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客観主義

2017-04-22 09:29:04 | Weblog
 共産主義が、『科学に基づく、唯一客観に基づく経済』と言っていたけれども。
 科学は、客観的、唯一の回答をもたらすのか。
 
 大学時代、多数決決定に文句を言っている、人、学生を見たが。
 「多数決決定に文句を言うなんて、面白いなあ」と。
 中学校の時、多数決決定と言いながら、「司会者の誘導じゃないか」というのを、見たので、と。
 
 客観的に、見せる方法はある。
 だけど。やっている、本人として、「自分の利益主張である事を知っている」事が、あると思う、ということで。

 結局の所、「客観的に見せているだけなのではないか」と。
 「実際は、ただの、自己利益誘導なのではないか」と。
 やっている本人は知っているけれども。馬鹿な一般大衆、じゃなかった、には、分からない、気が付かない、ということで。

 共産主義で、自由な投票は、行われていない。
 でも、『自由な選挙なのだ』という、見かけだけは、作っている国は多い。
 北朝鮮とか。
 でも、実質的には、好きな候補に投票出来る権利がないという共産主義国家は多い、ということで。

 自由に投票出来るようにすると、権力者の意見と違う人が、当選する事があるから。
 それが、共産主義国家では、認められないのであろう、ということで。

 で、「科学に基づく、唯一客観って、何ですか」という疑問がある訳で。

 科学者は、客観的なのか。多分、そんな事は、ないと思う。

 ただ、彼らは、客観的に見せる、テクニック(技術)を知っているだけだと思う、ということで。

(続き)
 『未科学』という言い方があるが。
 今、現時点で、認められていない、科学を示そうと思ったら、仮説を立てるしかない。で、その仮説が正しいか、真実でないかは、前もっては分からない、ということで。

 結果が、分かってから、だったら、もっともらしい、説明をすることは出来るのだけれどもね。

 『ありとあらゆる可能性を考えて』なのだよね。
 今、現時点では、科学となっていない、考えを科学として、示そうと思ったら、と。

 結果責任だけ、言われても。「結果は、事前には、分からない」。
 結果が、事前に分かるのであれば、それは、すでに、科学となっているであろう、ということで。

(続き)
 「科学は、進化する、宗教だ」と考えた事がある。
 そして、『共産主義は、宗教である』と言っていた人がいる。

 「拡大する、宗教、それが、科学である」と。
 
 「分からない事」。それにどう対処するかが、問題である、と思う。
 
 みんな、分かったように、言う。特に、マスコミはね。
 でも、実際の所は、『事前には、分からない』。
 だから、科学の進歩とは、仮説である、と。

(続き)
 「科学的思考とは、進化する、宗教である」という言い方も出来ると思う。
 宗教という言い方が嫌いなら。「科学的思考とは、進化する、思想体系である」と。
 
 宗教というのは。キリスト教で言えば。『聖書に全部書かれてある』と言う。で、『聖書を信じなさい』と言う。
 イスラム教も、それは、一緒で。『聖典を読みなさい。聖典以外の物を、信じてはいけない』と言う。
 科学的思考は、それとは違っていて。『新しく、発見された事に、耳を傾けなさい』と言う、と。

 だから。新興宗教といえども。『新しい真実の可能性について、耳を澄ませなさい』というのは、それほど、多くない、ということで。

 そして、科学的思考と、宗教的思考は、対立する、と。
 
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