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金で幸福が買えると

2012-04-22 15:27:45 | Weblog

 金で幸福が買えると思っている時点で浅はかなのだよなと思う。

 みんな、“必要経費”というのだよね。生活保護を受けている高齢者の人で、『高齢者加算が廃止されたら、葬式に出席出来なくなる』と言って、裁判所に訴えていた人がいたが。別に、葬式の香典なんて、近所の人なら、一回3千円とか多くても5千円とかでしょう。生活保護費から出そうと思えば出せるはず。葬式なんて毎月あるようなものではないのだからして。生活保護費から貯金することは禁止されていない。貯金通帳に入れる事に対してはある程度の制約はあったとしても。少なくとも箪笥貯金については何の制約もない。葬式参加費なんて、毎月の生活保護費から捻出することは難しくはないはずである。この人は一体何を言っているのだろうかと思う。もっと、生活が苦しくても、葬式参加費用を出している高齢者の人はいっぱいいるはずなのに。

 

 スペック婚と言うね。要するに、女性にありがちな、相手の収入だけを見て結婚活動をする人の事だけれども。相手の人柄は見ていない。そして、すぐ離婚するのだろうけれども。

 

 『貧しくても幸福な家庭は築ける』と言う。でも、幸福を感じられるようにするには、安い値段で手に入る幸福に対して幸福を感じられるような人間でないといけないと思う。咲く桜に幸福を感じられる人間は幸福である。1万円のフランス料理に『やっぱり安物は、ダメだ』と言って、ケチをつけざるを得ない人は不幸である。安物に対して幸福を感じられない人間から、お金が無くなれば、皆去っていくであろう。でも、安物に対して幸福を感じられる人間から金が無くなっても、人は去っていかない。金でしか買えない幸福にしか幸福を感じられない人は不幸だと思う。例え表面的に社会的に成功しているかのように見えたとしても。

 

 手取りで月16万もらっている人で、親元に暮らしておきながら、『消費税が10%になったら、自分らしさがなくなってしまう』と言っている人がいる。「金のかかる自分らしさだな」と思う。ヴィトンのバッグを買う事を、自分らしさと定義しているのであれば、本当に浅はかな自分らしさだと思う。結局、金があるから、その人について来る人がいるだけ。金がなくなれば、その人について来る人はいなくなる。そんなものが本当の自分らしさである訳がないではないか。本当にくだらない話だと思う。

 

 「100円マックで幸福になれる人は幸いである。彼らには神の祝福があるであろう」と思う。本当の幸福というのはそういうものではないか。皆がうらやましがる事、例えば世界一周旅行とか、そういう事に対してしか幸福を感じられないのは本当に幸福な人であるとは言えないと思う。金でしか買えない幸福にしか幸福を感じられない人は、幸福な人とは言えないと思う。

 

 『生活保護費は高すぎる』と文句を言っている人達の意見は正しいと思う。批判している人達は、生活保護額以下の収入で、幸せになれる自信があるようである。それが本当の幸福なのではないかと思う。『生活保護費でも高すぎる』と言っている人達に本当の幸福がやってくるであろう。社会的に認められた大金持ちではなくて。

 

 なんで、安い幸福で幸福を得られる人達の事を称賛する人がいないのであろうか。今の社会は“もっともっと”思考なのだよね。『もっと多くの富があれば、もっと多くのお金があれば、もっと多くの何々があれば』と。でも、本当の豊かさとは、今のままの状態を「豊かである」と感じられる豊かさだと思う。

 ブータンの国王が、『国民総幸福』と言っているようだけれども。私が感じる所によれば、ブータン人の幸福は、人間関係の助け合いの部分から来ているものだと思う。あんなに豊かな国民は他にないと思う。イスラム教の国では考えられない。他の家庭の男女が同じ家の下で寝るなんてことは。人間関係の豊かさがあれば、社会的に認められた富なんていらないと思う。人間関係の豊かさがないから、我々は社会的に認められた豊かさを欲しがるのではないか。本当は分け合えば共に豊かになれるのに。大抵の国、いやほとんどすべての国の人々はそれが出来ないでいる。イスラム教の国の人々がお互いに分け合う事が出来ていない事実は、金持ちと貧乏人との貧富の格差を見れば分かる。自分の持っている富を誇るのは、本当の幸福を実現した人間の行為ではないと思う。自分の持っている富の豊かさを誇らざるを得ないのは、豊かさの証拠ではなく、貧困の証拠だと思う。

