常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

杜甫の春

2017年02月22日 | 漢詩


24節気の雨水が過ぎても、春は停滞している。昨日は凍てつく寒気、そして今日は日差しがある。こんなとき、春を先取りして杜甫の春の詩を読むのも心楽しい。昭和の財界で指導的位置にあった鈴木治雄の『古典に学ぶ』に、杜甫の詩の読み方が書かれている。それによると、碩学である吉川幸次郎の『新唐詩選』を未読するべきとある。その『新唐詩選』の冒頭に掲げられているのは、杜甫の「絶句」である。昔の高校の教科書にも載っていた詩である。

江碧鳥逾白 江碧にして鳥逾よ白く

山青花欲然 山青くして花然えんと欲す

今春看又過 今の春も看のあたりに又過ぐ

何日是帰年 何の日か是れ帰る年ぞ

絶句は一句五言で、20文字の短い詩である。吉川の解説によれば、江とは揚子江の本流または支流で、西南中国の大河はみな江と呼ばれている。碧は碧玉の深緑の水面。日本の川の水面のはばを想像すべきでない。なぜなら中国は大国で川の幅も広く、瀬戸内海の海峡のような広さと考えるとよい、と説いている。そして、その水面の上を飛ぶ真白な鳥。その色の対比によって、くっきりと白さが強調される。この白い鳥は、見る旅人の悲しみ誘う白さを誘う色、と想像をふくらませる。

承句では、江ののぞむ背景の山々を描写している。青は壁の鎮静は青さであるのに対して、青は発散的な勢いのある青としている。吉川は壁が中国言語で短くひきしまった音であるのに対して青が跳ね上がる音であることに注目している。わきあがるような新緑の山々、加えてその景色をめざましくするのは、火のような赤さで、あちこちで開く花たちである。

転句では、季節や時間の移りへと視点が変わる。この春もたちまち、次の季節へと移っていくであろう。吉川さらに説く。この推移は、自然ばかりではなく、それを看過ている己もまた推移する。そして老いていく。この推移を押しとどめようとする意欲が、風景の熟視となってあらわれる。かくて結句では、詩人は、おのれの悲しみを述べる。来る春も、来る春も、おのれの生命は旅人として推移する。帰る日は近づくのではなく、むしろ遠ざかっているような気さえする。

杜甫の危惧は現実のものとなり、帰京を果たせぬまま湖南省の舟のなかでなくなる。たった20字の詩のなかに、自然のうつくしさ、それを見る旅人の悲しみを、あますところなく表現し尽す。

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