三神工房

2006年1月11日から約8年、OcnBlogで綴った日記・旅日記・作品発表は、2014年10月gooへ移動しました。

街が消えて行く

2017-07-22 | 日記

神戸に住んで、早35年。住み始めた当初は、田舎から上ってきたこともあり、
どこでも都会!に連日ワクワクしたものである。生まれてからこの方、三十数件
の家をテンテンしたせいもあり、どこが故郷かと思う事もあるが、ちょっと遠く
へ出張して、関空から湾岸線を通り、やがて大阪港付近、車窓遠くに六甲の山が
見えはじめると、(ああ、帰ってきた…)と思う事が多くなった。

そんな神戸に、明らかに異変が始まっている。1995年の震災のあと、それは
大きな変化があったが、震災は自然災害の防ぎようもないことだけに、今のそれ
とは大きく異なる。街が老いている。神戸線の沿線の、ベットタウンの駅前に、
長年あった本屋、その日の午後、店主自ら本棚の本を降ろす姿は、寂しげだった。
平日の昼時、追われる仕事に背を向け、昼飯をどこで食べるか、目視サーフィン
して、1時までの残った時間、決まって件の本屋へ寄った。楽しい習慣だった。
 
昨年暮れから、近くの高架下が改装になり、中身が大きく変わった。中には大き
な本屋もあったのだが、季節の模様替え毎にまずレンタルCDのスペースが減り、
文庫本の棚が減らされ、代わって文房具や雑貨が増えていた。最後は閉店した。
その時は、(件の本屋が勝った!)とほくそ笑んだものである。なぜなら、件の
本屋は床面積が恐らく10坪程なのだが、平置きした文庫本には特色があった。
長期出張の前など短時間でその中から四五冊買い求めれば、決して外れなかった。

そこに店主の誇りがあり、本屋の矜持が垣間見えた。しかし、恐らく中年の域に
達した店主が選ぶ秀作の文庫本は、まずはその買い手が衰えたのであろう。恐ら
く街に本を買いに出ることもままならず、あるいは本自体を読む力が萎えたか。
選ばれた本は、本屋へ本を見に行く若者が減った以上、売れる機会でさえ損して、
いつもカラフルなカバーが、少しも乱れることもなく、平置きされたままだった。
 
さて、本屋の目視サーフィンは、どこか高架下の真新しい本屋でも可能なのだが、
お昼のあとの数分で、果たして期待を裏切らない文庫本にブチ当るか否か、誠に
自信がない。平置きのスペースだけで、件の本屋の床面積をカバーする様な店で、
いったいどう探せというのか、誠に居心地の悪い街になってしまったのである。
しかし、これは本屋に限らず喫茶店もスーパーも散髪屋も・・・みな同じである。

これは決して初老のノスタルジーではない。日本中どこへ行っても同じコンビニ、
本屋、スーパー、コーヒーショップ。いったい何が楽しいのか?すべての歴史を
知る訳ではないが、あらゆる道を石で舗装した国も、ビールを手にした男が溶岩
流に呑みこまれた国も、はたまた不老長寿の妙薬を探す派遣団が帰国する前に滅
んだ近隣の国も、恐らく今の日本のような状態であったのだろう。なぜなら、今
揃ってTVの前で嘘をつき続けるお上の面々、顔に「滅」の字が透けて見える。

 
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