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考え方の甘さ

2017-01-01 13:51:22 | Weblog
 『ルポ 難民化する老人たち』を読んで。読後に、違和感があったが。その理由を考えてみたが。多分、“考え方の甘さ”が原因であると思う。
 ある、経済の本に、(長谷川慶太郎さん『2017年世界の真実』)『バブルが崩壊して、不良債権処理の為に、合併した、ある銀行は、リストラの為に、ある駅周辺にあった、その銀行の店舗が13店舗あったのを、3店舗まで減らした。会社の存続というのは、血と汗と涙で作られている。涙というのは、リストラの事である。だから、リストラがない、社会主義では、経済の発展というのはない』と書かれていた。
 「そんなに、簡単に言うなよ」と思ったが。

 『ルポ 難民化する老人たち』には、甘さがある。
 いわゆる、宮仕えしていない人達、つまり、会社勤めをしていない人達で。バブルの
頃に良い思いをした人達だから、今の苦労に耐える事が出来ない、ということで。
 ある人がブログで、書いていました。『今まで、甘い人生だったから、今の不幸に耐えられないのである』と。ちなみに、そのブログを書いていた人は、最近、生活保護の相談に行った、とブログに書いてありました。

 甘い考えで、通用していたから、今の厳しさを受け入れる事が出来ない。で、『社会がおかしいのだ』『政府がおかしいのだ』と言って、嘆く、主張するという側面があるように思う。
 収入もないのに。といっても、平均所得ぐらいはあるみたいだけど。家賃12万の家に、夫婦だけで、住んでいたら、いくら首都圏に住んでいても、「そりゃお金なくなるでしょう」「それで、生活が苦しいと言われてもね」と。「まず、その家賃12万の家に住むのを止めて、月8万ぐらいの家に住めば良いのに」と。
 まあ、普通は、そう思うよね、と。

 お金の為に本を書いてはいけない。社会の利益の為に、本を書かないと。後、自分の信じている真実を人に知らせるために、本を書くとか。社会の利益の為に本を書くという目的を失って、自分のお金の為に、本を書いても、その本を買う人は少ないであろう、ということで。人に幸福を与える目的で、本を書かないと、と思う。
 見え隠れするのが、『自分が、食べていかないといけないから、本を書く、出版する』では、その本を、買いたがる人も、少ないであろう、ということで。

 社会は、公平なのだけれども。それが、見えていない人達が大勢いるということで。
 『NO Work 、NO Pay』という、『働かないと給料はないよ』ということだけれども。
 介護の問題を解決するのは、簡単で。介護保険料を、医療保険料の半分ぐらい額徴収するようにすれば良い。
 介護保険料を引き上げれば、介護にまつわる問題を解決する。
 でも、それを、言わないのは、卑怯だと思う。

 マスコミの嘘みたいなもので。自分達にとって、不都合な事は、言わない。書かない。でも、それは、世界の真実ではない、ということで。

 真実を知りたければ。自分達にとって、不都合な事も、真実であると、言う必要があると思う。それを、言わないのは、公平ではないと思う。

で、ここまで、書いて。

 なぜ、『大宅壮一ノンフィクション賞』とかいう賞を取ったという、ノンフィクション作家でさえ、貧乏な結果の人生になってしまうかについて、考えてみたが。
 高学歴なのだろうけれども。慶応とか、早稲田とかいう、授業に出席しなくても、卒業出来る、文系学部卒業の人だから? そういう問題でも、ないかも知れない。なぜなら、旅行の本を書いていた、蔵前仁一さんは、その条件に当てはまるが、私の考え(私の考えではだけど)では、立派な本(面白いだけど)を書いている人だからである、と。
 で、考えてみたが。蔵前仁一さんは、色んな人から、否定されてりしている。でも、その、『大宅壮一ノンフィクション賞』を取ったノンフィクション作家とやらの人達は、否定されていない。人から、素晴らしいと言われている。だから、後で、貧乏な人生の結果になるのではないかという気がする。