 

 生きてゆくのに、そんなに多くの富が必要な訳ではない。

 客観的富を誇っている人達は勘違いをしている。彼らは、「生きていくのに、そんなに多くの富は必要ではない」という事を知らない。だから、富をつかんだまま、他人にその富を渡そうとしない。それがイスラム国家の貧困を作っているのであるが。でも、イスラム国家に限らず、そういう事は他の先進国でもある。インドで、ある有名な霊能者が、死んだ後、莫大な資産がある事が分かったという報道を聞いたが。本当に馬鹿な事だと思う。お金を稼ぐのは悪ではないと思うが。使わなければ無価値である。子どもに莫大な財産を残しても意味がない。寄付するなら、生きているうちにしないと。

 富があれば、社会的成功だと思っている人が大勢いる。でも、本当の豊かさとは、100円マックで幸福を感じられる人の事であり、何気ない日常に幸福を感じられる人の事ではないか。私はそのインドの有名な霊能者の人を間違った人であると感じる。

 

 孫を可愛がっている人と。孫をいじめようという人がいる。孫がかわいくて仕方ない人と。孫をいじめてやろうと虎視眈々と狙っている人がいる。さて、どちらの人と友達になりたいか。

 金さえあれば、幸福になれると信じている人達がいます。そして、『私にはそれがないから不幸である』と考えている人が大勢います。不平不満ばかりを言っている人がいます。誰もがうらやむ完璧な状態でないと納得出来ないみたいだけれども。『障害者が不幸な人達なのではない。健常者が幸福な人達なのです』と言っている人がいます。しかし、健康でありながら、不平不満だらけの人がいます。でも、寝たきりの病気を持ちながら、周囲に対して、感謝の言葉をかけている人がいます。さて、どちらが社会的な成功者であろうか。

 

 うつ病の話について。あるアメリカ人の話によれば。ある社会にはうつ病というのがないのだという。なぜなら、その社会においては、ある人が牛を失って悲しんでいたら、別の人が牛をその人にあげるからだという。我々の社会すべてがそのようになれば、この世界からうつ病というものが消えるのではないかと思う。日本人の一般的感覚とは違って、日本は世界的に見て、うつ病患者がとても少ない国です。アメリカには多い。それは多分、アメリカが競争社会だからだと思う。自己責任論は、うつ病を増加させると思う。うつ病を減少させたければ、牛を失って失望している人に対して、誰かが牛を与える社会にすれば良い。それだけの話だと思うのだけれども。

 

 しかし、これって、うつ病だけではなく。他の精神疾患でも同じようだけれども。病気をその病気になった個人の責任にすると、精神疾患の人は辛くなる。その人は悪くなく、悪いのはその人をそのような状態にさせた周りの人間であるとすれば、その精神疾患は消えるとか何とか。統合失調症に関するお話である。なぜ、先進国では統合失調症は予後が悪く、発展途上国では予後が良いのかに関する話である。

 

 夢が、『2500万円の車に乗る事』ではあまりにもむなしい。人が人としてあるのは、お互い助け合うためだと思う。夢が『2500万の車に乗る事』というのは、ただ単に自己顕示欲が強すぎるだけの話である。その車に乗れば、社会的な成功者だと人々から見てもらえる。その為の富が欲しい、と。夢としてはあまりにも、貧困である。もっと、世の為人の為になるような事を夢として描けないのであろうかと思う。

 

