梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

道-1

2012-06-03 12:15:27 | 雑記
随分昔に「道」と言う映画が有った、この映画は見て居ないのだがサントラの「ジェルソミーナ」が印象に残っている。
私の田舎は南北に流れる小さな川沿いに猫の額の様な田と段々畑の山村である、
我が家は西側の裾に県道から数10m程上がった所に建っていた、県道はまだ未舗装で恐らく道幅も5m位だったろう、南に行けば市内で北に1km位行くとバスの終点でその先は急に狭くなる。そこからは左側は荒削りに山肌を削って造られいた。
右側は急な崖になりその下をこの辺りから殆ど滝ばかりになる川がながれている。
狭く明かりもない短いトンネルをすぎ、更に同じ様に山肌を削っただけで尖った石が出ている道を登ってゆくと右側は川から離れて行きはり出した山の間をすり抜けると又小さな集落が有る、
張り出した山は戦国時代小さな城が有ったらしい、此の道を更に北に行くと左右に分かれ西に行くと秋葉山から、東に行けば大井川に出る間道だったので群雄割拠の時代にはある程度千楽的価値が有ったらしい、
集落の入り口に小さなお宮が有り、その先は今度は川の右側を同じ様な道が続く、
この辺までが集落で其れから先は山越えをしないと人里は無い、しかし山肌には畑があり谷あいに住んでいる農家が野菜や麦を育てて居る、林は殆どが植林の杉で道は昼でも暗く、木立の間の落ち葉が蓄えた水が常に道路の傾いた上側半分を濡らしていた、
小中学の同級生はこの辺りから学校まで歩いて通っていたのだが、今でもバスは無い様なのでやはり歩いているのだろう、通学時間は片道優に1時間半はかかるがさして苦にはしていなかった気がするが生まれた所だから何の疑問も無かったのだろう、
昭和30年代はまだまだ貧しい時代でおまけに村にお店が2軒位しか無かったしテレビどころか農家ではラジオですら無い家も珍しくなかったので子供のおやつは大抵自己調達になる、
春になると真っ先に出てくるのはイタドリ、スカンポである、此れは道の脇でも段々畑の畔でも簡単に採れた、15cm位になった所を根元から折ると簡単に折れる、外側の皮を根元の方から外側にひいて剥ぎ取りそのまま食べる、若干の酸っぱさと新鮮なにおいがする、大抵紙に包んだ塩を持っていて此れを付けると中々の物である、
未だ藁草履の子供も居る頃で靴は中々買ってもらえなかった、しかし藁草履はこの岩だらけの道では直ぐに駄目になる、変わりに丈夫で安かったのはゴム草履だった、今のビーりサンダルと言う様な洒落た奴では無く赤いゴムの型押しでその形も藁草履の模様だったのも一興である、
同じ様な物で「ゴム靴」と言う奴も有った、全部が型押しのゴム製でむかしの木靴を思えば大体あんな様な物だ、デザインは見た目全く運動靴を踏襲し靴紐もしっかりと浮き上がって居た、
全部がゴムなので多少の雨では水が入るとは無いのだがその分暑いと汗でとんでもない事になるのだがそこはそれやはりゴムなので川に入れて振り廻せば綺麗になってしまう、
自分が本当の運動靴(だからズック靴と言っていた)を買って貰ったのは多分3年生くらいだったのではないだろうか?当然靴下などは無く、冬の寒い時は足袋である、


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