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望むものを

2017-06-17 08:45:57 | Weblog
 望むものを

 望めば、その豊かさを実現出来る社会になってきていると、大勢の人が感じているから。
 貧困を前提にした、理論、『貧しい人に豊かさを与えるべきである』が信じられなくなってきている、ということで。
 分配のゲームとも言う。『豊かさは限られているから、貧しい人達にも、分け与えなければならない』という理論が、信じられなくなってきている、と。
 『望めば、豊かさを手に入れられるのに、なぜ、それを手に入れられないのだろうか』という考えになって来ている、ということで。

 言い方はともかくとして。シンプルに、『欲しい』というものだけを買って。『欲しくない』と思うものは、買わなければ良い。

 高い、新車を買うのが、間違いなのは。その為に、『仕事をしなければならない』という思想になってしまうからである、と。
 『しなければならない事』を、いかに減らし、『したい事』だけをする。そういう風にすることが、大事な事なのに。

 みんな、自分の信じている事を、言う権利を持っている。
 だけど。
 人に対して、『何々しろ』という人達が、今でも、大勢いる。
 人に何かをさせようとすることは、間違いなのに。
 『人が何かしてくれない』というならば、自分が、さっさとしてしまえば良いだけなのに。
 自分にそれをする能力がないのを、『人が何かをしてくれない』という言論にしているように見える、ということで。

 所得格差が拡大しているのは。一つの能力だけで、仕事が成り立つ時代ではなくなってきているからであり。だけど。『自分の持つ、全ての能力を使って』仕事をすることは、ネガティブ(否定的)な事ではない。
 
 「自分の持っている能力を、他者が持っていると思ってはならない」だけど。

(続き)
 離婚して、母子家庭になるのが、良くない事なのは。『働かなければならない』となるから。頭で、『働かなければならない』と思っていたとしても、感情がそれに同意するかは、分からない。そして、今は、同意していたとしても、どこかの段階で、『やはり働きたくない』となるかも知れない。結局、『働かないで済む権利』の保持の為に、離婚しないようにすることが、大事であると、いうことで。

 安直に離婚してはいけない。
 保険を掛けるように、夫婦円満の努力は必要である、ということで。

 荷物を軽くして、人生を生きる事大事。
 貯金は、どこかの段階で、『働きたくないのだ』と思った時の為の、保険になる、ということで。
 荷物を軽くするというのは、いかにして、『しなければならない事』を減らすか、ということだが、と。

 『しなければならない』事、『それがないと困るもの』をいかに減らすかと言う事が大事。

 シンプルに生きたら、良いだけだと思うのだけれども。
 つまり、安い値段の物で、満足出来たら、それで、幸せであると思うのだけれども。
 高いものを、『これが欲しいのだ』『これが必要なのだ』というのではなくて、と。

(続き)
 まあ、そんな事は、関係なしに。『お互いがお互いを傷つけあっている』ような気がしてきた。
 人に、『何々しろ』という要求をすべきではない。
 人に対して、期待をするから、苦しくなって、お互いに傷つけあうのだよね。
 人に期待するのを止めて、「人は、その人自身が、信じている事をする権利がある」と信じれば良いのに、と思う。

 大勢の人達が、『こうでなければならないのだ』と言っている。
 だけど、「そんなものは、みんな必要ではない」と気づいた時に、祝福が訪れる、と。
 で、「ただ、権利があるのみだ」と気づいた時に、祝福が訪れる、と。
 人に対しても、自分に対しても、期待する事なしに、と。

(続き)
 なんか、物質的なものが、どうでも良くなってきた。
 だけど。他人からしたら、『持っている』ように見える、矛盾。
 
 どうでも、良いと思ったら、豊かさを、得られる、ということで。

 だけど。今でも、大勢の人達が、持っている物質によって、自分の価値を証明しようとしているようには、見える。
 タワーマンションにしても、高い車にしても。
 「別に住めれば、良いではないか」「別に、動けば良いではないか」とは、彼らは、言わない、ということで。
 『高い値段が掛かった』に、何らかの価値を、与えているように見えるということで。
 「ぼろの家でも、家の大きさが、広かったら、良いではないか」と彼らは思っていない。
 だから、新築の家は高く、中古の家は安い、と。
 本質的な価値は、変わらないはずなのに。でも、大勢の人達は、そうは考えていない、ということで。

(続き)
 幸福になるのに、何も必要ないと考えたら、信じられたら、幸福になれる。
 幸福になるのに、あれが必要だ、これが必要だと、考えているから、幸福を感じられない、ということで。

 自分が不幸を感じる時、大勢の人達が、外側、他者が、悪いから、自分は不幸を感じるのである、と言ってきた。
 でも、全ての、幸福、不幸を感じる理由は、自分にあるとは、大勢の人は、考えないということで。

 「不完全だと言って、自分を責める」のは、間違いかも知れないが。
 自分が感じる不幸を、他者が悪いせいにするのも、間違いであるような気がする、ということで。

 「誰か、悪い人がいるのですか?」。
 そこが、問題であると思う、ということで。

 本当は、自分自身が、悪い人なのかも知れないのに。
 そうは、考えないみたいで。
 で、『外側の人達が悪いから、自分は不幸なのである』というけれども。
 そんな事はないと思う、ということで。
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