点ノ記

日々あったことを若干適当に書いています。

「クレヨンしんちゃん ガチンコ!逆襲のロボとーちゃん 」の感想

2017年05月03日 20時32分14秒 | 日記

大型連休で一泊しながら八戸の「こどもの国」に遊びに行ってきたんだけれども、道中2時間は移動があって4歳の娘が暇で退屈になってしまうので車内でDVDでクレヨンしんちゃんの映画を流した。今まで長編をまともに見たことがなくて、たまたま選んだ作品だったが、運転しながらの流し見だったにも関わらず何度も心をエグられてしまった。

しんちゃんの父、ひろしがある日いきなりロボットになった、ということで序盤から中盤にかけて話は進んで行ったのだが、中盤あたりで「実は生身のひろしは別に生きて捉われていて、ロボットの方はひろしの記憶をコピーして植え付けられていた量産型のロボットだった」と判明する。この時点で「え、最後どうすんのこれ」と思った。

ロボットひろしは自分のことを、機械に改造されただけで正真正銘、本物のひろしだと思っている。機械に改造される昨日まで普通に人生を生きてきたし、みさえもしんのすけも自分の家族だと。だが中盤で「生身のひろし」が現れて、そいつも自分こそが本物のひろしだと言っていると。そんなものは認められない生身のほうが偽物だと主張する。

せっかく機械の力を使って、必死で敵と戦い家族を守っても、みさえは自分よりも生身のひろしのほうへ駆け寄っていく。あのシーンのなんとも言えなさよ。みさえも決して、ロボひろしをないがしろにしているわけではなく相当な葛藤があるのが見ていてわかるが、結果生身ひろしを優先してしまう。しんのすけもロボひろしを父ちゃんと扱うけれども、やはり最終的には生身ひろしが本物だとするしかない。

最後、いろいろあって壊れ、再起不能になることが確定した時、生身のひろしと腕相撲するシーンは凄い。あそこで生身ひろしに負けたのは機械が限界だったからなのか、自分の存在をついに諦め生身ひろしに託したからなのか。多分どっちもあったんだろうけど、「しんのすけ、大きくなれよ」のセリフがあまりに可哀想で堪らなかった。

ロボットのニセひろしが最後壊れて終わった話、じゃないんだよな。ロボットのほうも生身のほうも、どっちも本物のひろしなんだよな。嫁と子どもを残して父たる自分が「死亡する」という、超絶悲しい話だと思う。しんのすけの成長を見たかっただろうな・・・とか考えるとあまりに切ない。

ロボット状態とは言え、最終的に自分を偽物と認めて本物のひろしに家族の今後を託すという、そこまでの心の整理をしたひろしはすげーと思う。父親の鏡だ。35歳というと今年の自分とタメだけどあんなに綺麗に、全く報いがない自分の死を認められる自信がない。

娘はこの映画をどう捉えたかわからんが後で「お父さんがロボになったらどうする?」と聞いたら「超ヤダ」と言っていた。やはり子ども的にはロボひろしの心理はいまいちわからないか。ていうか、これって本当に子供向けなのか?クレヨンしんちゃんの映画って、どれもこんな涙腺崩壊してしまう話ばっかりなのか?

                                      ~完~
ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
« 春祭りで飛ぶようにお金が消える | トップ | H29年度GWを振り返って »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
  • 30日以上前の記事に対するトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • 送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • このブログへのリンクがない記事からのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。