることで日常のことをしながら、信仰のために、さまざまな形で、あらゆる機会を利用してキリストを他者に証しする「白い殉教」があるのです。
この2つの殉教の表現は、2つの信仰の証のあり方を表しています。どちらが優れていて、どちらが劣っているということはないのです。

フェレイラ・ロドリゴは白い殉教を選んだと捉えることができます。


では神は沈黙を破ったのでしょうか。

その前に、遠藤周作は他の書籍の中で厳格で怒り、裁きの神である旧約時代の父なる神よりも、慈悲深く憐み深い新約時代の母なる神を好んでいると述べています。

神はほとんどの場面において沈黙するものですが、しかし例外的に語ることがあるとしてはいけないでしょうか。

神はマザー・テレサがダージリンに向かう汽車に乗っていた際に「全てを捨て、最も貧しい人の間で働くように」と語られました。

この神の沈黙破りを残念に思う信者は少ないでしょう。
むしろマザー・テレサになら神は語っても不思議ではないという暗黙の了解があるくらいなのです。

ですので、神は原則沈黙しますが、人によっては語られることがある、としたいのです。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

最近読んだ本について

2017-03-16 | 日記
三寒四温とはよく言ったものです。
こういった日々の休みの日は炬燵の中で猫のようにまるくなっているか、動画もそろそろ飽きてきた頃だし、本でも読むかとなったりしております。

先日はじめて須賀敦子さんの本を読みました。
おススメされなければ自ら手をのばすことはなかったと思われるこの本は、勧めてくださった方に時代も境遇もよく似ておられました。

小さな文庫本でしたからすぐに読了できるだろうと安易な気持ちで読み始めたものの物事の捉え方も文の書き方もこれまで読んできた本とまるで違っていました。
なんとなく説得されてしまうような論理的な文章ではなくて、ひたすら具体的な事象を取り上げながら直接的な感情表現はほとんどなく、この事象の取り上げ方の中で私の心を読み取ってくださいねといった趣には時間を取られました。

随分長い期間関わりをもってきた方ではありましたが、私はこの人のことを何にも知らなかったんだなと思い知らされました。
遅すぎはしましたが、手遅れにならなくてよかったと、ひとまず安堵すると同時に残された与えられた時間をその方のために使いたいと思わずにはいられないような気持になりました。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

聖トーマス

2017-02-14 | 日記
今日はバレンタインデーです。
ですので聖ヴァレンタインについて書くべきなんでしょうが、聖トーマスについて書くことにしました。

聖トーマス・アクィナスは、1226年アキーノの町の北方にあるロッカセッカ城に生まれました。アキーノ伯爵家の出身であった彼は、5歳から11歳の間ベネディクト会に属するモンテ・カッシーノ修道院に入り、その後ナポリのドミニコ会に入り修業をしました。

1244年から45年頃、彼はドイツケルンに赴き、ドミニコ会碩学聖アルベルツス・マグヌス(1193-1280)を師として神学とアリストテレス哲学を学びました。
次いで、彼は1251-2年頃パリに転じ、経典の研究と講義に従事しました。
フランチェスコ会の重鎮聖ボナヴェンツーラ(1221-1274)と彼との交友もこの時に始まったと言われています。

1260年頃パリを去り、ローマを始めとして、ボロニアその他各都市を遍歴し、1271年には再びパリに赴き教壇に立ちました。
1272年ドミニコ会会長の命によりナポリ大学において講義担任のために帰国し、パリ大学の懇望にもかかわらず復帰をしませんでした。
それは彼の生涯の大著である神学大全を完成するためだったのです。

1274年聖トーマスは教皇グレゴリウス10世の命によりボナヴェンツーラと共にリオン宗教会議に出席の途上、ローマに近い修道院において病を得、同年3月7日に世を去りました。


聖トーマスは異教の哲学者アリストテレスとキリスト教の思想家聖アウグスチヌスの認識論とを結合しました。

聖トーマスの根本観念は、アリストテレスと同じく人間がその本性において社会を形成する性質をもつことの認識にあります。
人間は団体的、特に国家的生活を営むために創造された生物であり、他の総ての生物に優って社会的であることは人間の自然の生命と認められるところとなります。

社会生活上団体と個人とが均衡調和を失わず、ギリシア思想と異なり、個人の人格に従って人権を承認することにより極端な国家主義に陥らず、また国家の存在その権威を認めることによって、極端な個人主義にも堕しないとしたのです。

団体の目的は私的福祉と区別された共同の福祉であり、その目的は各種の国体の性質、特に歴史的事実に従って差異がありますが、人間の社会性により、個人の侵害に対して自然法的に保障されているのです。

国家は個人のようにそれ自体目的をもつものではなく、個人の終局目的の達成を進捗することを使命とするのです。
従って個人の終局目的が徳に従って生活することですから、国家の目的と同一となります。
しかし、国家は単に人間が徳に適うように生活することの条件を確保するという第二義的の目的をもつのに過ぎず、第一義的の目的は教会の任務に属するのです。

聖トーマスの社会、国家観はアリストテレスに出発しますが、個人の人格主義の上に立ち、個人と団体との調和、社会連帯の原理を認める点において、またそれが宗教的特徴を持つ点において、その上に出るのです。

聖トーマスの法・社会、国家理論は、爾後のスコラ的自然法思想の基礎となったのです。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

新年

2017-01-06 | 日記
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。

新年を迎えて今年の抱負を心に強く持ちたいところです。
たとえそれがどのようなものであっても、自身を奮い立たせる指針たりえればよしということで、ここで公にすることは控えることにします。

初詣でおみくじをひいて今年1年を占うという方もいらっしゃることでしょう。
最後におみくじをひいたのはいつの日だったか思い出すことができないほど、おみくじとは縁遠くなっています。
占うことを楽しむのなら、その結果がどうであれ影響はほとんどないものですが、結構重要な問題においても占いに頼る方々がいらっしゃることから、様々な占いが勢力を振るっていることも事実です。

私は、つまるところ占いとは、受信者にとって都合の良い未来像や行動指針を占い師を介して提示させているにすぎないと思うのです。
主体が受信者であればよいのですが、占い師となっては危いのでご注意を。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加