ミケネコ・ツアーズ旅行記

私たち夫婦の旅行記を紹介します。国内も海外もほとんどがフリーです。一緒に旅を重ねるたびに夫婦や家族の絆が深まりますよ♪

すべての旅の出発点

2019年02月14日 02時45分00秒 | 目次
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※まだまだ工事中です。
少しずつ文章を書いたり写真を貼り込んだりしていきます。
不定期ですが、徐々にアップしていきますので、よろしくお付き合い下さいませ♪


【海外編】
1990年7月15日〜27日 ヨーロッパ横断旅行(パリ〜ベルン〜インターラーケン〜ウイーン〜インスタンブール)
1991年7月 北米旅行(コロラド〜ロスアンゼルス〜サンフランシスコ〜ニューヨーク)
1994年4月28日〜5月1日 香港旅行
1995年9月2日〜10日 マレー半島縦断旅行(クアラルンプール〜バンコク)
1995年11月10日〜13日 台湾旅行
1996年10月29日〜1997年10月31日 イギリス滞在(バース)
1998年8月6日〜11日 香港旅行
1999年4月29日〜5月4日 香港旅行
2000年8月25日〜28日 韓国旅行(ソウル)
2001年8月13日〜17日 韓国旅行(ソウル、扶余)
2004年8月7日〜13日 イギリス旅行(ロンドン、バース)
2007年2月10日〜16日 ベトナム・カンボジア旅行

【国内編】
2002年4月19日〜21日 沖縄旅行
2004年4月29日〜5月3日 吉野・熊野旅行
2005年8月17日〜20日 投入堂・境港旅行
2005年9月17日 名古屋万博日帰り旅行
2006年5月1日〜2日 大阪食い倒れ旅行
2007年7月21日〜22日 京都旅行

☆登場人物☆
:寛容で動じない妻
:おこりっぽいけど優しい夫

これから少しずつアップロードしていきますので、気長にお付き合い下さい

京都旅行

2007年07月21日 00時00分00秒 | 旅行

■京都旅行

<テーマ>

・当病平癒

<旅 程>

2007年7月21日(土)〜22日(日) 

新幹線で京都駅へ向かう。

21日の昼食は、地下鉄「烏丸御池」近くにある、『自然派レストラン おばんざい』

カフェテリア、バイキング形式というとおしゃれな感じですが、近所の定食屋さんといったイメージの方が近い。

玄米や和食総菜、それに珍しいのはグルテンカツ

 

夕食は、木屋町にある『とうふ料理 豆水楼』

鴨川にせり出した川床(かわゆか)を楽しみながら豆腐料理を満喫しました。

 

日中は、八坂神社へ

7月は祇園祭の月、この期間は、厄除けの粽(ちまき)や蘇民将来護符が授与されます

こちらは、粽。祇園祭の山鉾巡行の際には、それぞれの鉾から授与されるバージョンもあるようです。

 

こちらが、蘇民将来護符

八角形のそれぞれの面に、「蘇」「民」「将」「来」「之」「子」「孫」「也」と書かれています。

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昔、牛頭天王(ごずてんのう)が旅をしている時、裕福だった巨旦将来(こたんしょうらい)の家に宿を求めたところ、断られた。

困っていたところ、その兄で貧困だった蘇民将来(そみんしょうらい)が粗末な家ながら牛頭天王を泊めた。

牛頭天王は、蘇民将来にたいへん感謝するとともに、旅の帰りに巨旦将来の家に災厄をもたらすと言った。

ところが、蘇民の娘が巨旦の家に嫁いでいたので、娘だけは救ってほしいと頼んだところ、目印に腰に茅の輪を巻いておけ、と言われた。

宣言通り、牛頭天王は旅からの帰路で、巨旦家を滅ぼし、約束通り、蘇民の娘は災厄から免れた。

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この言い伝えから、門戸に「蘇民将来之子孫也」(=我が家は蘇民将来の子孫です)と書いた護符や札を貼ることで、災厄を免れるという風習に繋がりました。

また、茅の輪くぐりは腰に茅の輪を巻くかわりに、自分の方がくぐってしまう、という大胆な発想の転換があったようです。

 

もともと祇園祭は、夏に流行しやすい食中毒やコレラを退治するためのお祭りなので、初夏に執り行われます。

なので、八坂神社の茅の輪(ちのわ)くぐりは、夏越の祓(なごしのはらえ)として初夏に登場しますが、他の神社などでは年越しの大祓として、年末年始にも活用されているようですね。 

 

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新宮→伊勢→東京

2004年05月03日 00時00分00秒 | 旅行
いよいよ東京に帰る日だ。
出発前に、新宮市内にある浮き島の森を訪れてみた。
別名「底なし沼」
沼の上に森が浮かんでいるらしい。
ガイドツアーがあって、いろいろ説明してくれる。


海岸線を北上していき、熊野市に入ったところに「花の窟(いわや)神社」


ここは、やっぱり「水」と「木」と「岩」の世界だ
新宮市の「神倉神社」と熊野市の「花の窟神社」はペアで、それぞれ「陽」と「陰」だとする解釈もある


北上する途上、こいのぼりの季節だ


伊勢に到着
お伊勢さんにお参りするために五十鈴川を渡る。
昔は、ここで履物を脱いで、川に足を浸して渡ったのだそうだ(水ごり)