 最初から最後まで、不幸なだけの、人生は滅多にない。
 でも、誰の人生にも、不幸な出来事は、起こる。
 でも、幸福な結末の人生を送る人達は、『もしかしたら、不幸な事が起こるのではないか』と警戒している。そして、その警戒があるが故に、不幸な出来事が起きても、それを、重要な問題ではないかの様に、対処する事が出来ているということで。
 『備えあれば憂いなし』という。
 不幸を想定する事によって、不幸を軽くすることが出来る、ということで。
 不幸な人生の結末になる人達は、不幸の想定が出来ていない、ということで。
 車の保険も入らずに、『車で事故したら、金銭的に不幸になった』と言われてもねえ、みたいな。
 火災保険も入らずに、人生を平然と生きていられますね、みたいな。
 不幸を想定する事によって、不幸を避ける事が出来るのに、そういう想定をしていない人達が、大勢いる、ということで。

 誰からも、否定されない事は、不幸かも知れない。
 何の問題も、人生の前半に起こらない事は、不幸かも知れない。
 
 『本当の自分を知るチャンス』と言う。人生の目的は、生命の目的は、何度も輪廻転生する目的はそれらしい。
 自分と違う意見に接する事によって、自分が何を信じているかを知る。
 自分と異なる意見も、自分と同じ意見も、自分が何を信じているかを教えてくれる、ということで。
 自分を否定する意見に出会わないのは、人生における、不幸かも知れなくて。
 
『ルポ 難民化する老人たち』読んだけれども。正直言って、”薄っぺら”なのだよね。どっかで、聞いた事がある話。文章、頑張って書いているのは、認めるのだけれども。実際、良く書けていると思う。でも、情報自体は、大した情報ではないと思う。どっかで、聞いた事のある話だと思う。

誰が書いても、この程度の話は、書けると思う。作家名見て、「次この作家さんの本が出たら、買おう」という本では、ないと、いうことで。で、この本書くのに、何年もかかっているらしいと。それでは、食べていけないよね、と思う。

個性って、何だろう。『本当の自分』を表現することだと思う。
個性を出したら、嫌われる。そういう固定概念が、マスコミの人達にはある。
で、そういう『個性を出したら、嫌われる』的な、マスコミの本は、結局、今は、嫌われている、ということで。
バブル崩壊後に、本を出して、ベストセラーになった本を書く人なんて、山ほどいるのに、『出版不況』だから、生活するのが、難しい、は何の言い訳にもならない。単に、『誰にも嫌われたくない』マスコミ的言論が、不況に陥っているだけだから、ということで。

で、都合が悪い事は、『政府が悪いせい』にする、で、後は、『金持ち、権力者が悪いせい』『政治家が悪いせい』とかにするけれども。『一般市民が悪い』せいとか、『不幸に陥るその人達が悪い』せいとは、言わない、マスコミ言論が、否定されているだけだから、ということで。

『誰からも、好かれたい』という人達は、結局の所、嫌われる、ということで。

自分が、他者と違う意見を持っている事を、認めた人が、結局の所、愛される。
そんな気がするのだけれども。

うーん。『血と汗と涙と』?
闇がなければ、光は、意味をなさない。
自分で、書いていて、結構厳しい意見を書いているような気がするけれども。
でも、『みんなに受ける』事、意見が、否定されているのだと思う。
ある経営コンサルタントの人が(大前研一さん)、『誰も悪くないというのは、最悪の結論である』と書いていたが。
『会社が赤字』で何とかしないといけないのに。『誰も悪くない』というレポート(報告書)を書くのは、最悪の結論である、ということなのだろうけれども。

