梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

昔の映画、学校の鑑賞作品

2017-07-06 17:15:06 | 昭和の頃
何かの拍子に突然何の脈絡もなく歌のフレーズとメロディが浮かんで何かをしながら繰り返しバックグランドで際限なく回る時が有る、今日は珈琲を入れながら突然(そう言えば小学校の頃学校で映画鑑賞の時間があったな)と浮かんできた、
私が小学校から中学校にかけての頃授業の一環として映画鑑賞と言う時間があった、知り合いに話したことも無いのでこの時代一部の地域でしか無かったのかもしれない、
最初は何年生の頃か?小学校の高学年からだった気がする、低学年の頃は理科室の暗幕を閉じての幻燈だった、まあ言わば紙芝居の大型版みたいなものである、
5つ年上の姉が見たと言っていたのは「次郎物語」「オズの魔法使い」「黄色いカラス」「ノンちゃん雲に乗る」等だったが私の見たのは「明治天皇と日露大戦争」「太平洋の嵐」「千一夜物語」「宮本武蔵」「鮫」「千羽鶴」等だった。
戦争映画は多分小学校高学年だった気がするがそうだとすると昭和34~5年の筈、敗戦から15年、景気は復興し「既に戦後は終わった」と言う時代だったのか、
それにしても今考えるとあの時期によく占領は終えたにしろアメリカがあの手の映画を許可したと思う、そして作った側は何を意図していたのだろうか?
敗戦の屈辱から立ち直り精神的負の資産を排除し自信を得るためにかこの手の映画は興行的には大成功と言える、
同じ様な映画が何本も作られていたが今では左翼の牙城的な日教組がこの映画を教育の一環として見に行かせた意図が中々理解できない、もっとも見に行った子供達には大好評だったのだが、
無論女生徒の評価はこれより「千羽鶴」の方に多く集まったが上映中に多くの女生徒が泣きだしそれをからかった男子生徒が後で教師に怒られた事がある、その時私のすぐ前の生徒が本格的に号泣してしまい音声が聞こえなくなって注意したのだが先生はその事を知っていて私を説教から外したのだが怒られた同級生から「依怙贔屓」と言われた事もあったな、
こうして並べてみると姉の鑑賞したものは中学生らしいと言えるが我々の見た映画は戦争物の外も「宮本武蔵」は良いとしてもなぜ「鮫」が入ったのか分からない、
奈良時代大飢饉時の物語で確かに内容的には芥川龍之介の「羅生門」を思わせるくらい画面の映画だったが鮫と呼ばれる荒れた若者を中村錦之助が演じその中で禁裏を襲い火を放つ中で女官を犯す場面があった、無論その手の映画ではないから女性の肌は膝程度まで捲られた所で錦之助が卑猥に笑いながら行為をしている事を上半身で表現しただけなのだがそれでも一時は成人指定になった映画である、
義務教育課程で授業の一環に入れる映画を決めるのが教育委員会なのか学校単位だったのか分からないが学校単位なら我が母校はかなり挑戦的だった、
余談だが黒沢昭監督の「羅生門」は芥川龍之介の原作は別の「藪の中」の様だ、それでもやはりあれは映画的には荒れた羅生門でなければ駄目だった、
映画では日本軍が優勢な海軍ものが多かったが本当に前線に居た庶民の葛藤や苦しみを描く映画はその少し前未だ私が小学校に上がった頃に多く出た、
二等兵物語シリーズは喜劇仕立てだったが徴兵された農民や床屋が職業軍人ではなくただ古参だと言うだけの同じ様な庶民に理不尽にいたぶられる映画だったがもう一つの「私は貝になりたい」は敗戦の後上官の命令に拠って捕虜を銃殺した床屋が軍事法廷で死刑を言い渡される映画でやはり海外で絶賛された、
しかし時間が得てみるとその後は大本営発表的な映画が続々と作られていた、これを見ながら子供達は家庭に普及し始めたテレビで見ていたのは「コンバット」や「ギャラントメン」と言う戦争映画でヨーロッパ戦線における合衆国軍の活躍映画だった、
肩入れしてみているサンダース軍曹が打ち殺す敵は日本の同盟軍である、子供は単純である、そのままドラマの主人公に同化してしまうが戦前から戦中に多感な時期を過ごした年代の人達はどういう気持ちであのテレビと戦争映画を見ていたのだろうか
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Unknown (おちゃ)
2017-07-07 18:59:21
コンバットはよく覚えてます。テーマ曲のレコードが自宅にありました。サンダース軍曹は顔もよく覚えてます。youtubeにいくつか動画がありますよ。

戦後20年ほど経った頃のテレビ番組ですから、当時それを見ていた日本人の多くはすぐ前までは鬼畜英米などと言っていた人達なのでしょうが、満州引き揚げ者としていろいろ大変だったらしい祖母や父のコンバットを見る様子を思い出しても、それがついこの間まで敵国だった国のドラマであるなどという雰囲気はなかったですね。むしろ戦前、戦中の日本があまりに暗かったのでしょう。

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