 ブータンの豊かさについて考えてみる。異なる家庭の男女が共に同じ屋根の下で寝る事が普通の事だなんて、絶対にイスラム教の国ではありえない。ニュースで、イスラム教の国である、パキスタンで、男性が女性に硫酸をかけて、その女性はヨーロッパの国へ亡命後、35回の手術を受けたが、自殺したという報道があった。その女性は手術のおかげで、口を動かせるようになったという。「35回も手術して、その程度にしか回復しないのか」と驚くばかりであるが。そんな酷い行為を平気でするのは、イスラムの教えなしではありえないだろう。神の言う通り、『世界を変えたいと思うのであれば、信念を変えなければならない』というのは正しい。男女がお互いばらばらだと、そして人間同士がお互いばらばらであると考えるから、こういう行為が平気で出てくるのである。

 

 「生命は皆同じだよ。だから、お互いの生命を殺しあってはいけない」というのは正しいと思う。まあ、本当は鶏も殺すべきではないのかも知れないが。そこまでは無理だとしても。口を聞ける人間を殺すべきではないと思う。日本の死刑制度について。私は、中国みたいに、執行猶予付きの制度にすれば良いのにと思う。「執行猶予10年の死刑判決」とか。そして、10年後にまた裁判をして、死刑を執行するかしないか判断すれば良いと。私はそう思うのだけれども。もっとも、中国は日本と比べ物にならないほど死刑は多いし。中国の執行猶予付き死刑判決は、『執行猶予1年の死刑判決』とかだけれども。死刑にならなければ終身刑だって。何でも厳罰化すれば良いというものではないと思う。日本も昔は終身刑でも出られた人の平均は15年だったのに、段々伸びていって、今では平均30年だってさ。何でもかんでも厳罰化すれば良いというものではないと思う。これでは単なる仕返しではないか。

 

 アメリカの刑務所制度は、犯罪者を増加させるだけである。刑務所にいるとお金を払わないといけないのだって。刑務所の民営化で、刑務所が仕事を請け負って、そのおかげで、その仕事を社会でやっている人の給料が下がっているのだって。こんなことをすれば、お金がない人は終身刑の方が楽だと思うだろう。馬鹿な人は、生活保護受給者の事を、『刑務所みたいな施設に入れて、監視せよ』と主張するが。刑務所の方が、生活保護よりも恐らく3倍以上のコストはかかっているであろう。刑務所の監視員は3交代制である。監視員の人手はただではないのである。生活保護は監視員がいらないから、刑務所の3分の1以下の費用しかかかっていないと思う。いくら刑務所を民営化した所で、生活保護よりもお金がかかる事は否定出来ない。刑務所にいる犯罪者から金を取る事を考える暇があるなら、刑務所に入れるべき犯罪者の数をいかに減らすかということを考えた方がずっと良い。どうせ、刑務所にいる犯罪者からいくら金を取った所で、それで刑務所運営費用が賄えるなんて事は決してないからして。アメリカでは刑務所人口が人口の1%か5%ぐらいいるとか何とか。全く変な話だと思う。コストを考えるならば、『嫌なやつは全部刑務所に入れちゃえ』主義を改めるしかない。でも、それが出来ないのが、アメリカの問題であり、日本の問題でもあると思う。

 

 悪を滅ぼそうとすると、ますます悪が増える。9.11で。アフガニスタンに戦争を仕掛けたせいで、アメリカ・キリスト教文明を恨む人はますます増加したであろう。

 相手に打ち勝とうとして、相手に議論を持ちかけ、相手の意思をくじこうとする人がいるが。議論には意味がない。ただ、その人の自己満足が得られるだけの話である。議論は意味がない。ただ、単に「そういう考えなのだね」と言えば良い。それで、おしまいなのだ。

 カウンセリングの基本だね。相手の言う事を否定せずに。『あなたはこういう考えを持っているのですね』と言って相槌を打つ事は。

 相手の考えが分かれば、世界を癒せる。『自分の持っている思考を認識することは思考を変えるはじまりではなく、終りである』とバーシャルは言っていたっけ。『自分の持っている思考が分かれば、その思考は既に自分にとっては効力のない思考である』と。

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