不幸になれば、色々考える。「どうしよう、どうしよう」と。
そして、自分の真理を知る、と。
切り捨てる物は、切り捨てなければならない。全てを選ぶ事は出来ない。
金があれば、何でも買うでしょう。でも、『金がなくなる事』によって、自分によって、『必要だ』と思う事と、『必要ではない』と思う事が、見えてくる、知る、ということで。
不幸は、警戒信号で。『気をつけろ』と言っているのに。それを無視して、今まで通りのやり方で行けると思っていたら、そりゃ人生に失敗するよね、と思う。
警戒信号という事は、具体的に言えば、赤信号で。『止まれ』と言っているのかも知れないのに。『今までと同じようにやっていきたいのだ。まあ、そのうち、赤信号は、終わり、青になるはずだから』とか言っていたら、そりゃ、事故になるよね、と思う。

収入が減ったら、支出を減らさないといけない。それなのに、『そのうち、景気が回復して、また、バブルの頃のようになるはずだから、支出は抑えなくても大丈夫』とか言っていたら、そりゃ、破綻するよね、と思う。
月12万も家賃払っている人、夫婦二人暮らしで、収入は世間の平均よりも多い気がするが。でも、『固定費支出が多すぎて、生活が苦しい』のは、「固定費支出を削減しようとしないのが、悪い」だけで。それは、あなたが悪いのだよ、と思う。
これを、若い人達が指して、『老害』と言う、というお話で。
単純に支出を減らせば良いだけの話なのに、それが出来ない人達が、大勢いる、ということで。

リストラというのは、ダウンサイジングの事である。規模縮小の事である、と。
今まで、通りではやっていけない、と言っているのに。『支出をこのままの状態にしておきたいのだ』と言っても、それは、通用しないよね、という、単純な話なのだが、と。
で、『若い人達が、車を買わないのは、おかしい』という。若者は、その言論の事を指して、『老害』と言う、というお話で。

変な事、言っているかな?
でも、『シンプルに生きよう。シンプルに生きれば、他の人達も、シンプルに生きるようになるであろう。でも、その行動が多くの人達に、とって、難し過ぎる。要求として、難し過ぎる』というのは、『神との対話』の中の、神の台詞なのだけれども。

バブルの頃は、何もかもが、今よりも、良かった、訳ではない。
分かっている人は、分かっている。
でも。

過去にとらわれずに、今の状況を見なさい、と。
年を取ったら、今起きている事が、見えなくなってしまう。そして、過去にとらわれてしまう。
そんなことは、分かっている。
そして、『今時の若い者は』という。本当はあなたたち、高齢者の方が、社会にとって、邪魔なのに、と。
うーん。

(続き)
 親が、定年過ぎたら、「いつ、(親が)死んでも文句は言いません」と思っておかないといけない。ましてや、介護認定取るようになったら、「明日(親が)死んでも、文句は言いません」と「むしろ、早く、苦しまずに(親は)死ねて良かった」と思っておかないといけない。
 それを、親が永遠に生きて、介護も必要のない状態のまま、死ぬとしても、安らかに、自然死することを、期待するから、いけない。

 今の、介護制度に不満があるなら。介護保険料の値上げを主張しないといけない。『NO Work、NO Pay』なのだから。お金もないのに、給付なんて、出来る訳がない。それなのに、『国が、保証してくれて当然』と思う。それが、いけない。

(続き)
 感謝とは何か。それは、現状、現在の、奇跡性に気づくこと、だと思う。
 
自分は無職のくせに、旦那の悪口を言っている人達がいるのだけれども。「それは、間違っている」と思う。自分、一人で、暮らしていたら、どれだけ大変か、想像して、考えてみなさい、と言いたい。

介護保険制度は不十分である。でも、それが、存在しない時代は、ほんの20年ほど前の話だし。(成立は、1997年とインターネットを検索したら、書いてあった。)それが、なかったら、もっと、大変であった事を、想像して、考えてみなさい、と言いたいです。

何でも、『あって、当たり前』と思ってはならないと。
私は、そう思うのだけれども。それが、分からない人達が、大勢いるみたいで、という話なのでした。
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