吉野・熊野に比べると、伊勢神宮は圧倒的に参拝者が多い。
三種の神器のうち、「鏡」がここに安置されている。
ちなみに「草薙剣」は熱田神宮、「勾玉」は御所に。


参道で伊勢うどんを食べた。
汁が濃い色をしていたので、どんなにしょっぱいかと心配したが、全くそんなことはなく、とてもおいしかった。
実は、勝浦でサザエのつぼ焼きを食べられずは不満だったのだが、ようやくここで食べることができた


うどん屋の明るいおばちゃんと意気投合したので記念写真


夕方、伊勢を出発

夜中に無事、帰宅しました。

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新宮タウンウォーク

2004年05月02日 12時00分00秒 | 旅行
新宮市内の北側にある神倉神社


石の階段を上っていくと頂上に「ごとびき岩」
熊野三所の神様は、はじめこの岩に降り立ったらしい
このことから、速玉大社が新宮と呼ばれるのに対して、神倉神社は元宮として位置づけられている


こちらが新宮、速玉大社




梛(なぎ)の大樹
吉野のご神木が「桜」であることに対して、熊野のご神木は「梛」
熊野を詣でた際には、熊野牛王法印と梛の葉をいただくことになっている。
※平清盛は熊野詣で中に源義朝が挙兵したため、袖に梛の葉をつけて都に引き返し、平治の乱を制したらしい


新宮の街で。
「鬼門様です。みかんの皮や空缶など投げ捨てないで下さい。」
敷地の東北の角は建屋を斜めに切って、空地にして鬼門除けとする(=鬼は角から入ってくるので、角をなくしてしまうという考え)
ところが、その空地にゴミを捨てられるらしい。
「みかんの皮」というのはこの地ながらのユーモアなのだろうか。
それとも、ゴミを投げ捨てるような輩が、バッグからみかんを取り出してモグモグ食べながら歩いてるのだろうか?


「徐福公園」


徐福は、秦の始皇帝の命を受けて、「不老不死の薬」を探しに日本にやって来た。
はじめ、不老不死の薬を探す旅に出た時、なかなか見つからなくて、一旦、出戻り、もっと金と人がたくさん必要だと訴えて、再出発、そのまま日本に住み着いてしまったというなかなかの大物である。
徐福伝説は新宮に限らず日本中に多い(西日本を中心として10数ヶ所以上ある)。


この「天台烏薬」というのが不老不死の薬らしい


つづく
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那智古道ウォーク

2004年05月02日 00時00分00秒 | 旅行
まずは、午前中にクルマで勝浦に向かった。
大門坂前駐車場に停められれば、苔むした石畳と杉木立の中を歩けたのだが、あいにく満車だったため、ショートカットして那智大社にほど近い駐車場に停めることになった。
とはいえ、ちゃんと石畳と杉木立はある。


遠くに見える那智の瀧
この日は雨上がりのためか、山の木々から水蒸気が立ちのぼっていたので、これがまるで木が呼吸をしているように見えた。


お決まりの撮影ポイント(つづら折れの坂道の途中)


「那智大社」


サッカー日本代表のシンボルマークとして一躍有名になった八咫烏
「金烏玉兎(きんうぎょくと)」と言われるように、烏は太陽、兎は月を表している。
「生」のイメージが強い熊野は、月よりも太陽か。

八咫烏は、神武東征の際の道案内役としても名を馳せた。
熊野が、神武を援助し東征を成功させたということの婉曲表現か。
※ちなみに、熊野水軍は、源平合戦でも源氏方に加勢して勝利に導いている。これは、いまの田辺市にある闘鶏神社で紅白の鶏を闘わせて、勝った方に加勢するということで源氏に協力した。ということであるが、義経の懐刀である弁慶は熊野別当の子であるのだから、源氏に味方することは決まっていたのではないんだろうか。
※※ついでに言えば、弁慶が安宅の関で山伏問答を見事にこなすことができたのは、彼が本物の山伏(熊野修験)だったからであって、それほど驚くことでもないようである。


吉野も熊野もそうであるが、神仏習合状態が色濃く残っている。
ここは、同じ敷地内にある「青岸渡寺」、西国観音霊場の一番札所である。


「飛瀧神社」
那智大瀧が、ご神体


滝見寺は、中国式寺院


関帝廟や徐福廟などを擁する


ここはあまり人気(ひとけ)がないが、那智の瀧を正面に見ることができる


クルマで移動して「補陀洛山寺(ふだらくさんじ)」へ
「ふだらく」とはサンスクリット語で「ポタラク」で観音様のことである。


この海岸から補陀洛船に乗って、南方にある観音浄土に向かったお坊さんたちがいた(詳しくは書きませんが)。
ちなみに、東方には薬師如来の浄瑠璃世界、西方には阿弥陀如来の極楽浄土がある。

一旦、ホテルに戻って、昼からは徒歩で新宮市内を巡りました。

つづく
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