今、読んでいる本
若い時、いわゆる「純文学」(あまり好きな言い方ではないが)というか、小説を乱読していた。30代40代はそれどころではなく、過ごしてしまった。
最近になって、時間が少しだけ出来るようになって、また再開している。あの時代に購入して、埃にまみれているのを取り出している。読み終わると「資源ゴミステーション」にほかの生活雑貨品とともに捨てている。身辺整理がゆるやかに進んでいる感じで、これも
いまの愚生には丁度良い生活リズムかもしれない。
この前まで、舟橋聖一で、今は、志賀直哉を読んでいる。
これらのの日本文学になぜ若い時にあれほど心ひかれたのだろう。少し不思議な気もしている。日本語に翻訳された海外の文学(たとえば、ジャン・クリストフ、車輪の下、どん底、、、)も読んだものだ。
今の高校生や大学生はほとんどこうしたものは、読まないのだろうか。
新聞に夏目漱石や林芙美子、最近では石川啄木の作品が掲載されている。忙しい現代の生徒、学生にこれらの読書を勧めるのは、おじさん愚生の懐古趣味ばかりではないと思うのだが、、。
こうした、ゆるやかな身辺整理かねた読書をしながら、考えたことがある。この点についてはまたの機会にお話しします。
若い時、いわゆる「純文学」(あまり好きな言い方ではないが)というか、小説を乱読していた。30代40代はそれどころではなく、過ごしてしまった。
最近になって、時間が少しだけ出来るようになって、また再開している。あの時代に購入して、埃にまみれているのを取り出している。読み終わると「資源ゴミステーション」にほかの生活雑貨品とともに捨てている。身辺整理がゆるやかに進んでいる感じで、これも
いまの愚生には丁度良い生活リズムかもしれない。
この前まで、舟橋聖一で、今は、志賀直哉を読んでいる。
これらのの日本文学になぜ若い時にあれほど心ひかれたのだろう。少し不思議な気もしている。日本語に翻訳された海外の文学(たとえば、ジャン・クリストフ、車輪の下、どん底、、、)も読んだものだ。
今の高校生や大学生はほとんどこうしたものは、読まないのだろうか。
新聞に夏目漱石や林芙美子、最近では石川啄木の作品が掲載されている。忙しい現代の生徒、学生にこれらの読書を勧めるのは、おじさん愚生の懐古趣味ばかりではないと思うのだが、、。
こうした、ゆるやかな身辺整理かねた読書をしながら、考えたことがある。この点についてはまたの機会にお話しします。