梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

散骨と海

2016-09-18 08:10:31 | 雑記
広告で「散骨」の宣伝を目にするとつい読んでしまう、私は随分若い頃から「死んだら海に」と考えていた、その頃は具体的に考えていたわけでは無いので(魚の餌にでもなるだろう)位で骨を撒くというやり方すら(ああ、なるほど)と言った程度で未だまだ「死」に関しては現実味が無かったが50代になっても墓がないという事である程度具体的に考えなくてはならなくなった時娘に「お母さんは頼むが俺は海に撒いてくれればいいよ」と言ったら「本当に面倒くさい親父だ」と言われてしまった、
散骨がどうして面倒くさいのかわからないが残った者が迷惑ならこれは仕方がない、たまたま女房の両親兄弟が眠る寺で納骨堂形式の墓が出来たので購入したのだが未だに広告を見ると読んでしまう、本人にとって死んでしまえば全て無しというのが私の考え方だから「墓」は残された家族が気に入るようにするのが基本だろうとは思うので仕方ないが今流行の終活で言えばちょっとしたロマンを憧れていたところもある、がまあ取り敢えずそれで子どもたちが満足できるなら良いか、どうせ本人はなんにもわかるわけでもない。
自分はどうかといえば此処暫く家の墓参りなんぞしていない、まあ墓石が盗まれると言う前代未聞の事が有って長男が新たに建てたのが姫路の更に内陸の場所でそう簡単に行けない事とその長男も他界してしまい殆ど縁のない姪ともあまり連絡も無いこともあり一度も言っていない、田舎に行った時に菩提寺に寄ってみたらなんと位牌も無い、実はこの菩提寺には姉二人が十数年を開けてだが別々に墓がないからと「永代供養」を支払っていたという前科が有る、無論領収書など無くなっているのでそのまま「本当に坊主丸もうけだな」で済ませていたが今度は永代供養どころか寺の位牌も捨ててしまっているとは呆れたものだ、と言ってもそれでも問題にならない程度しか我が家族は薄情だったわけでまあ致し方あるまい、そんなこんなで私は自分の墓という意識はなかった、どだい36まで独り身で居て病気になる度(誰が見つけるんだろうな、迷惑だよな)程度に考えて居たくらいだから墓所ではない話だ、虚無的とも言える話だがそんな御大層なものでもなくずっと一人暮らしでまだ体が動く頃はこんなもんだろう、
そう言えばその頃よく潜っていたのだが相当荒れた海に入っても一度も恐怖は感じなかったが結婚してから一度波が荒れて岩につけなかった時突然パニックに近い状況になったことがある、パディで潜っていた奴がヤスを出してくれて上がったのだが「真っ青だぞ、」と言われたことが有るがやはり家族が出来ると無意識に「死」が恐怖になるのかもしれない、まあその後また同じように潜れるようになったが「もう潜れないんじゃないかと思った」と言われたものだった、齢68歳、そろそろ古希だ、もう一度潜ってみたいが海り暑さが身に応えるひょうになってしまった、が、しかしもう一度潜ってみたい気もするな
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