晴耕雨読

耕すのは土だけではない。
心のなかこそ酸素を補給し、ゆたかな栄養で満たさなければならない。

弘法清水

2017年03月12日 | 日記


山登りをしていると、弘法清水と呼ばれる水場に出会うことが多い。旅人が山道で水もなく、疲れと喉の渇きで困っていると、通りがかった旅の僧が錫杖で地面を衝くと、こんこんと清水が湧き出した。驚いた旅人が尋ねると、この僧は弘法大師つまり空海上人である。私は磐梯山と吾妻山か、あと2、3ヶ所の弘法清水でありがたい水をごちそうになった記憶がある。世の中には、物事を調べることに手間暇を惜しまない人がいるもので、日本全国の弘法太子が、水を出したところがいくつあるか調べて、ネットに出している。それによると、1800軒を越えているから、あるひとつの伝説に基づいて、それが全国に広がって行ったように思われる。

民俗学の柳田国雄の『伝説』に、弘法井戸についての言及がある。それによると、見慣れぬ旅の僧が、村に入ってきて水を所望する。相手はいづれも機を織っている女で、甲の村では、機織りの手を止められないからと、すげなく拒絶する。乙の村では、洗い物をしていた汚れた水をさし出す。丙の村では、女がわざわざ機を下りて、遠くの井戸まで行って水を汲んできてくれた。聞けば、近くの井戸は汚れているので、遠いけれどもきれいな井戸の水を汲んできたという。これを聞いた僧は、それは気の毒と、持っていた杖を土に突き立てると、こんこんときれいな清水が湧きだし、その後ずっと湧き続けたという。この僧が空海上人であると知って、村中の人がその井戸に集まって水を汲み、記念の石の太子像を祀っている。

水を拒んだ甲の村では、この丙の村の噂を聞いて、その報いでこの村の水は悪いのだと、自らの非を認めているという。大根川の伝説というのもある。これは川で大根を洗っている女の話で、やはり旅の僧が洗った大根を所望したところ、その女は無慈悲でその願いを拒絶してしまった。それがたたりになって、大根を洗う季節になると、川の水が干上がって洗えなくなるいう伝説である。伝説はこれを聞いて、人間が善根を施すことを奨めたものであろう。

きのう、芸工大の裏の道でマンサクが満開になっていた。階段道に沿って花をつけているので写真が撮りやすい。この花が終わると、地面に水仙の花が追いかけるようにして咲く。アサツキの新芽ももうすぐ伸びてくる。
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